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瑠璃色の紅葉 第661話・11.14

「圭さん、こっちだよ」ベトナム人のホアは、夫の石田圭を呼ぶ。そして息子の幸越を抱き抱えている。
「ホアちゃん、幸越のこともちゃんと気にしないといけないよ」「わかってる。でも、やっぱりお出かけは良いわ」ホアは満面の笑みを浮かべた。
 夏に子供が出来てから、初めて電車に乗ってのお出かけに、もっとも嬉しそうなホア。今日は紅葉を見るために住んでいるのと同じ京都市内にある瑠璃光院に向かっていた。
「叡山電車で八瀬まで来たのか、ホアちゃんここから比叡山はすぐだよ」「知ってるよ。でも今日はこっちだし」ホアは少し早足で寺の方を目指した。「今日のことがよほど嬉しかったんだな」圭は嬉しそうにホアの後を追う。

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 事前予約制でしか入れないこの寺院は紅葉の名所として有名。そのため寺の前には多くの人が来ている。ちなみに圭はホアのために、この寺院の紅葉見学をあらかじめ用意していた。
「でも瑠璃って確かラピスラズリじゃなかったかしら?」
「え?そうなの。知らなかった」子供が生まれても、いつもながらのホアの意表を突く質問に圭は慣れている。
「青い石の名前がついているのに、赤い紅葉の名所って面白いね」ホアはそう言って笑う。それに気付いたのか、抱かれている幸越の目が、うっすらと開いた。

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 手続きを終えたふたりは、順番に中に入っていく。決して大きな寺院ではないが、平日なのにもかかわらず人が多い。庭を見ながら建物の中に入り階段を上がる。「ここだよホアちゃん、有名なところ」
 2階に来るとくの字に開かれた間がある。そして真ん中に黒い漆が塗られていた大きなテーブルが置いていた。そこにみんながスマホを置き撮影をしている。「ここに置いて、撮るわけか」ホアはそうつぶやくと早速試す。圭も参加。「ほんとだ、下にも反射して写っているよ」

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 撮影が終わると、隣の部屋で写経ができるようになっていた。「やってみようよ。圭さん」ということで席が空くまで待つことになる。
 ところがここで思わぬアクシデントが起こった。突然寺の中で鳴り響く赤ちゃんの泣き声。一斉にみんなが声のする方を見る。
 そう幸越が突然見慣れぬ人がいて、かつ見たことのない場所におびえたのか泣き出したのだ。

「あ、どうしよう幸ちゃんが!」狼狽するホア「迷惑になる。外に出るか?」「イヤ!」今度はホアが少し大きな声を出す。「私は写経やりたい!」
「わ、わかった。じゃあ幸ちゃんを」状況を理解した圭は、ホアから幸越を受け取る。「俺は先に外で待っているから、ホアちゃん写経楽しんでくればいいよ」

 圭は泣き止まない幸越とともに部屋を出た。ホアは内心喜んでしまった。実は写経を楽しみにしていたのはほかでもないホア。静けさが戻った寺院内。ホアの番が回ってきた。
 ホアは座布団に座り正座。そして写経を始める。写経と言ってもすでに文字が薄く書かれていて、上からなぞるだけでできるもの。ホアは彼女なりに精神統一をすると、一気に写経を済ませた。

「圭さん、あ、いた」ホアは下の階にいた圭を見つけた。「あ、ホアちゃん、幸越は泣きつかれたのか寝てくれたよ。ふう」こうして幸越は圭からホアの元に戻る。「でも、ホアちゃん。ここもいい感じだよ」ホアは圭の言うように庭を眺めた。

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「ああ、いいね。苔の緑と紅葉の赤いのが目立っている」ホアは嬉しそうにスマホを構える。「よく見ると苔の間に紅葉が落ちているよ。やっぱり私は京都が好きみたいね」
「それはよかった。これでホアちゃんに教えてもらう京都のお出かけが復活だな」「うん、そのうち幸越も自分で歩けるようになったらもっと楽しいかも」

こうしてふたりは、体を寄せ合いながらしばらくの絶景を静かに眺めるのだった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 661/1000

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