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アンメットニーズへの挑戦:毒と薬と食物はいったい何が違うのか

「玉ねぎも、1日10キロも食べれば人は死んでしまう可能性があります。」

資格が取れるから、という安直な理由で大学では薬学を専攻した不埒な私であったが、大学に入学して最初に受けた薬学の講義で「薬学という学問の集大成」にがっつりと心を掴まれ、以来、魅了され続けている。

件の講義で壇上にあったのは、今は大阪大谷大学の教授で大阪大学の名誉教授である那須正夫先生であった。那須先生は始めに黒板に三つの円を重ねた「ベン図」を描かれ、一番大きな円に食、次のサイズの円に薬、そして一番小さな円に毒、と書き込んだ。そして「毒も薬も食べ物も、口に入るもの※、という意味においては同じなのです。体が実際に取り込んでも問題ない量がそれぞれで異なっているだけなのです」とおっしゃった。

(※厳密には薬は必ずしも口から服用するものだけではないが、概念的なことを学生に伝えるため、この講義においては薬を「口から入れる」ものと定義されていた。)

例として挙げられたのがジギタリスという薬だった。これは心筋細胞内のカルシウムイオン濃度を高めて心筋の収縮力を強くする作用があるため心不全などの症状を改善するために使われている。しかし治療に対する有効域(適切な治療効果を得るための血中濃度の範囲)が狭く、オーバードーズになると死に至ることもあるという理由から、ジギタリスを服用する患者については注意深く血液濃度を観察する必要があるということだった。歴史的にはジギタリスを毒薬として人を毒殺をするために使われたこともあったそうだ。

水でさえ、一日10リットルも飲めば水中毒で死んでしまう可能性がある。大量の水分で体内の電解質のバランスが崩れてしまうからである。「クマの肝臓を食べてビタミンA接種過剰からの中毒になった話もあります(肝臓に多くビタミンAが含まれているから)」など、那須先生の講義では、毒物から食物まで、ヒトの体にとってそれぞれを適量摂取することが極めて重要であり、それをコントロールすることが薬学の基本であるということを事例を交えながらわかりやすく丁寧に説明いただいたのだ。人の健康を維持し、病気を治療するためには栄養学に関する知識も重要であるということ、すなわち医食同源という言葉を実感をもって理解した講義でもあり、薬学ほど奥が深くて面白い学問はない!と、激しく感動したことを今もはっきりと覚えている。

その後に受講した薬学に関する講義は化学や物理、生物学はもちろんのこと、いずれも興味深いものばかりであった。生薬学については附属の薬用植物園を管理されている教員からの講義があった。「生薬学」なので漢字ばかりの講義で、それぞれの名前を覚えるのが大変だったが、正倉院に保管されている生薬を分析する研究の話などについても伺え、薬学の講義のはずなのに、中国と日本の古代ロマンに想いを馳せた。大学の4年間、学べることが非常に多く、それがただ嬉しくて、それぞれの教員の言葉を一語一句聞き漏らすまいと、講義では必ず一番前の席に座り熱心にノートとったものだった。

製薬企業に入って創薬に関わるようになると、幅広いバックグラウンドの人材が入り混じって一つの製品を市場に出しているのだということを実感した。薬を適正に使用(それぞれの患者さんに対して適切なお薬を適切に処方いただくこと)するためには、臨床でどのように薬が使われ、どのような患者さんにどのような効果や副作用が認められているかについて多くの臨床データを集めて解析する統計学、患者さんのためにどのような新しい薬を開発していくべきかを決めるためにはマーケティング、つまり経済学も必要である。薬を製品として上市(市場に出す)ために必要な薬事申請においては、相当量の文書を準備をするための「メディカルライティング」が重要で、伝えるための文章を書くということでは文系的要素も多分に必要である。薬の開発においては薬機法(医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律)と呼ばれる法律の他にも多くの規制があるため法学的な要素も求められる。

製薬企業が医薬品を市場に提供するまでの行程は複雑で、それに費やす年月は10から15年といわれ、数千億円というコストと、数千人の人材が必要であると考えられている。人材としては薬学部にこだわるものではなく、理学部でも工学部でも、農学部でも法学部でも文学部でも、その他、一見創薬に関係なさそうな学問であっても、ありとあらゆるバックグラウンドの方々が必要だ。例えば、薬は患者さんに服用していただかないと当然効果が出ないので、患者さんに、薬を服用しなければならないという気持ちになってもらうための心理学的な要素も必要になってくる。

有効な治療薬のない(アンメットニーズのある)疾患が世の中には3万以上存在すると言われているが、従来の技術では解決されてこなかった疾患が多く残されていることから、革新的な技術は日々求められ、必然的に創薬の難易度は年々増している。アンメットニーズを満たすために、薬学はますます多くの学問を融合させていく必要がある。薬学以外の学部を専攻されている方々の中で、創薬という領域に興味を持っていただける方については、それぞれの専門性をしっかり生かしていただきつつ、共に悩み苦しみ、知恵を絞り汗をかいて、アンメットニーズに挑戦していけるなら大変ありがたいことだと思う。

そして、薬学を専攻している学生については、例えば分子生物学といったジャンルで一つの専門領域を選んで深堀していくことも可能であるし、そうした人材を社会はもちろん求めている。一方で、薬学部では多くのジャンルの学問について学んでいるはずであり、その特性を生かして究極のジェネラリストとして、複数の学問を体系的にまとめて一つのプロダクトを作っていくためのかじ取り役(オーケストレーション)を担うこともできるはずである。社会においては創薬に限らず各所でこうしたジェネラリストが求められている。ジェネラリストとしてオーケストレーションする人材としてのキャリアも是非視野に入れて大学で大いに学んでいただけると良いと思う。

京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構
鈴木 忍

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