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レビュー「米津玄師/カナリヤ」


今回もMVを見ながら思ったことを書いていこうと思う。このMVはコロナ禍に是枝裕和監督が手掛け、NHKの番組に採用された(ている?)らしい。

本棚から詩集を取り出して、陽だまりの中でひっそりとお気に入りの詩を読むような気持ちだった。
丁寧に編まれた歌詞と、深くて清らかな声と、それを支え見守るような音楽が何層にも渡って降り注ぎ、心にゆっくり沁みてくる。
(※このレビューは、あくまでも個人の感想です。)

ありふれた毎日が懐かしくなるほど
くすぶり沈む夜に揺れる
花を見つめていた

映像は暗い教室?に米津さんが1人腰掛けていて光が指すところから始まる。

歌い出しの音は、誰もいない湖の水面を天使の指がそっと触れて波紋の絵を描くような音。

毎日の「ま」の響きが丸くなっていて、包み込まれるような優しさに心地よく浸りかけていたら、「くすぶり沈む夜に揺れる花を見つめていた」
泣きすぎて涙が枯れた後なのか、何か、先が見えない困難の中いる誰か(たぶん、「あなた」)を見つめているのだろうか。

カナリヤが鳴き出す四月の末の
誰もが忘れていく白いプロムナード
あなたの指先が震えていることを
覚えていたいと思う

「カナリヤ〜プロムナード」の音が情感たっぷりでなぜか懐かしさと切なさを感じる。生まれたての記憶を呼び覚ますのだろうか。
「白いプロムナード」…この世に生まれた神聖な光=新生児が包まれているふわふわのタオルのようなもの、ウエディング会場にありそうな西洋風のお洒落な道、病院の中庭に設けられた散歩道、ハクモクレンなどの白い花が咲き終わってできた白い道だろうか。
「誰もが忘れていく」ということは幼い頃の純真で素直な気持ち、人に対する優しさの比喩かな?

「あなたの指先が震えている」…繊細で純真な「あなた」が不安の中にあるのだろう。

そして、それを「わたし」はちゃんと見て分かっているし「覚えていたい」。
あなたの弱さも繊細さも受け止めるよ、ということだろうか。

いいよ あなたとなら いいよ
二度とこの場所には帰れないとしても
あなたとならいいよ
歩いていこう 最後まで

「わたし」は「あなた」となら歩いていけると確信している。
恋愛なのか、友情なのか、その他なのか分からないが、「あなた」が進む方向に二人で一緒に進む決意をヒシヒシと感じる。
これは場所や進路の他に、考え方や性格という意味もあるかもしれない。
仮にみんなが否定しても、「わたし」は「あなた」を肯定するよ、みたいな。

転げ落ちて割れた グラスを拾うあなた
その瞳には涙が浮かぶ
何も言わないまま

なぜ「あなた」は泣いているのか。
大切なグラスが割れたからかもしれない。
誰もグラスが割れたことに気づかないことかもしれない。
気づいても誰も拾おうとしないことかもしれない。
それを、何も言わないで自ら拾う「あなた」。
でも、そんなあなたのことを「わたし」は見ているし、気づいている。

詩的な世界

カナリヤが消えていく五月の末の
木の葉が響き合う湖畔の隅っこ
あなたを何より支えていたいと
強く 強く 思う

何と美しい光景だろう。痺れる。前半のカナリヤ部分もそうだが、詩あるいは純文学の世界だろうか。(…といっても、あまり触れてきていないので偉そうなことは言えないが(笑))
その詩的な世界を妄想虫眼鏡で覗いてみよう。
「消えていく」…儚さ。永遠で至極の美しさ。
「木の葉が響き合う」…微細に奏でられる音。共鳴。風の歌。
「湖畔」…緑に囲まれひっそりと水を湛える自然の優美。
「隅っこ」…マイノリティ感。孤独感。

「強く 強く 思う」もシンプルな言葉で韻を踏んでいて、誠実さが現れている。

Lemonのレビューの記事でも書いたが、
カナリヤ(視覚、聴覚)
5月の末(=新緑)(視覚)
木の葉が響き合う(視覚、聴覚)
湖畔(視覚、聴覚)
と、この短いフレーズの中でフルに五感を刺激する。

カナリヤ
カナリヤは幸せの象徴でもあるし、毒ガス検知に使われることもある鳥(例えば、過去に宗教施設の捜索の際にも使用された。)
この曲の中では、カナリヤと会えるのは4月末〜5月末までの約1ヶ月という短い期間のようだ。
掌におさまるくらい小さくて、弱くて、何かに押しつぶされそうで、儚そうなこの生き物。
全世界の負の荷物をその小さな体に一手に引き受けてるんじゃないかと思ってしまうくらいの繊細さ。

みんなが忘れてしまうことを忘れない。
みんなが気付かない小さな気持ちや出来事に気づく。
みんなが嫌がるようなことを自ら行う。

「カナリヤ」と「あなた」が重なる。
鳥かごから抜け出して、「わたし」は「あなた」と飛んでいきたい。

「はためく風の呼ぶ方へ」。
祈りと希望を感じた。
羽ばたいたカナリヤのアーチがどんどん広がり、澄み渡った大空に架かっていくだろう。



コロナ禍に生まれた曲というところから、エッセンシャルワーカーのことを想って書かれた曲なのかもしれない。
それ以外にも、大事な人を強く想う気持ちが描かれている気がした。
特定の誰かでなくても、自分が自分自身を想って傷を癒やしてあげる、そういうことでもいいんだろうなと思う。

米津さんは声の音域が広いのはさることながら、曲の幅も広い。モダンでポップな曲、叙情的でしっとりした曲など。まだファン歴1週間くらいなのだが(笑)、そのスケールに圧倒されている。
(ちなみに昨日まで「よねづげんし」さんだと思っていた。「けんし」さんだということを知りました。ご本人とファンの方ごめんなさい。)


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