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靴の音 第588話・9.2

「いやな夢だったわ」佐音(さおん)は起きても、しばらく余韻のように嫌な夢が、頭の中の記憶として残る。忘れたくてもあまりにも鮮烈だったので、ついつい思い出す。
 最もはっきり覚えているのは靴の音。跳ねるように乾いた高めの音が、定期的に音を鳴らしてきた。後ろから追いかけるように聞こえる。最初は後ろから、人が歩いているくらいだと思っていたが、その音がどことなく威圧的に感じてくると、それから逃げ出したくなる。

 夢の中だから実際に早歩きや走っているわけではない。けれど音から離れた気がしてホッとしていた。
 ところが突然音が大きく近づいてい来る。同じくらいの音が鳴る間隔なのに、音だけがどんどん大きくなった。それがすぐ真後ろで聞こえたとき、気がつけば、どこかの密室のようなところに監禁されている。
 そこから逃げようと、必死になっている間に目が覚めたのだ。

 こうして朝会社に出勤した。勤務中は流石に業務で忙しく、夢のことなどお昼前にはすっかり忘れている。そして何事もなく夕方を迎え会社を退社した。
「今日も残業ね。もう暗くなってるわ」佐音は、会社のあるビルから駅に向かう途中、近道をした。メインの通りなら駅まで15分近くかかる。しかしビルの合間の裏道を通れは5分近く短縮。朝もこのルートで帰る人が多い。そして帰りもそのはずだった。
「あれ? こんなに人が歩いてないなんて珍しいわね」佐音は時計を見た。時刻は午後9時を過ぎている。「最近は定時で帰る人が多いからかしら。まあ今日は、明日の商談の資料作りと最終チェックがね」
 独り言をつぶやきながら歩く。ビルの間の道は石を使っている部分があり、アスファルトよりも履いている黒いヒールの鳴る音が響いている。

「さて、今日は夜、遅いから近所のコンビニだな」佐音は頭の中で何食べようかと頭に思い浮かべていたが、妙な音がすることに気づく。「あれ、靴の音?」どこかで聞いたことのある靴の音が聞こえるのだ。
「これって、え、夢、ヤバい!」佐音は昨夜の夢の記憶がよみがえった。まさかの正夢ではと焦り、思わず歩速を早くする。一定だった佐音のヒールの音はリズムの間隔を急速に上げていく。そして前に進む。だがそれに合わせるように後ろからの音の速度も速くなってきた。
「え、何! 監禁、ちょっと」佐音は、ついに走り出す。そのとき後ろから声が聞こえる。「忘れものよ佐音!」

 佐音が立ち止まって後ろを振り返ると、同期の愛美がいる。「え、忘れ物?」「そうよ、はい」愛美は佐音に追いつくと、紙袋に入っている箱を渡した。
「あ、ごめん、わざわざ持ってきてくれたの」「もう、こんなの私用物を、社内に置いたら駄目よ。でも急に逃げるから、どうしたのかと思ったわ。はぁ」

 あわただしく佐音を追いかけたためか、愛美の息が荒い。
「ごめん、だってちょっと嫌な夢を見て」佐音は言い訳をするように、昨夜の夢を愛美に話す。直後に起きた愛美の笑い声。「ち、ちょっと、ハハハハ。そんな夢本当に起きるわけ。何、私がどこかの秘密組織で、あなたを監禁って、イーヒヒヒヒ!」
 あまりにもおかしいのか、腹を抱える愛美。目に涙を浮かべていた。それを見た佐音は少し不機嫌になる。「そんなに笑わなくても!」

「だってさ、どこの裏組織があなたみたいな普通の会社員をそんな。キャー」「え、愛美?」
 すると突然ふたりの真横に止まった黒い車から、黒ずくめの男が数人出てくると、突然愛美を拉致して、黒い車の後部座席に無理やり乗せてしまう。
 顔色が変わった佐音。とにかく走って逃げる。だが黒づくめのひとりが、佐音に気づく。佐音は必死に走る。両手を陸上選手のように手にこぶしを作り、交互に前後に動かした。そしてヒールの音がけたたましく鳴り響く。そして男の穿いているのは革靴か? ヒールよりやや低めの音が調子を合わせるようにリズム恩を鳴らして追いかけてきた。
「ちょっと、だれか! 助けて!!」佐音は思いっきり叫んだ。

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「あ、夢。いつのまに」佐音が気付くと電車の中。いつの間にか帰りの電車の中で眠っていた。直前に寝言をつぶやいたのか? 佐音に向けて何人かの視線を感じたが、すぐに何ごともなく気配が消えている。だが口を押えて笑いをこらえている人が数名いるのは事実。
「はあ、ちょっと、私 疲れてるわ。愛美は隣町のオフィスにいるのに、帰りが一緒なわけないじゃん。ふうー」
 帰りの電車の中で眠っていたようだ。連続して嫌な夢を見たので、疲労感が倍増した。「あ、でもこれはちゃんと持って帰っているわ」夢で愛美が持ってきた紙袋。実は佐音は忘れていなかった。

 家に帰ってきた佐音は、すぐに紙袋に入っていた箱の中身を出す。「あ、やった。これ前々から気になっていたの。夢のブランド品、自分用に奮発しちゃった。でも会社の近所にある専門店に行っても、いつも在庫がないか、売約済みだったからね。しっかり注文して、今日の昼休みに引き取れてよかった」
 そういって愛美が箱から取り出したのは、ブラウンのヒール。またいつか、この靴からリズム感ある靴の音を鳴らすだろう。


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シリーズ 日々掌編短編小説 588/1000

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