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家族考 『「つながり」の精神病理』

私が高校を卒業したのは1981年3月だ。高校在学中の1980年11月29日に神奈川県川崎市高津区で浪人中の男性が両親を金属バットで殺害するという事件が発生した。犯人の男性はその高校の卒業生だ。今と違って当時は犯人の実名や出身校などが当然のように報道されたので高校の知名度が一時的に急上昇した。同年4月に大学に入学し、第二外国語の最初の授業で自己紹介をさせられた際、出身校を言った後に「ちなみに両親は健在です」とやって少しウケた。

本書にこの金属バット殺人事件についての中井の考察がある。この事件は所謂「家庭内暴力」の過激な事例としてマスメディアで扱われていた記憶があるが、中井は真逆の事例だと言う。暴力が無かったから、暴力がそのような形で暴発したというのが中井の見立てだ。詳細は本書の90頁から97頁にかけて記述されている。その中で、殺害された両親の出自から事件に至る家庭生活まで、本人を取り巻く環境を詳細に解説していることが印象的だ。

中井の書いたものを読むようになってから知ったことなのだが、精神疾患の治療というのは患者本人だけではなく、その家族全体の治療らしい。

 家族は、「父」「母」「息子」「娘」など、神話的な元型といってよいものによって構成された堂々としたシステムである。そうではあるが、決して自己完結的な系ではない。しばしば家族研究において家族を閉鎖系として扱うのは、それではなぜだろうか。分析がやさしくなるということはあるだろうが、それだけウソくさくもなる。

「家族の表象」本書39頁

開放系ならば、当該家族だけなく、その「患者」の関係先遍く治療の対象になって然るべきなのだろう。関係というものは際限がないので、厳密に患者を取り巻く関係性を追っていたら、全世界を相手にしなければならない、なんてことにもなりかねない。しかし、ひとりの患者を診るのにそんなことをしていたら、精神科医という商売は成り立たない。

医学に限らず、物事はどこかで見切らないと、人は生活ができない。世界は見切りの上、便宜の上に成り立っているからこそ、適度な反応速度の下で生活がまわる。その代わり、便宜の間に矛盾が生じることを避けるわけにはいかず、その矛盾を克服するために更なる便宜や妥協を図り、それが新たな矛盾を生み、、、というのが現実だろう。世に「真理」であるとか、「本当のこと」であるとか、確たる事象の存在を声高に語る人々が胡散臭いのは、、、ま、どうでもいいか。

見切ることが、世に言うところの「信頼すること」なのかもしれない。現実の社会生活は、さまざまなことを「常識」であるとか「当然」であるということにして、過度な深入りを回避しないと機能しない。そういう「常識」や「当然」に当然の信頼を寄せるのも「大人」と呼ばれる成熟した人間の振る舞いであるとも言える。「大人」の狡さは、そうやって厄介事を巧みに回避する知恵というか御都合主義に根差しているのだろう。

社会化された対人関係ほど、理解よりも信頼の方が優先するだろうというのが私の考えです。先にも述べましたように、最近「家族の話し合いが足りない」とよくいわれますが、肝心な時に話し合いを避けるというのは問題でしょうけど、常時話し合いをしている家族というのは、日本では、それだけで不安定な家族といえるくらいでしょう。「さあ話し合いだ」という時は家族であろうと他の組織であろうと、少し険悪な雰囲気ではないでしょうか。
 日本の家族というもののむつかしさには、サブリミナルな(閾値以下の)コミュニケーションが非常に多いということがありますね。今言ったように、明言を交わすことはふだんはあまりないのだから。「今日のお父さんの帰ってきた時の様子、いつもと違うわよ」といったレベルの感じ方から始まって、その家の人にはわからないけれども、よそから入ってきた人にはパッと感じられるその家族独特の雰囲気、みそ汁の味がちがうように、一軒一軒ちがうものがありますね。往診などに行きますと、土間のにおいからしてちがう、ああいうものが家庭にはある。

「家族の臨床」本書77-78頁

家の匂いというものがある。どの家にもある。現在進行形で暮らしが営まれている家だけでなく、営まれていた空家にもある。今暮らしている団地に入居する前、同じ団地のいくつかの住戸を内見した。ドアの位置以外は同じ間取りのはずなのに、家具類が無い状態なのに、各戸各様の雰囲気が漂っていることが不思議だった。竣工から40数年、様々な人々の暮らしがそれぞれに染み込んだ結果なのだろう。そこに重層化されて在る過去は日曜大工レベルの改装工事くらいではびくともしない。人の在り様は有機無機の区分を超えて何事か強いものを発しているのかもしれない。

人の在り様、暮らしの在り様が劇的に激しいと、その変化に対応しきれず精神が失調を生じるのかと思っていたが、そうではないらしい。確かに、人類の歴史は彷徨と迷走の記録であり、大小様々な変化の中を生きるのが人の在り方の標準形だ。僅かばかりの経験の中から自分に都合の良いところを厳選し、そこに都合の良い屁理屈を重ねて拵えた「安定」「安全」「安心」なる妄想、いや理想を指向すると、その理想に踏み出す毎に、人類として十数万年かけて形成した「常に変化の只中に在る」という自然からは離れてしまう。つまり、不安定化してしまう。「安定」のパラドックスだ。「理想」に向かっているはずなのに、過度に深入りすると、心の在り様に変調を来たしてしまうのは、そのパラドックスに落ち込むから、ということだろうか。それとも単に妄想に溺れるだけのことなのだろうか。

病人の家族は孤立しやすくて、窮屈に動いていることが多いです。統合失調症家族の特徴はいろいろ言われてきましたが、私の言えるのはなんといっても偶発事が無さすぎるということですね。個人についてもそうです。普通はもうちょっといろんな事件を体験しながら大人になっていくんだけど、本人が憶えていないだけなのか、あるいは家族が孤立しているためにそうしたことが起こらないのか、とにかくエピソードが少なすぎるというのは私が駆けだしの頃から言われてました。

「家族の臨床」本書85頁

自分のこれまでを振り返るに、これ以上ないくらいに平穏であったと思う。貧乏であるとか、行方知れずの親類がいるとか、何度も転職したとか、
失業したとか、離婚したとか、民事訴訟の被告になったとか、逆上がりができないとか、多少の波風はあるものの、概ね平凡な日々を重ねて今に至っている。今更「エピソードが少なすぎる」と言われても何をどうしたらよいのかわからない。ただ、ここまで来るとあとは死ぬだけなので、この先は何があっても平気でいられる気がする。気がするだけ、かもしれないが。

社会変動の体験は、一般に個人は家族をとおして受けることが非常に多い。危機的な変動ほどそうである。社会対むきだしの個人という図式は、しばしば実際を反映していない。
 非常に小さな単位でありながら激烈な相互作用と本質に迫る変化とが起こってやまないという点で家族は独特な集団である。しかも個人は家族の中で生まれ、個人となる。

「日本の家族と精神医療」本書101頁

1962年頃にこの国に生まれると、生理的な成長、成熟、老化の推移と、社会経済の高度成長、成長鈍化、迷走の一連の遷移がちょうど重なる。幼年期から青年期に向けて、自分自身の成長と共に、身の回りの設備・道具類の機械化・電化が進展する。経済成長著しいので、物価は上昇するのが当たり前で、政府は物価の安定に腐心した。他所の国との成長格差も問題になり、一生懸命働いたら、他所から働き過ぎだと非難され、外国為替相場を無理矢理調整することになった。結果として輸出にブレーキがかかり不況になる。極めつきは、プラザ合意による円高不況とその対応としての過剰流動性に伴う「バブル景気」と呼ばれる投機熱だ。個人史としては、円高不況前夜あたりで大学を出て証券会社に就職した。

新卒の就職活動は全く不調で49社で面接に落ち、50社目がその証券会社だった。内定が出たのは大学4年の10月3日。なぜかはっきり記憶している。自分の中の株屋の印象は極めて悪く、まだ門戸が開いていた総合電機やマスコミを狙うという選択肢も残されてはいたのだが、なにしろ春先から就職活動をしていたので疲れ果ててしまった。でも、やっぱり嫌だなぁという気持ちが抜けず、気晴らしにインドを旅してみたら、ようやく踏ん切りがついた。

結果的には、円高不況とその後のバブル景気、さらにその後のバブル崩壊を証券会社の社員として経験できたことは幸運という言葉では尽くせないくらい幸運だった。何がどう幸運であったかということは敢えて書かない。幼年期の「狂乱物価」と社会人駆け出しの頃「バブル景気」の経験があるので、物価だけを取り上げてあれこれ訳の分からない議論を見聞きすると、違和感を禁じ得ない。

今は「いついつまでに年率ン%の物価上昇率を実現する」のが政策目標になっている。物価上昇は実質所得の減少と同義なので、政策として物価上昇を謳う背後にはその上昇率を超える経済成長・所得成長が暗黙のうちに想定されているはずだ。所得増加は国民の生業の振興と拡大があってはじめて実現する。つまり、産業振興策と物価目標は両建てでなければ意味を成さない。財界に賃上げを要請する他力本願的なことを「産業振興策」とは呼ばないし、そういう楽屋話のようなことが、政府の仕事・実績であるかのように報道されることに強烈な違和感を覚えるのは私だけなのだろうか。まさか、所得増加は自己責任で物価上昇は政策なんてことはあるまい。

家族は、人間が組織を作る時のモデルになる。家族という、順位づけられた人間の単位がなければ、多くの社会組織は生まれず、そもそも想像さえされなかっただろう。子どもが最初に学ぶ社会的用語は、父母ついで他の家族成員の呼称であり、それは基本的欲望を指す単語の習得と時を同じくしている。これらの親族呼称なしに子どもは生存しえないとさえいうことができる。
 ただ、ついでにいえば、家族よりも古いのは母子関係であると私は思う。あるいは古い層にあるというべきか。母子関係は家族の一部であるという考えは、実際はあやまった認識ではないか。

「日本の家族と精神医療」本書102頁

この国も暗黙のうちに家族をモデルにして形成されているのだろうか。日本の家族の特徴のひとつは「家族、特に子どもに対する父親の権威の弱さ」(106頁)だそうだ。「日本の家族は少なくとも江戸期から子どものコントロールに相当苦労している」(107頁)というのもある。子どもの家庭内暴力は戦前には既に問題となっており、江戸時代にまで遡ることができるらしい。

近頃ジェンダーの問題が喧しく言われるようになったが、これは家族の在り方とか母子関係の在り方と深い関係あるはずだ。つまり、一律に論じるには文化による差異が大きいのではないかと思う。他所で論じられていることを、そのままこの国に持ち込んで議論を仕掛けても話が噛み合うはずがないだろう。

 しかし、家族は意外に弱い、脆い面をもっている。特に、「会計の社会」(ロジェ・カイヨワ)という、国家やその下部組織が家族を管理し、税や人間を徴収する社会になってからの家族は、社会と個人との矛盾あつれきの戦場になってきた。家族は、ある種の条件にたいしては実に強靭だが、ある種の条件にたいしては実に脆い。たしかに、もっとも親密な人間関係の一つであるが、家族だからしてはならないこと、いってはならないことも決して少なくない。そもそも近親相姦の禁止の上に家族は成立していて、このタブーは人類よりも古いらしい。

「日本の家族と精神医療」本書103頁

ホモ・サピエンス以外の人類が滅亡したのは、家族の在り方の基本に近親婚があった所為だという話を聞いたことがある。人間は見知った間柄だけとの交渉の中で生活を完結させるのではなく、見知らぬ相手と知り合い、関係性の拡大を指向し続けなければ生存できないようにできているのだろう。そういえば、万葉集にこんな歌がある。

家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてしをれば、奥所おくか知らずも

折口信夫『口訳万葉集』岩波現代文庫 下巻 217頁 番号3896

「天平二年十一月、太宰ノ帥大伴ノ旅人、大納言に任ぜられて、都に上る際、伴の人たちが、主人と別れて、海上から都に上った時の歌。十首」のなかの一首だ。折口信夫はこの歌を「思想において優れている」とした。歌では、家にいようが旅の船上にいようが、「奥所」=「将来のこと」はわからない、と言っている。所謂「無常観」というやつだ。似たような世界観を詠んだ歌は他にもある。折口の『口訳万葉集』を読んだ時に目についたものに付箋を貼ったのだが、それを読み返したら以下の二首があった。

生けるもの竟にも死ぬるものにあれば、此世なる間は楽しくをあらな
世の中を何に譬へむ。朝発き、漕ぎにし船の痕もなきがごとし

折口『口訳万葉集』上巻 136頁 番号349、351

どの歌も先が見えないことを恐れるのではなく、開き直っているかのように見える。『口訳万葉集』の下巻の解説の中で俳人の夏石番矢は「たゆたいの不安をもてあます脆弱さよりは、その不安を楽しむ古代人のたくましい健全さがあるし、古来からたゆたう波路の苦楽を数えきれないほど経験してきた島国日本人の世界観が詩として結晶している」と述べている。「日本人」だけのことなのかどうか知らないが、「不安を楽しむたくましい健全さ」は広く人間の健康には必要な精神だと思う。個人も家族も、その「たくましい健全さ」がなければ機能しないものなのではないか。

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