他人の手によって壊されるくらいなら、自分の手で壊したい、という感情は分かる気がする。これの究極系が武士の切腹とかなのかも。生き恥をさらすくらいなら、、みたいな。自分が主導権を握っているということが重要ということかな。自分の知らないところで、とやかく言われるのは気分悪いもんね。
努力を積み重ねる。noteを積み重ねる。トレーニングを積み重ねる。経験を積み重ねる。 そんなふうに、人類は歴史を”積み重ねて”、ここまで進歩してきたのだと思う。 何かを積み重ねることによって、その後の行動のときに予測ができるようになる。ようは、慣れるということだ。 慣れることによって、今までやってきたことはさらに効率的に。さらには、初めてやる行為にも今までの”積み重ねた”経験値を活かし、行動する。 何をやるにしても、どんな物語を読むにしても、どんなアニメを観るにしても
一旦断捨離にスイッチが入ると、あれもこれも捨てたくなる。ただ、そういったスイッチが入った状況下でも、残るものは残る。 きっと、そういうものは自分にとって重要な構成要素なのだろう。僕にとって書くことや読むことは、ソレに近いのかも。
有象無象の情報が溢れるなかで、みんなが求めているのは、あなたからの「情報」ではなく、あなたが見つけた「発見」なんだよな。 発見には価値がある。
電車に乗っていたら、アナウンスが流れた。 〜この電車は、ただいま1分遅れで運行しております。 お急ぎのところ、電車遅れまして大変ご迷惑をおかけしております〜 と。 シンプルにすごいなって思うのと同時に、怖さを感じた。 1分でも遅れたらアナウンスをしなければならない決まり?なんだろうか。すごいなと思う。というか、ビビる。日本人の生真面目さには恐れ入った。 とはいえ、1分という時間でも、人生に与える影響は人それぞれだ。 1分遅れたことによって、大事な会議に間に合わなく
自分にもっと才能があったらなあ。なんて、考えたときもある。 もっと絵が上手かったら・・ もっと文章が上手かったら・・ もっと歌が上手かったら・・ もっと楽器が上手かったら・・ でも最近気付いた。 才能は”みんな”持ってるということに。それはつまり、僕も含まれている。 これは綺麗事じゃない。 僕も含め、みんな「才能」という言葉に囚われすぎていたのだ。 多くの人は「才能=能力がある」という前提で捉えている。それが罠だ。なぜならその前提は、「能力主義」という市場で作られ
目的もなく、ただ続けてみること。理由は後から勝手についてくる。続けるという行為には、とてつもない魅力と人生を変化させるほどのインパクトが含まれている。その魅力に無意識に気づいているからこそ、人は継続したがる。それにしても、noteを継続している人たちは多いよね。
悪いことだと知りながら、悪いことをする。 でも、気にしない。 お菓子を食べるのが体に悪いと知りながら、食べる。 でも、気にしない。 頭では分かっていても、それを行動に移すかどうかは、自分次第である。 自分で良くないと知りながら、人は平気で逆の行動をとったりするわけだ。 でも、自分ではない他者が一貫性のない行動をとっていたりすると、非難を浴びせたりする。 例えば、テストで良い点取りたい!と言っている人が、暇さえあればずっとスマホゲームをしているような状態をみたら、
自分の考えを主張するのは、結構ハードルがあるように思う。 世の中には「自分は〇〇だと思います!」と、ハッキリと主張できる人もいれば、 自分の考え?いや〜、別になんとも・・・。 といった感じで、自分の主義主張など、特に持ち合わせていない人もいる。というか、そういった人のほうが多いのではないだろうか。 僕もどちらかといれば、自分の考えを言う、発信するのは苦手なほうだった。ただ、読書にハマったのをきっかけに、自分の考えを書き留めることから始まり、アウトプットをするのが少しず
家の中に入れば、緊張感がほどけ、気持ちがオフになる。 出勤のために家を出れば、緊張感が体中にまとわりつき、時には憂鬱な気分になるかもしれない。 家の中というウチ。 職場というソト。 この世はすべて 「それ」と「それではないもの」 で、分けられている。 なぜなら、人は「分ける」ことでしか世界を認識できないからだ。 男女で分ける。 仕事と遊びで分ける。 親と子で分ける。 犬と猫で分ける。 あらゆるモノゴトに対して「境界線」を引くことによって、暮らすことが可能にな
続けようとするから、続かない。 やめようとするから、やめられない。 皮肉なもので、結果に執着すればするほど、結果から遠ざかったりする。 僕は目的ありきでの行動が苦手だ。 いや、苦手なことに気づいたというべきだろうか。 〇〇せねばならない、という義務感を、強制的に感じてしまうからだ。 なので、目標などは設定せず、気の赴くままに、やりたいことをする。 何よりも大切にしているのは、心地よさである。 ダーツの的の真ん中に刺そうとすればするほど、当たる確率は低くなる。
あ!この言葉面白いな。 と、思ったらとりあえずメモする。 ん?この単語はどういう意味だろうか? と、感じたらとりあえず辞書を引いたり、ググる。 どのメモアプリに書いたほうがいいかとか、どのメモ帳に書くのがいいかとか、そういったことにこだわる気持ちも分かるけど、優先すべきは、「今」この瞬間に頭に浮かんだ疑問、心に響いた言葉を書き残すことだ。 感情には鮮度がある。 今この瞬間に調理しないと、すぐに腐る。 感情は新鮮なほうがいい。けれど、思考は寝かせたほうが良い。
問題に気づくことができれば、対処ができる。 だが、自分でも気づかないうちに侵略されてしまえば、対処しようがない。それはまるで、いつの間にか味方の軍に敵軍のスパイが紛れ込んでくるかのようなものだ。 味付けの濃いお菓子は、脳がまた欲するように多額の資金と労力をかけて計算され尽くした、舌と脳をハックする味付けになっているし、 スマホのアプリゲームも同じ。 大天才のゲームクリエイターたちが人を夢中にさせるために「適度な難易度」と「適度な達成感」を演出している。 それらは、人
朝8時30分。出社。 雨が降っていたため、なんの変哲もないビニール傘を持参。社内の休憩室に用意してある傘立てに収納。 12時30分。昼食をとるため、休憩室へ。 一応傘立てを確認したところ、朝においた場所にまだあることを確認。いつも通りに自分で用意した弁当を食べる。 18時。終業。 早々に片付けをして休憩室へ。傘立てを確認したところ、朝おいたはずの場所に「傘が無い」ことを確認。 朝から降り続いていた雨は、18時になっても降り続いていた。 会社から駅までは微妙に距離