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集中、とは

雨。
長き、梅雨の日々。

無気力な日々が、
身体を整えることにより
少しずつほどけはじめ、
ぼちぼちと、寝かせていたものに
取りかかり出している。

昔は

「さあああ!やるぞーー」

と取り掛かっていたものだ。
やる気があるもの、
好きなものならば尚のこと。

でも、歳を重ねるごとに、

ひとつひとつ、
ぼちぼちと、

そこに有り余る感情を乗せることもなく、
目の前のものを
あるがままに捉え、
それを表していく。

そんな物事の取り組み方が多くなった。

音楽ならば
音の造形を見つめ、
それが一番美しく見える形をもとめる。

自分の感情で
さらに飾り立て、美しくしようなどとは思わない。

ただ、
あるがままを、

演奏する。
楽譜にあらわす。

それを繰り返していくと、
どんどん
「集中」という深い深い海に入り込み、

音楽と私は対峙するのではなく、
共に、同じ方向を見て、
歩み始める。

わたしの場合のゾーンはそれだ。

演奏の場合、
自分の身体は
すっと、楽器と程よい距離をもちながら、
一体化する。

すると、
音がどこか
他から聴こえてくるような、

聴いてくださってる方々には
わたしが演奏している姿も
楽器も見えなくなっている。

、、、
、、、

こんなこと、もちろん、
毎回は起きない。

ふむふむ。
、、、

と、いろいろ考えつつ、
劇伴を制作中。
いろんな素材を合わせて、
ひとつの世界観をつくる。

ぼちぼち始めていたら、
あっという間に集中の域に。

でもね、やり過ぎるとよくないので、
今日はここまで、って区切りをつける。

これが、
続けていけるコツ、となってます。

無気力から、
少しずつ脱出の巻。

こんな呟き。
ひとりごとのようでいて、
誰かに話しかけるような
そんな言葉を並べ、したためているが、

最近、
いろんな方々に
いろいろ感じていただいているようで、
noteの意味を少しずつ感じている。

「集中」は
音高生を教えているときに、
とても考えたテーマのひとつ。

でも、結局は
自分自身で見つけるもの、
です。

それが、一番身になる。

kumi_kie

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