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折口信夫 『口訳万葉集(上中下)』 岩波現代文庫

岩波文庫の『万葉集』は何年か前にボックスで買った。しかし、そのままだ。詩とか歌を読みながら通勤するってぇのはオツなもんだ、と思って買った。同じ理由で岩波文庫の『文選』も六巻全部買った。漢詩のほうは買ってみて気がついたのだが、読めない。読み下し文と注釈を行ったり来たりするだけで肝心の漢詩は漢字の羅列にしか見えない。オツもクソもない。しかし、一応気には留めている。だからたまに本屋の店頭で漢詩の参考書のようなものを手にしたりしてみるのである。そうやって一応目を通したのが先日書いた『精講 漢文』だ。

『万葉集』の原本は見た目が漢文だ。原本は現存せず、世間で言われている『万葉集』は写本に基づいたものだ。漢詩も交えている(「晩春三日遊覧歌」)。その時代にはまだ平仮名がない。「万葉仮名」と呼ばれているが、いわゆる「かな」ではなく、漢字を当てている。日本語の音を漢字で拾っているだけで漢字の字義は関係ないそうだ。それどころか、なまじ漢字の意味を思い浮かべてしまうと歌の意味を取り違えるらしい。当時は日本語と漢字との間に割り切った関係があったということだ。その割り切った関係があればこそ、大陸の叡智を活用しながら、大陸とは一線を画した独自の文化と世界に類を見ない長い歴史のある国を作り上げることができた、のではないか。ベタベタしてはいけない。求む、割り切った関係、だ。何の話だ?

近頃はグローバルだとか何だとか言って、長い年月を費やして培ったものを無視したり見捨てたりして、見境もなく他所とズブズブの関係を志向するようになったので、他所と同様にこの先は短命な国や文化になるのだろう。今まさにゴタゴタしている隣の大国は、ソ連としては1922年12月30日から1991年12月26日までしかなく、人一人の一生と同じくらいの寿命しかなかった。それぞれの土地に根ざす人々と連邦帝国の幻影に縋る人々との間で互いに譲れない何かがあるから、ああいうことになるのだろう。中国も中華人民共和国としては成立が1949年10月1日だ。まだまだこれからだ、と思うかどうかはそれぞれの立場と思惑によりまちまちだろう。太平洋を隔てての隣国アメリカは独立宣言の日を起点とするなら1776年7月4日成立で、国家として長い歴史があるとは言えないが、あそこは日本語で言うところの「国」と言えるものなのか。そもそも「国」とは何かというところから話を詰めないと、話にならないのかもしれない。

本書は折口が解釈した『万葉集』であって、万人が合意できるものなのかどうかは知らない。折口が本書を執筆するに至った事情は岡野の『折口信夫伝』にも記載があるが、本書の底本は『日本歌学全集 万葉集』(佐佐木弘綱・佐佐木信綱校註)だそうだ。折口は自身の価値観で「傑作」とか「佳作」という評価を下している。その「傑作」「佳作」とされた歌だけを集めて読み直してみると、折口の歌論になるはずだ。紙に「正」を記しながら勘定したら「傑作」が48首だった。その48首を帳面に書き写してみたが、それで点頭するようなことが無いのは凡人の悲しさだ。

その「傑作」の中で、下巻の解説でも取り上げられている歌がある。

家にてもたゆたふ命。波の上に浮きてしをれば、奥所おくか知らずも

下巻 217頁 番号3896

「天平二年十一月、太宰ノ帥大伴ノ旅人、大納言に任ぜられて、都に上る際、伴の人たちが、主人と別れて、海上から都に上った時の歌。十首」のなかの一首だ。折口はこの歌を「思想において優れている」とした。解説は俳人である夏石番矢。夏石のほうは旅人本人が詠んだ歌としているが、誰が詠んだかは私にはどうでもよいことだ。歌では、家にいようが旅の船上にいようが、「奥所」=「将来のこと」はわからない、と言っている。いわゆる無常観というやつだ。似たような世界観を詠んだ歌は他にもある。本書を読んでいて目についたものに付箋を貼ったのだが、それを読み返したら以下の二首があった。

生けるもの竟にも死ぬるものにあれば、此世なる間は楽しくをあらな
世の中を何に譬へむ。朝発き、漕ぎにし船の痕もなきがごとし

上巻 136頁 番号349、351

どの歌も先が見えないことを恐れるのではなく、開き直っているかのように見える。夏石は「たゆたいの不安をもてあます脆弱さよりは、その不安を楽しむ古代人のたくましい健全さがあるし、古来からたゆたう波路の苦楽を数えきれないほど経験してきた島国日本人の世界観が詩として結晶している」と述べている。「日本人」だけのことなのかどうか知らないが、「不安を楽しむたくましい健全さ」は広く人間の健康には必要な精神だと思う。

将来のことはわからない、だからわからなくていい、というふうに人間はならない。わかろうとする好奇心が本能のように備わっているものだと思う。神話は単なる作り話ではなく、そこには話が成立した頃の人類の科学の知識が目一杯に詰め込まれているのではないだろうか。その一つが天文への関心だと思う。歌にも七夕の織女(織姫)と牽牛(彦星)の話を下敷きにしたものがある。七夕伝説は大陸伝来だが、単なるファンタジーではなく、国の成り立ちを宇宙規模で正当化する方便としての神話の一部であろう。七夕伝説に関しては話の性質上、相聞歌とされるものが多いが、それにしても国産み神話と無縁とは言えまい。

やはり下巻の解説で夏石がこんなことを書いている。

現在の北極星はポラリスだが、地球の自転軸は少し回転のぶれた独楽のように、約二万六千年を一周期として徐々に交代し、およそ一万三千五百年前、織姫星ベガが北極星で天界の中心、宇宙軸だった。織姫は中国の伝説では、雲を毎日織っていたとされ、これはおそらくベガが北極星だった往古、天の中心ですべての雲を生み出していたと信じられていた記憶の余波ではないだろうか。

下巻 462頁

ちょっと気になったので、手元の『理科年表』を紐解いてみた。「天文学上のおもな発明発見と重要事項」の中に「殷墟甲骨文中の天文記事」というのがある。これは紀元前1300年代頃とされているので、今から約3000年前。果たしてベガが北極星だった頃の記憶の余波があったかどうか。

そのまま『理科年表』をパラパラと眺めていたら「地球の形と大きさに関する最新の値」というものが目に飛び込んできた。地球の形と大きさは時々刻々変化していて、その公式の値を国際測地学協会というところが何年か毎に発表しているのだそうだ。「あっ」と思った。地面はちっとも確かではないのだ。地殻の内側はマントルという液体状のものが対流している、なんてことは義務教育で教わった、はずだ。その地殻は複数のプレートに分かれていて少しずつ動いている、なんてことは常識だ。だから地震が起こるわけで、そもそも我々の生活は足元が揺らいでいる。先ほどの自転軸の話にしても、地球の自転だけでなく、地球が太陽の周りを巡る公転があり、おそらく太陽系丸ごと何かの周りを回っている。そして、その「何か」は別の何かの周りを回っていると考えるのが自然というものだろう。よくもまあ、こんなぐるぐるとしているところで毎日呑気に暮らしているもんだと、今更ながら気がついて、感心してしまった。

『万葉集』からとんだ方向へ脱線した。歌のことは、やはり、わからない。

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