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南海に向かいながら読んでた本 第533話・7.9

単独作品ですが こちら の続編のようなものです。
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「仕事の閑散期でよかった」1週間前に沖縄料理店で食事をしたときに決断した優奈は、すぐに会社に有給申請をした。優奈の業種が閑散期に入っていたため、たまっていた有休消化に対して異論なく承認される。
 そしてこの日、優奈は石垣島に向かう飛行機の中にいた。

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「また海陽君からね。さてここは空港ではなくて、オフィスで働いていることにしとかないと。彼のいる島に向かう船に乗るまで、黙ってるんだから」

 優奈は海陽と離れ離れになって2か月近くが過ぎた。いくらネットを介してメッセージやZOOMなどでコミュニケーションが取れるとはいえ、リアルで会えないことが辛い。声やその輪郭が見えても、そこにいると感じる息遣い、触覚的なものや嗅覚を通じて、彼との物理的な距離を感じてしまったのだ。

 そして優奈は今回、海陽に再会したらある探りを入れたいと思った。それはふたりの将来のこと。「すぐでなくてもいい。彼の本音が知りたい」

 飛行機は雲で構成された、ふんわりとした白い絨毯の上を飛んでいる。だが今回搭乗時に、航空会社から少し気になる情報を聞いていた。
『本日は上空の気圧が不安定で、揺れることが予想されます』
 優奈はあまり飛行機が好きではない。どうも高度1万メートル近くを航行することもあり、そういうことをついつい意識してしまう。「落ちたら終わり」と言う気持ちがあった。むしろそれは他の交通機関でも事故れば生還できない場合が多いが。

 だがそれだけではない。海陽と行ったちょうど1年前の同じ日。那覇からの帰りの便でも大いに揺れた。そのときは、動体視力が一瞬見えなくなるほど降下する。優奈は思わず隣に座っていた海陽の手を、しっかりと握しめた。そんな思い出がある。
「ジェットコースターみたいに思えばいいさ。7月9日はジェットコースターの日なんだぜ」と海陽はそんなことを言いながら優奈を見て笑っていた。
 でも優奈は知っている。彼も手から汗がにじみ出ていたのだ。あんなこと言いながら、おそらく相当怖かった違いない。そんな昨年の記憶が、優奈にとって実は搭乗の際の大きなトラウマとして残っている。

「今のところは大丈夫ね。それにしても興奮して眠れない。これ持ってきてよかった」優奈は手元のバックから読み続けている文庫本を取り出した。
「そろそろクライマックスよね」優奈が手にしたのは『浮雲』という小説。

 大まかな内容としては第二次世界大戦中でベトナムの高原都市ダラットで出会った男女の恋愛物語であった。終戦後に日本に引き上げるが、いろいろあり逃げるように南に向かう。そしてかつてはるか遠くの南の海まで向かった船が、終戦直後は占領されていたため、屋久島までしかなく、最後はそこに向かうという内容。
「今は飛行機で、屋久島よりはるか南の石垣島まで行ける。このふたりよりは恵まれているのね」
 優奈は頭の中でつぶやきながら、本をめくり、ゆっくりと読み始めた。機内はジェットエンジンの音が激しく鳴り響いている。だが読書に影響はない。

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 読み始めてから30分到着まではあと1時間ほどあるころ、異変が始まった。少し横揺れが起こり始める。優奈は後方の席に座っていた。そのためか後ろ側から揺れる音がするのだ。それでも読めなくはない。話の内容が面白いこともあり、気にせず本のページを進めた。ちょうどクライマックスで屋久島に向かう主人公の男女ふたりのシーン。
「物語だからかしら、こんなに強く結ばれたふたりがちょっとうらやましいかも」優奈は少し感情に浸ったが、それはその後、短時間でシャットアウト。
 機内の揺れが激しくなり、案内を告げる高い音が機内にこだました。それはシートベルト着用の合図。直後にアナウンスが聞こえる。
『シートベルト着用サインが点灯しました。当機は現在、大気の状態が不安定なところに入った模様です。気流の関係で大きく揺れる可能性があります。シートベルトをしっかりと占めて着席してください。またトイレの利用をお控えください』
「これは来るかも」優奈は大きく揺れることを警戒した。
 直後に激しい揺れが飛行機を揺らす。先ほどよりさらに激しい横揺れがしばらく続くと、気流に巻き込まれたのかとつぜん機体が降下。足元の重力が緩んだ気がした。こうなるともう読書どころではない。本を閉じた優奈は、そのまま目を閉じる。

 直後に先ほどよりも大きく降下。一瞬恐怖が優奈を包む。昨年のときほどではないにせよ、急激に高度が下がったことは違いない。
 機内では「ふぅー」という合唱のような声が響いた。優奈は片目を開いて様子を見る。雲の中だろうか? 窓の外は真っ白。その中を飛行している。
『現在大きく揺れて居りますが、フライトの運行には問題ありません。ご安心ください』とのアナウンス。確かに気流にもまれたときには、飛行機自体がバランスをとるために揺れているという。おそらく今回もそんなところのようだ。
 だが昨年のトラウマもあり、優奈は目をつぶったまま「海陽......」思わず心の中でつぶやく。昨年は隣にいたから、思わず手をつかめた。しかし今はいない。彼はこの飛行機が向っている八重山諸島にいるのだから。

 飛行機はなおも揺れるが、先ほどの大きなものはもうない。それもやがて落ち着いてくる。数分経てばようやくほとんど揺れなくなった。
 やがてシートベルトのサインも止まる。慌てて立ち上がってトイレに行く人の姿が座席の横を通り過ぎた。
「ふう」優奈は時計を確認する。「あと30分ほどかしらね」優奈はそう言って窓を見る。すると遥か南の海を飛んでいるのが分かった。
「もうすぐね」優奈は笑顔になる。よく見るとそこには小さな島々が眼下に見えたからだ。

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シリーズ 日々掌編短編小説 533/1000

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