「倫理」がなくなる未来を考えてみた。
私の勤務校では先日退任式が行われ、別れを惜しむ季節となっています。
この時期になると、いつも「当たり前だと思っていたことは、実は当たり前ではない」ということに気づかされます。
教員という仕事はチームプレー。
どれだけ先生方に救われてきたか。
感謝の気持ちを常に忘れず、仕事をしていこうと思っています。
さて、今回は人との別れではなく、あえて科目との別れを書きます。
というのも、来年度以降の地歴公民科の動きや熊本県で有名な倫理の先生の人事異動、教科書の出版社の方の話を聞きながら、
「倫理」という科目の重要性が薄れていくのを感じ、一筆書きたいと思ったからです。
授業担当者として感じている現状と危機感をお伝えできれば、と思います。
■「倫理」が必要でなくなる理由。
令和4年度から、公民科のカリキュラムが以下のように変わります。
倫理・政経の選択は旧帝大クラスの大学が多いです。
熊本大学だと、法学部は倫理・政経が必須です。
選択科目ながら、偏差値上位の国公立大学に行くためには、文系は実質的に倫理は必修でした。
もう一つ、公共・歴史総合という選択科目もありますが、公民科という区分でいくとこの2つになります。
公共・倫理があるなら倫理は無くならないじゃないか、と思うかもしれません。
しかし、個別の大学入試試験を考えると「公共・政治経済」を選ぶ人がほとんどであると考えます。
実は倫理を二次試験で課す大学はほとんどありません。
倫理の問題で最難関であったとされる一橋大学は今年から倫理を廃止。
上智大学神学部も倫理を廃止。
現在では筑波大学の入試で「倫理・政治経済」の問題が出題されるくらいになりました。
対して政治経済を二次試験で課す大学は多いです。
九州の方だと、地元の熊本学園大学をはじめ、
福岡大学、九州産業大学、西南学院大学などがあり、私立大学で「政治経済」の二次試験があります。
すべり止めとしての私大受験を含めても、やはり「公共・政治経済」を選んで政治経済をメインに学習した方が受験生にとっては効率が良いわけです。
となると、ますます倫理は選ばれなくなります。
■「倫理」がなくなったときに心配していること。
一番は「自分の人生について考える」機会が失われることです。
高校生はあらゆる知識を習得し、自分のものの考え方を形成していく時期です。
その時期にギリシャ哲学や三大宗教、儒教や日本思想、西洋近代思想を学ぶことは、とても重要であるように思います。
古今東西の思想と自分の生き方を照らし合わせ、生き方を考えるという経験は、時間に余裕のあるときにしかできません。
漫画『ここは今から倫理です。』の1コマに、以下のようなシーンがあります。
こののちに主人公の教師である高柳が言った
「選択科目だけど、人生の必修科目」という言葉が胸に突き刺さります。
すぐには役に立たない。
けれど本質を考え、人生を俯瞰することができる。
これほど根源的な問いは無いように思います。
答えがないからこそ、古今東西の哲学者が悩みに悩んできました。
考え抜いた内容が、倫理の教科書には多く記載されています。
その「考え方」に深く共感したり、あるいは批判したり。
そういう事を繰り返しながら、自分がどういう考え方をしているのかに気づきます。
日本の中枢に行く人材が倫理を学ばない、となると、
自分の心と向き合わず、自分の信念や倫理観以上に利益だけを追求するような人が多くなり、
さらに分断された社会になるのではないかと危惧しているところです。
■まとめ
専門の科目であるため、熱くなってしまい、思ったよりも長文になってしまいました💦
資本主義が日本を覆っている以上、「役に立つかどうか」が指標となり、
その指標に合わない「倫理」はこれから先無くなっていくように思います。
悲しい現実ですが、機会を見て倫理観を問うような言葉かけをしていきたいと思います。
最近、渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいますが、やはり倫理観の重要性を感じます。
その価値に気づいてくれたら嬉しい限りです。
教育のこと、授業をしている倫理や政治経済のこと、熊本の良いところ…。 記事の幅が多岐に渡りますが、それはシンプルに「多くの人の人生を豊かにしたい!」という想いから!。参考となる記事になるようコツコツ書いていきます(^^)/