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モヤモヤとスッキリ 第940話・8.22

「あいつ結局、海には行かなかったのか......」8歳年下の弟からのメッセージを確認した兄はため息をつく。引きこもりの弟を持つ兄は、少しでも弟が外に出る機会がないか考えていた。夏といえば海、開放的な海にでも行けば、引きこもりの性格も少しは変わることを期待したのだが、そもそも行かないとは前提として間違いであったようだ。

 兄は、スマホを置いた。気持ちがモヤモヤする。立ち上がって部屋から窓を見た。今日も空は青く晴れあがっている。「まあ、確かに今日は暑いだろうなあ」弟が前の日まで海に行くと言っていたのに。当日海に行かなかった第一の理由が「暑いこと」だ。確かに冷房の部屋で終日引きこもっていれば、この日差しをいきなり受ければ暑いだろう。あとは「熱中症がどうのとか」言い訳じみたメッセージが続いていた。

「まあいい、あと1か月もすれば秋めいてくる。そうすれば外に出やすくなるからその頃に、また話をしよう」兄は、窓を見ながらひとり呟く。もやもやは解消しない。「明日代わりに気晴らしでどこか出かけようか」と再度ため息。ここで入口の呼び出し音が鳴る。
「まさか?」兄はもしかして弟が来たかと思い、少し身構えた。だがドア越しに見えるのは親友である。「入っていいか!」
 兄は返事をするまでもなくドアを開けると、親友は何やら手土産を持ってきている。

「今日は休みだろう」「ああ、おとといから1週間の夏季休暇に入った。明日くらいどこかに出かけようとは思っているが、まあ今日は家でのんびりするつもりだったよ」
「そうか、いや昨日まで旅行に行ってきてお土産を買ってきたんだ」親友の顔はにやけ、口元が緩む。「見たところ、それは酒だな」親友はうなづく。右手に持っているエコバックの中には、箱に入った一升瓶のようなものが見え隠れしていた。
「いいだろう。休みだし昼間から飲むのも」

 兄は時計を見た。日差しは厳しく照り付けているが時刻は午後4時になろうとしている。この時間なら飲み始めるのに悪くはないだろう。
「飲むのはいいが、連絡もなく急にきたから肴になるものはないぞ。近くのコンビニでも行くか?」兄の言葉に親友は首を横に振った。
「いや、実はな肴になるのもあるんだ」と酒の入っているエコバックの中を見せる。その中には旅行先から買ってきたつまみらしいものがいくつか入っていた。

「へえ、ずいぶん用意周到だな」ようやく兄の表情が緩む。
「ああ、旅の途中からお前と飲む気満々だったからな」と親友。中に入ると、エコバックから箱に入った日本酒一升瓶、それから土産物屋で買ったのであろうと思われる。ビニールのパッケージに入った魚介類の乾きもの、さらに小瓶に入った塩辛のようなものを取り出した。

「おまえ、どこへ行ってきたんだ。うん、これは岐阜の地酒だな」兄は早速日本酒のパッケージを眺める。「そうだぜ。で、この肴になるような食べ物は福井の道の駅の土産物屋で買ってきた」
「え、岐阜から福井へ移動したのか?」兄は意外だった。思わず目を見開く。兄にとっては岐阜からだと石川県の方が行きやすそうなイメージなのに、親友は岐阜から隣の福井県を経由して帰ってきたという。
「まあ、ちょっと変わったルートを通ったんでな。そんなことは後でゆっくり話するからとりあえず飲もうぜ」

 兄は立ち上がりキッチンに向かう。兄は白くて底には「蛇の目」と呼ばれる青い二重丸が描かれているお猪口と、皿と小鉢を持ってきた。「袋から取り出してここに入れよう」親友は言われたとおりに、パッケージを開けて、中身をガラスでできた皿の上に入れた。瓶に入った塩辛は、少し深みのある小鉢に入れる。
「さて、カンパーイ」と同時にふたりは飲み始めた。ちなみに酒は一升瓶から直接猪口にそそぐ。お互い酒が好きだから注ぎあうなんてしない。飲みたければ勝手の飲めとばかりに手酌専門だ。
 さて飲み始めた序盤は親友が昨日まで行ってきた旅の話を延々と話し出す。兄はそれを聞き役に回っている。途中からはスマホを取り出して旅行先の写真を説明付きで見せはじめた。そうこうしているうちにふたりとも酒が好きなので、どんどん杯が空いていく。

 30分くらいすると親友の旅話がひと段落ついた。ここで兄はほろ酔い気分。酔った勢いもあり、ついつい弟への愚痴をこぼしだす。「へえ、そりゃあ大変だあなあ」早くも顔を真っ赤にして聞いている親友。
 本当に真剣に聞いているかどうかはわからないが、少なくとも彼はそういう風に見せている。それが親友であり続ける理由なのかもしれない。弟への愚痴も30分くらいは話しただろう。
 目の前に話せる相手がいたためだろうか、ようやく兄は親友が来る前に強く感じていたモヤモヤも見事にスッキリしている。
「まあ、なるようになるんじゃねえか。それより、せっかくの休みどこか旅行しないともったいないよ」「だな。さてどこに行こうか......」兄は腕を組みながら考える。
「例えば、俺が行った行程をそのままなぞるとか」「ええ、いいよ。今、話聞いたからもういい」「いや、話を聞くのと実際に見るのとは違うぜ」親友はやや据わった眼を見せながらしつこく絡む。

 兄はそれを充血した目で見ながら、頭の中を回転させる。
「だったら、逆回転にしようかな」と思いつくままに話す。「え、逆回転?」「つまり、福井から岐阜に行くということ。それだったら酒も福井の地酒で、岐阜の道の駅で肴を買ってもいいかな」
 それを聞いた親友は口元が緩み白い歯を見せる。「それは面白いかも。やってみたら、そしたら今度は俺の家で飲もうぜ」と嬉しそうな親友。ちょうど酒が空になったらしく、手酌で猪口に酒を入れる。
 兄は実際にそのような旅行をするかどうかは本当は決めていない。だが親友の嬉しそうな顔を見るだけで、猪口に入った酒を一気の飲み干す。こうして、またお互い杯が進むのだった。

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