マガジンのカバー画像

与太者雑記

12
運営しているクリエイター

#薩摩

薩摩の芋野郎黒田清隆の妻殺し 1



黒田清隆は、伊藤博文に次いで二代目総理大臣となった、薩摩の軍人あがりの政治家である。明治政府最初期、長州と薩摩から交互に総理大臣は選出されている。そういう取り決めでもあったのだろうか。

生家は貧しい最下級の薩摩藩士の出であったが、長じて砲術を学び、幕末の度重なるいくさの度に戦功を立て、双六のように徐々に出世していく。箱館戦争では、五稜郭に追い込んだ敵将榎本武揚を降伏させるという大武勲を立て、

もっとみる
薩摩腐れ芋外道黒田清隆の妻殺し 2

薩摩腐れ芋外道黒田清隆の妻殺し 2

旧姓中山清が黒田清隆29歳に嫁いだのは、まだ若干16歳。父は旧幕の家臣で大身の旗本だが、明治維新で零落した身とあらば、娘を政府高官に嫁がせ姻戚関係を結ぶのは、その栄華にあやかろうという計算があったのも致し方ない。一方、維新で功を立てて成り上がったとはいえ、元は田舎の下級武士にとって、大身の旗本の娘というのは美貌揃いの上に教養も気品も高い高嶺の花。それを嫁にするのは一種のステイタスである。両者の目論

もっとみる
薩摩の野暮天芋野郎黒田清隆と落語 1

薩摩の野暮天芋野郎黒田清隆と落語 1

昔ブラタモリで札幌を取り上たことがあった。アシスタントはまだ桑子ちゃんだったと記憶している。明治2年に7人しか人がいなかった札幌がなぜ200万都市に成長したのか、というのがテーマだった。有名な赤煉瓦の北海道庁旧本庁舎も勿論登場したが、その場所に黒田清隆が三代目長官を務めた開拓使庁舎があった。番組では遊郭が出来たのち、あっという間にその周辺に街並みが出来たことを指摘していたが、これは黒田が取った産業

もっとみる
薩摩の無粋腐れ芋黒田清隆と落語 2

薩摩の無粋腐れ芋黒田清隆と落語 2

薩摩人から殆ど相手にされなくなった黒田清隆は、前述通り旧幕臣らと関係を密にするがそこで知ったのは、上は大警視川路利良から下は平の巡査に至るまでほぼ薩摩の人間で固めた警察の評判の悪さだった。おまわりと言えば昭和のつい先ごろまで「おいこら」と高飛車で偉そうにしてやがるのが通り相場だが、それは明治からのある意味伝統である。薩摩ではペーペーの下級武士だった者が、東京に出て来ればやれ田舎者芋野郎とバカにされ

もっとみる
薩摩の俗悪芋野郎黒田清隆と講談 1

薩摩の俗悪芋野郎黒田清隆と講談 1

立川談志と高田文夫の対談で江戸っ子の定義という話になり、高田が「やせがまん」と言ったのに対し談自論を披露した。

「俺はね、生まれはどこでもいいけど、ご維新のときにどっちに味方するかってこと。」

さすがは家元だ、スタイルではなく思想的に江戸落語を継承してると思う次第であるが、夏目漱石ならこう忠告したかもしれない。

「君も江戸っ子の端くれなら、ご維新じゃなく瓦解と云い給え」

年号が明治に改まっ

もっとみる
薩摩の黒田清隆伯爵と講談 2

薩摩の黒田清隆伯爵と講談 2

「正直車夫」

下谷御徒町2丁目19番地の裏長屋に、小林庄吉という人力車夫がいた。柏木という帳場に所属の車夫で、上野山下周辺を流していた。家には老いた両親と女房子供二人が口を開けて待っているが、たいした稼ぎもなく釜の蓋が開かないこともしばしばで、ろくに粥も啜れない中、それでも夫婦は両親に忠孝を尽くした。

ある晩寝酒にいっぱいやりたいと言う父親のために、商売道具の股引を質に入れ30銭こしらえて、そ

もっとみる