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100のきりくち+

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1分で読める「たしかに、こんな切り口もあるかもなー」という戯言集。 100本を突破したので「+」(プラス)です。 (どこまで行くかな...?)
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#ひとりごと

「正解」に殴られて、苦しんでいる人へ

ちょっと今日はわかりやすさを無視して書きたい気持ちなので思いつくままに書かせてほしい。読みづらいと思うけど、わかってくれると嬉しい。 「ビジネス系つよつよの人たち」の文章や動画などを見るたびにどうしても違和感が拭えなかった。 言ってることはわかるけど、すっごく苦しくなる。 色んな角度から話しているけど、結局は「ビジネスで成功するためには、こうするべき。ほら、俺は成功しているでしょ?」を手を変え品を変え伝えているんじゃないかな? これがなんというか、、吐きそうになる。

厳しいことをいうのは疲れる。

厳しい意見を言った。久々である。 昔は全くわからなかったが、これ絶対言ったほうが疲れる。なぁなぁで笑っといた方が絶対楽。あぁそうしたかった...。 とはいえ、ここは言っとくところかなーと。 今の状況になってるのは、きっと誰もそうしてくれなかったから。 本人は寄って立つことができると思ってるかもしれないけど、おそらく今周りでニコニコ話を聞いてくれてる人たちは、いざとなったとき離れていく。 これは周りが悪いわけでもなんでもなくて、そういうことまで含めて自分で創り出してるんだか

「ぼくチョキ出すから、パパはパーだしてね?」が、全てだった。

「ねぇじゃんけんしよ〜?」 こどもにせがまれる。 「おけおけ、いいよ」 「パパがパーで、ハルくんがチョキね!」 んん!!? 「え、そしたらパパ負けちゃわない?」 「うん!」 「ええ〜パパ勝ちたいな」 「いーの!」 「...チョキだしてもいい?」 「そしたらアイコになっちゃうでしょ〜?」 「うん」 「ハルくんが勝ちたいのに、できないでしょ?」 「そうだね」 「だから、パパはパーね!」 ふ、む、、、。 学校における勝負学校における勝負というのは、基

解答することが、正解なのか?

最近12時間くらい寝てる。 体が求めてる時は割と素直に従う。ああ睡眠っていい。昔ほど寝れない体になったけど、若い時は死ぬほど寝てたなー。あれまたやりたいなー。 解答が正解か?揉め事とか、批判みたいなものを受けたときに、頭の良い人ほど割とまっすぐそれに答えようとしてしまう。 「このようなイベントに、○○を呼んでないのはなぜか?」 「この予算の使い方は正しいんですか?」 こんな問いにそのまま 「〜だからです」 とか答えてないですか? こんなのに答えてても意味ないんで

ちょっと億劫なことと、その消し方一考

いいことのはずなのに、なぜかちょっと億劫なことってないですか? 僕は割とある。 そしてそういう時はできるだけその億劫さを無視しないようにしてる。 人間は所詮動物なんで、雨降ってたり、寝不足だったり、腹減ってたり、寒かったりで億劫になることもあってそれはそれで理由がわかってスッキリ。そういうときは、コタツに入ることで解決。すごいぞ、コタツ。 そうじゃない時は、もうちょっと潜ってみる。 すると、誰か頭に浮かぶ人がいたり、過去の経験思い出したり、未来の不安に出会ったりする。

世間とは、見つかるもの。

今日で35日note連続投稿。 毎日1冊オススメマンガを紹介しているマンガラジオ📚も49タイトルを迎えた。 そういう意味で、継続は割と得意なやまだです。 どうもみなさまこんばんは。 さて、そんなに継続してなにかを表現していたら、さぞ良いこともたくさんあったのだろうと思われるかもしれませんが、そんなことはないです。 たとえば、有名になりたいとか、反応がたくさん欲しいっていうのであれば、1つ圧倒的なコンテンツを創る方が絶対いいです。これは間違いない。 たとえばこちらのnot

解決できない問題は溶けて消える。

世の中には華々しく始まったものの、うまくいってないプロジェクトが山のようにあって、その大体の問題はお互いが持ってる「正しさ」。 立場が違えば、「正しさ」も違う。 正確にミスなく実行することが「正しい」人と、リスク負ってでも変革することが「正しい」人とでは、物事の前提が異なる。 不和に陥りやすい。 ここでのポイントは、誰も悪くないところ。誰かが悪い前提で動いてしまうとすごくいろんなことを見逃してしまう。 「あいつが、古い考えだから」 「イケてないんすよー」 「頭悪い

動機の言語化か、余り好きじゃないしな

あらゆることに理由がいる。 「こんなことやってみたいんですよね!」 「え、なんで?」 理由があると安心するんだと思います。 理解できるから。 だから、誰かに理解してもらいたいときは、一生懸命理由を話すといいのかもしれません。「5回Whyを続ける」という、本質を見つける時のワークなんかはその意味ではめちゃくちゃ価値がありそうですね。 一方で、「今全力で走り出したい!」ことに理由なんてつけなくていいじゃないですか。 絵が描きたい noteを毎日更新したい 泳ぎたい マ

正義って、不自由。

正義というものはかくも人を不自由にするものか。 など考えて筆をとっている。 彼らにとっておそらく「正しい」のであろう。そしてそれ自体は何ら問題ない。良いのだ、自分の正義を持つことは。 ただ、その「正義」というやつはものすごく視野を狭める。せませま。 この事実は知っておくと良いのかもしれない。 最近はもっぱら「みんないいやつなのに、お互いがお互いにストレスを感じているステークホルダーが多い場面」に投げ込まれることが多い。火中の栗といえば火中の栗🌰 ここでのポイントは、「

全部できたらきっとすっごくつまらない。

スマホで書けばスマホで書くだけの空気感がある。というかそれで言えば、読まれるのはほぼほぼスマホなんだから、リズム的にはスマホで書いた方が読みやすいのかもしらん。 ほら改行とかも自然よね、やっぱ。 今日息子と 「パパはなんでもできるの?」 「いやいや、できることだけだよ」 「パパはなんでも知ってるの?」 「いやいや知ってることだけよ」 なんてやりとりを。 最後に 「どうしてできないことがあるの?」 って聞かれて、思わず 「助け合うためだよ」 って答えたんだけど

自分を褒めてくれる人を見下す人たち

note書いて「今回のnoteすごく良かったよ!」って言ってもらったのちゃんと受け取れてる?心から喜べてる? 「いやいやー、私の書いたものなんて、、」 とか言ってない? 謙遜しているように見えて、それは傲りだよ。 人はみんな、来るべきタイミングで、来るべき物事に出会ってて、それがあなたの文章だった。すばらしい、うれしい!やったー!それでいいはずなのに。 この謙遜もどきは、「こんなもので良かったなんていうあの人たいした人じゃなかったんだな」という思想に通じてて、そ

遅刻に厳しい人は、よく遅刻する

time is money という言葉、昔の人も時間大事にしてたんだなーと思いつつ、いやいやお金てw もっと大切でしょ時間って、という気持ちも芽生えつつ。 最近ちょっとわかったんだけど、遅刻したときめっちゃ怒ったり不機嫌になる人ってその人自身もよく遅刻するよね? これどういうことかというと、 遅刻される→自分が遅刻するときのことを考える→まだこれくらいでいいか、出るのちょっとくらい遅れてもいいかと思ってる=相手のことを雑に思っている→つまり、遅刻してきた相手は自分のこ

暇で在るというタスク

ふじたさんがいいこと言ってた これは僕もかなり意識している。 特にここ最近。 時間的にも、精神的にも暇であるためには不断の努力をしていると言えるかもしれない。実際には自分でやりたいことも、他の人に任せたりするくらいは徹底している。 これ理由もあって、「余白」あって暇な時に不意にやったこととか、誘われて動いたこととかに、すっごく大切なことや人たちに出会ってるんですよね。 なので、ここからは野暮。 野暮かつ、ちょっと説明し辛いんですが、「暇である」からといって「雑に扱っ

分かち合いたい

自分とも世界とも向き合うのがうまい友達と話してたとき 頭でわかってて、口ではそう言ってるけど、心の奥底ではそんなふうに思えてない事って、その在り方を試す形で現実がくるよね と。 めっちゃわかる。。 合理的な脳が見せる現実は、いつも合理的。 最近だと、僕は結構「人を雑に扱う」ということに対して憤り的なことを覚えることが多いし、一貫してその姿勢を通してると思っていたんですが、「丁寧に扱われてないと感じる」という趣旨のことを言われてトラブルになることがあった。なんなら続いた。