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中井久夫 『「昭和」を送る』 みすず書房

本書は『神戸新聞』、『みすず』などに掲載された随筆をまとめたものだ。標題作が読んで見たくて購入した。私は1962年生まれなので戦争の経験は無いのだが、徹底的に敗戦した国土の復興、経済成長、成熟、衰退という自分が生きてきた社会環境の変化と、自分の生理的な成長、成熟、老化という変化がシンクロしているように感じられて、何となく、収まりが良い人生だった。その自分を形成した昭和という時代に強い関心があり、それがさらに強くなる一方であるということは、自分が老化の先に向かって心の総まとめに向かっているということなのかもしれない。

本書に収載されている短篇の方の『「昭和」を送る』には「ひととしての昭和天皇」という副題が付いている。本篇はその昭和天皇の御製で始まる。

昭和天皇の最後の二つの和歌には、世を去る心の準備の成熟があると私は思う。
昭和六十三年の
「道灌堀 七月」
夏たけて堀のはちすの花みつつほとけのをしへおもふ朝かな

および
「那須の秋の庭 九月」
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ

である。昭和天皇は最後の夏に「ほとけのをしへ」に心ひかれていたことがわかる。ちょっと「ほう」と思う。また絶筆となった後の歌には、かねてこころを寄せ、こころの寄りどころとしていた重要な対象から心理的に撤収してゆく「死の受容」があると私は思う。鳥が飛び去ったあとの寂しい空白である。意識を失われる直前の作である。

84-85頁

市井の人ならば、「世を去る心の準備の成熟」で済むことなのだが、御製となるとそうはいかない。少し前までは現人神あらひとがみとして信仰の対象でもあった人だ。ひとり去られてしまうと途方にくれる人が大勢取り残されてしまう。戦後43年を経てもなお、自己の拠り所の一つに天皇を据えている人は少なくなかっただろう。

中井はここで二つの臨床事例を挙げている。一つは、天皇の病状悪化と同時期に十二指腸潰瘍を発症し、崩御の後に寛解した男性だ。この人は発症当時43歳で、敗戦当時は満一歳に満たなかった。発症は仕事で渡米する直前でもあり、そのストレスの可能性も当然にある。しかし、中井は引き揚げ体験と崩御前後の十二指腸潰瘍との関連を示唆している。

 この人は、一歳未満の嬰児の身で、母、兄姉とともに旧満州から引き揚げてきた。父は中国の鉄道修理のために長期出張していた。母と兄と姉と四人は、日本人数百名の集団に加わって南へと向かった。ソ連兵の姿はもはやいたるところにあった。日本人集団は、昼は幼児たちを野中に置いて、離れた森の中で息をひそめた。幼児たちは、運命の手に任されたわけである。ぎりぎりの知恵であったろう。ソ連兵は泣き叫ぶ嬰児の集団には手を下さない確率が高い。御存知の方もあるかと思うがロシア人は想像以上の子煩悩である。
 夜になると、大人と年長児たちは、こどもを連れ戻し、森の中を夜じゅう歩きとおした。朝になると、また嬰児を置き去りにして、息をひそめた。皆は無事日本に帰りついた。駅長の父も中国から無事に引き揚げてきた。
 しかし、こどものもっとも恐れるのは「見捨てられること」である。こどもはおのれの無力を痛いほど知っている。そして、言語意識以前の体験は恐ろしい。言語には、強烈な悪夢的な体験を減圧させる機能がある。遺棄と拾い上げの繰り返しが嬰児たちに与えた影響は想像を絶する。

86-87頁

満州からの引き揚げについては、森繁久彌の自伝でしか体験記を読んだことがないのだが、よほど強烈な体験だったようで、森繁はあちこちに繰り返し書いている。亡くなった後に『森繁久彌コレクション』として著作を集めた全集が出たが、「自伝」だけで一巻を構成し、その主要な部分の一つが引き揚げの話だ。私はそれを読んだ。過酷という言葉で片付けることができないほど過酷なものだったらしい。

もう一つの事例は崩御時に三十歳代後半だった男性だ。この人の父親は海軍の軍人で、戦後も天皇崇拝者であり続けた。そして、天皇崇拝を幼い彼に説き続け、彼もまた天皇崇拝者となり、高校卒業後に自衛隊に入隊した。しかし、少年の頃から「殺さねばお前を殺す」という天皇の声の幻聴に苛まれていた。意識の上では天皇崇拝なのに、幻聴は自分に敵対するかのような天皇の声が聞こえるというのである。

もとより、「天皇」は「父親」が投影されているスクリーンに過ぎない。幼児期には、親のやさしいよい時と不機嫌で辛く当たる時とを、同一の親と認識できず、「よい親」と「わるい親」とを別個の人物と認識することがある。これが成人になって意識の中に現れれば、「よい親」と「わるい親」との分裂となる。父親=陛下は通常意識世界の「よい陛下」と幻覚世界の「わるい陛下」とに分裂していたのである。

88頁

この人は、崩御をきっかけに、幻聴の声の内容が「和解しよう」「仲直りしよう」「もういいではないか」に変わり、目立って幻聴の症状が改善したという。

おそらく、意識するとしないとに関わらず、人は国家という社会集団に対し家族という身近な社会集団の相似形を重ねているのではないだろうか。さすがに天皇を国父と認識する人は今では少ないとは思うが、例えば野球のWBCとかサッカーやラグビーのワールドカップとかオリンピックのような場面で「日本」あるいは「日本人」として一体であるかのような幻想に浸る感覚があるとすれば、国とか国家という社会集団に対して自己同一性を感じているということになる。ネットでよく見かける「日本人すげ〜」的な物言いの背後にもそうした意識が働いているはずだ。その類の自己同一性の対象に皇室がある人は案外少なくないのかもしれない。二番目の症例の人のように、それが顕著な場合、自己の根幹のそのまた中心に近いところに自分の庇護者としての父=天皇の存在があったということだろう。

自分=日本=天皇という自己認識があればこそ、日本が文字通りの焦土と化すまで「一億玉砕」を標語にして死に物狂いで戦ったのであり、それは自己や国に重ねる対象が異なるとはいえ欧米の人々も同じようなことがあったはずだ。戦争に敗北したからといって、容易に自己の中身を変えることができるはずもなく、その「敗北を抱きしめて」戦後を生きた人が多かったのだろうし、また、そうしないことにはどうしようもなかっただろう。

確かに、敗戦後に掌を返すように敵将だったマッカーサー元帥を奉る向きもあった。「拝啓 マッカーサー元帥様」という手紙が記録に残っているだけで41万通超もあるそうだ。マッカーサーが天皇に取って代わることを見込んでという打算的なところもあったかもしれないが、素朴に心の拠り所を求めていたというだけのことかもしれない。人は社会的な動物なので立場や状況で態度を豹変させることに何の抵抗もないという場合もある。

東日本大震災の写真集『生きる』が手元にある。そこに収められている写真でこういうものがある。

公益社団法人 日本写真家協会 編 伊集院静 解説『生きる 東日本大震災から一年』新潮社

崩御から22年後、2011年3月11日の津波で流された家屋の中に昭和天皇の御影があったということを示す事例である。おそらく今でも家に天皇の御影を飾っている家はあるだろう。

落語に登場する長屋には当然のように仏壇がある。商売や家内工業を営む家には神棚がある。日本の船には操舵室に神棚を祀ってあるものが今でもあるだろう。少なくとも横浜に係留されている氷川丸にはある。飲食店には入口に盛り塩を置いているところが少なくない。今は仏壇のある家は減っているだろうが、古い家には仏壇や神棚があるのが当たり前というところがある。2019年の夏に気仙沼に遊びに行った折に、たまたま拝見する機会を得た津波跡に再建された商店の住居部分にも立派な仏壇と神棚があった。

人は現実の表層がどうあれ、心的世界の方にはそれ相応の座標軸や構造を持っていて、意識するとしないとにかかわらず、そうした構造や秩序の象徴のようなものを具現化することで安心するというところがあるのだと思う。いわゆる「宗教」という形をとるか否かは別にして、日本人の心的世界には何らかの形で神仏や天皇が核として存在している。そこに実体は必要ないのである。何かがあると思うことができるだけで十分な核があるということだ。その核を持つことができないと、「自分」とか「自意識」が形成できない、ということではないか。

しかし、神並みに扱われる方にしたら、これは大変なことだろう。天皇も人間である。社会での役割が異なるとはいっても、市井の人々と同じ生理精神を備えている。それが自分にはどうすることもできないところで神のように崇められ、また、神のようであることを期待されるのである。人が人を人として扱わないことの不条理がそういうところにもある気がする。権力の側の人間はただその権力に胡座をかいていれば事足りると思うのは権力から遠いところにある者の無思慮でしかない。人はそれぞれの立場に応じてそれぞれの自己の構築や設定に苦慮するのが当たり前だと思う。苦慮がないとすれば、そもそも「慮」がないということだ。それはともかく、その不条理を我々はどのようにして克服してきたのであろうか。それもまた私にとっては謎である。現に天皇制は大和朝廷以来ずっと続いて今日に至っているのである。

キリスト教やイスラム教では神は唯一絶対神だ。仏教は釈迦という実在したことになっている人の教えであって、そこは「神」のある宗教とは信仰の体裁が異なる。しかし、実在したとしてもうんと昔の人なので、どのようにも奉ることができる。つまり、神や仏を人とは別物とすることで信仰は飛躍が可能になる。人種や文化を超えて拡がる普遍性を持つことができる。しかし、その分怪しいところも濃厚になる。

神は信仰があってこそ意味を持つ。奉る側と奉られる側との協働による共同幻想を作り上げなければならない。奉られる側が生身の人間であれば、その精神上の負担は並大抵ではないだろう。よくも今まで続いているものだとただただ感心する。

終戦に際してGHQが天皇制に手をつけなかったのは、おそらく、それを廃した場合の影響が予測不可能だったからだろう。つまり、それくらい真剣に敵を研究していたということでもある。そういうところも含めて、学問や科学技術、もっと言えば人間の叡智というのは大きなものだと思う。勝ち負けということで言えば、やはり、叡智に優れた側に当然に軍配が上がるのであって、運不運が先にあるのではない。

仮に世論調査のようなことをすれば、今の時代に天皇を身近に感じて暮らしている人というのは少ないかもしれない。信仰について同じような調査をすれば「特定の信仰はない」との答えが一番多いだろう。だからこそ、相対に信者が少ない新興宗教が社会の中で無視できない程度の影響を持つことができるのである。尤も、世は「グローバル化」とやらで、人は共同体への依存を弱め、個としての在り方をより強く感じるようになっているらしい。磐石の支持基盤を維持してきた公明党ですら、選挙で票を落とす時代になった。世は「グローバル化」とやらで、一緒に暮らす相手よりもどこの誰だかわからないネット上のつながりの方により強い親近感を抱く人が増えているかもしれない。つまり、個人が従来の共同体を離れ断片化しているのかもしれない。しかし、それでもまだ国家として機能できているのは、何かしら求心力のある権威が存在しているからであろう。

権威というと個別具体的なものであるかのような語感を覚えるかもしれないが、共有する文化とか習慣のような漠然としたものだ。単なる習慣が権威と化しているところもあるだろう。むしろ、漠然としていた方が求心力が強く長く働く。そう思って世間を眺めると、近頃流行の闇バイトも金銭教の神がなせる技なのだろう。金銭は観念だ。それ自体は単なる数字に過ぎない。その数字のためにいとも簡単に人生を棒に振るのは、「一億玉砕」の共同幻想と通底するものがあるのかもしれない。

文化庁が毎年『宗教年鑑』を発行している。1949年から毎年「宗教統計調査」というものが実施されており、暦年末時点での宗教団体数、宗教法人数、教師数及び信者数が翌年12月に公表される。現在公表されている最新の統計は2022年12月9日に公表された2021年12月31日時点の数値だ。それによると2021年末時点で宗教法人の数は179,952であり、信者数の総計は179,560,113人だ。総務省統計局の統計によると同年10月1日時点の推計人口は125,502,290人。人口の方は生まれたばかりの人から死ぬ寸前の人までの数だが、信者はその宗教を信じるとの意思表示をした人の数だ。宗教団体によって「信者」の定義が異なるので、数字の中身は人口ほどはっきりはしていない。それにしても、額面だけで宗教の信者の数が人口の約5割増しというのは、ちょっと笑ってしまう。日本国憲法では信教の自由が保障されている。心の拠り所はたくさんあった方が安心かもしれない。また、心の拠り所が宗教でなければならない理由もない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法

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