目的恐怖症
続けようとするから、続かない。
やめようとするから、やめられない。
皮肉なもので、結果に執着すればするほど、結果から遠ざかったりする。
僕は目的ありきでの行動が苦手だ。
いや、苦手なことに気づいたというべきだろうか。
〇〇せねばならない、という義務感を、強制的に感じてしまうからだ。
なので、目標などは設定せず、気の赴くままに、やりたいことをする。
何よりも大切にしているのは、心地よさである。
ダーツの的の真ん中に刺そうとすればするほど、当たる確率は低くなる。
でも、ダーツの的に当たればいいやくらいの気持ちで行動していると、自然と行動ができし、たまに当たったりもする。
僕はとことん、強制されるのが嫌いなのだ。いや、そんなの誰だって同じか。
行動するには、まずゴールを定めることが大切であり、そして、ゴールを定めることによって迷わずに進める。・・・なんてことは、百も承知である。
だが、それはつまらない。感情論100%である。
だからこそ、大事なのだ。僕は感情を無視しては行動できない。
感情を押し殺して行動してみたこともあったが、すぐ嫌になってやめた。
自分の感情に嘘をついたり、押し殺したりすればするほど、目的を達成することなど、どうでもよくなり、すぐやめたくなるのだ。
執着とか、期待すればするほど、強制感がまとわりついてくる。
思い描いた目的、ゴール通りに物事が進まないと、ストレスになったりする。
もちろん、そういった緊張感があるから発揮されるエネルギーもあるのだろうし、そうした逆算的な行動が向いている人もいるはず。
でも、僕は目的など決めずに、フラフラしたいのだ。
フリーマーケットやマルシェのようなワイワイガヤガヤした空間を、逆算思考で行動しても、ちっともつまらない。
フラフラと適当に歩き、自分でも予想していなかった掘り出し物との出会いがあるかもしれない。そういったワクワクがとてもスキだ。
そして、仮に目的を定めたとしても、僕はおもいっきり回り道をしたい。
目的地につくのが遅くなっても構わない。
道中での偶然の発見こそ、目的を定める本当の価値じゃないかと思う。
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