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中井久夫 『私の日本語雑記』 岩波現代文庫

以前にも書いたが、言葉というものに興味がある。言語学者以外で言葉を職業として研究しているのは人類学者と精神医だろうか。中井の本業は精神科医だが、学生時代に文学か医学かで進路を迷ったそうだ。医学の道に進んだものの、詩の翻訳でも『現代ギリシャ詩選』やヴァレリーの『若きパルク/魅惑』といった仕事を残している。本書は岩波の雑誌『図書』に2006年7月から2009年5月までに隔月で掲載された中井の随筆をまとめたものだ。一冊の本として書き下ろされたものではないが、雑誌の連載なのでそれなりのまとまりはある。

あまり縁がないので知らないのだが、精神科医というのは患者との言葉のやり取りを通じて患者の精神の異常を判断し、その修正というか治療をするのだろう。もちろん、脳は「化学袋」と呼ばれる組織なので薬剤を内服して、その化学を直接的にどうこうするのも治療ではあるのだろうが、人には、つまり、脳そのものには、習慣や慣性というものがあるのだろうから、化学成分を統計的に「正常」とされるようなものに修正することで思考や行動の「異常」が「正常」になるわけでもあるまい。やはり問診や問答で患者に何事かを自覚させたり覚醒させることを避けて通るわけにはいかない。そこには言葉というものをしっかりと理解している必要がある。そういう立場の人が書いた随筆であり、「雑記」なので、やはり引き込まれるところが多い。

よく夢を見る。夢は誰でも見るのだろうが、齢を重ねて睡眠が浅くなったのか、夢の途中で目覚めることが多くなった気がする。夢は覚めた直後は覚えているが、すぐに夢を見ていたことさえ忘れてしまう。たいていは気にも止めないのだが、登場人物が妙に印象的であるとか、展開が激し過ぎたりすると、その断片が心に残ることがある。起床して一段落する頃には、そういう断片も僅かになっていて、目覚める直前に夢を見ていたということだけしか憶えていなかったりする。そこから僅かな断片を素に、その夢を反芻しようとしてしまう。それで、なんとなく筋のある話を拵えて「思い出した」つもりになるのだが、たぶん、それは見ていた夢とは全然違う。

実際に見たであろう夢と、こんな「夢」を見たと覚醒後に拵えたものとが別物であるのは、自分でもわかっているつもりなのだが、断片だけのままで放っておけない。覚醒していると、自分をしっかりとした座標の中に位置付けて、認識している世界に意味を与えておかないと不安なのだと思う。拵えた「夢」は自分をその座標に置くのに都合の良いように説明できる、つまり、言語化した「夢」であって、本当に見た夢は言語を超越したところのものなのだろう。

夢が、朝醒めた瞬間は夢特有の豊穣多産多面性を持っているのに、これを言葉にすると、枝葉がすっかり払われて、単純なストーリーに収斂するのと似た過程である。夢はとらまえがたいけれども、思考の原型の一つである。
 子ども時代は夢の恐るべき多重性に直面していた時があるのかもしれない。(そのもう一つ前にユングの言う元型あるはアーキタイプがあるのかどうかは目下は神のみぞ知るである。もっとも、それらは胎児が聴覚、味嗅覚、触覚のほうを視覚よりも先に発達させていることを考えるとどういうものでありうるだろうか。)
 夢を怖がっていた子どもが、夢を言葉で表現すると同時に格段に楽になり、余裕をもって夢に対峙できるようになる。(略)「夢」といったが、目覚めた時に覚えている夢は前夜の夢作業(夢思考)が消化できなかった残滓である。夢のわかりにくさの半分以上はそのためだと私は思う。

44-45頁

「あなたの夢は何ですか?」と言う時の「夢」と、「昨夜見た夢はね…」と言う時の「夢」とは別のものなのに、どちらも「夢」と言うのは何故だろう。どちらも捕まえどころのないものを言語化してそれらしく取り繕ったものなのだという整理は何となくついた気がする。これまでの自分の60年を振り返ってみれば、確かに細々としたどうでもいい破綻を取り繕うことの歴史だったかもしれない。

おそらく、取り繕っていることは自分のどこかで後ろめたい事として自覚している。だから起こってしまったことの記憶は因果関係であるとか論理的な道筋の明瞭さが殊更に要求される。現実の物事は混沌としていて様々な偶然が重なって事象が生起しているにもかかわらず、何がしかの「正解」があって、それを辿ることで物事に「成功」すると思い込んでいる。そんなことがあるわけはないのだが、そう思い込まないことには本来不定形で無力な自己は不安に押し潰されてしまう。

記憶というものは、思い出すたびに不安定化して、記憶主は不備と思うところを補うそうである。それから改めて海馬を扁桃核のモニター下に通り抜けて、新しい長期記憶としてどこかにどういう形でかは目下わからないがしまい込まれるそうである。これは頻繁に同じことを思い出させる自白というもののつくるワナであり、また助言や言語的心理療法が「有効」である根拠ともなる。(略)語る者は語る過程で不安定化をこうむっており、それがそのまま聴き手に入る。聴く過程には他にも不安定な要因がたくさんあるが、本質的には不安定さも必ずあるわけで、それを補いつつ取り入れるのである。対話は不安定化をしあうことでもある。後で思い出すたびにも不安定化するのであろうか。それ以前の記憶はどこへ行ってしまうのだろうか。わからない。

60-61頁

最近はあまり聞かないが、「書いたものがモノを言う」という。生活の実務においては「事実」とか「証拠」が確たるものとして尊重される。しかし、その「事実」が誰にとっても同じ価値を持つ普遍的で不変のものであるかどうか、実はわからない。過去が普遍的で不変の「事実」だけから構成されているのであれば、歴史論争だのそういう類のことに起因する紛争など起こるはずがない。現実には世界中至る所に歴史論争の類があり、誰も暮しようがないような瑣末な島を巡って大勢が寄ってたかって大論争を繰り広げてみたり、ひどい時には殺し合いになったりする。ここにこういう文書がある、こういう証拠がある、などと言うのだが、それはその時にそのように書いたり決めたりしたことであるというだけのことで、そういう刹那のことが普遍的に不変であるかどうか…… まぁ、そういうことなのだろう。

 そもそも言語とは、通じ合えない複数個の存在である。言語は初めからバベルの塔以後だったのだ。もっとも、ユーラシア大陸の大部分の言語は深部構造に共通性があるという人もいる。しかし、ニューギニアではすぐ隣の部族がすでに深部構造の共通性さえない、非常に異質の言語を話しているそうである。こうなると、言語は、部族限りの秘密を守る手段となってくる。言語が複雑になってゆくのも、隔離性を人々が必要とするからではなかろうか。

285-286頁

先日、整体の施術を受けているときに整体師との会話でこんなことがあった。

「俺さ、好きな料理って無いんだよね。なんでも食べるんだけど、「好物」とか特別「好き」っていうのはね。」
「あ、それわかります。おにぎりで具を選べって言われると」
「いや、具いらない。旨い飯で塩にぎりが一番」
「そうそう、味噌だけとか」

2023年5月9日夕方 都内某所で整体施術中の会話

日常会話の中で我々は「どこそこの○○が美味い」とか、「家で食べる○○が一番」とか、食については料理のことを語ることが多い気がする。食とか食べるということは生きることの基本だ。そこを語るときに自然に調理されたものを取り上げる傾向が世間にはある気がする。たぶん、所謂「おふくろの味」とか「老舗の味」とか誰が何を思って付けたのか不詳の「星」がついているレストランとか、社会の中で言語化されたパーツやタグに「自分」を適合させる作業を行うことで「自分」を「社会」あるいは生きる場の座標に位置付けているのかもしれない。その整体師との会話で「好きな料理」が無いことが話題に上がったとき、なんとなくほっとした。

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