櫛を駆使して串料理を食べよう 第590話・9.4
「結局これになっちゃったわね」霜月もみじは串に刺して焼き終えた、多くのつくねを見ながら、思わずつぶやいた。
「串料理って意外に難しいのね。串に刺すのも手間がかかるし、刺して焼くにしても、竹櫛を焦がしちゃいけないんだ。でもとりあえずできてよかった。楓も手伝ってくれたし」
もみじの横には嬉しそうに出来立てのつくねを眺めている、幼い楓がいる。今日は楓も料理の手伝いをした。だから余計にうれしいのだろう。
「もとはと言えば昨日のあのときからなのね」もみじは昨夜、夫の秋夫が放った一言から始まったことを思い出した。
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「明日、串料理をやらないか?」「え、何で急に?」仕事から帰ってきて早々、秋夫が意外なことを言い出した。食にこだわりはあるのは知っている。それにしても家に帰っていきなり「串料理」とはどういうことだろう。
よく見れば、秋夫の右手はいつものようにかばんを持っているが、左手に紙袋を持っていた。
「実は、竹串をもらったんだ」という。「なんで?」
「いや課長がさ、地元の自治会の模擬店をすることになったからって、焼き鳥を考えていたそうだが、串に刺すのが大変だからって結局取りやめになったんだって」「へえ、じゃあ焼き鳥の代わりにどうなったの」「串に刺さずに焼いたそうだ」
「なにそれ」もみじは笑いをこらえるのを抑える。
「で、串がいっぱいあるから、君にあげるって言われてさ」「何であなたがもらうのよ」
「多分職場でも、俺のこと食通と思われているから、活用してくれると思われたのかな。せっかくもらえるものだから、それはもらっとかないと」と、秋夫は嬉しそうに紙袋をもみじに渡す。
「結構な量ね。ま、でも腐るものじゃないからいつかね」
「いや、そういうわけにいかないんだ」「え?」
「俺『もらえるなら料理の写真撮って来ます』って言っちゃって」「あちゃー」もみじは顔に手を当てて戸惑う。
「それで、写真を撮らないといけないから」「そういうことなの......」
「ごめん明日串料理作っといて。俺、明日は定時が終わったら、すぐ戻って手伝うから」そう言うと秋夫は服を着替えに自室に入った。
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「本当は、私たちの大好きな、秋の味覚なんかを串に刺したらいいんだけど、まだ9月。秋の実りのものはこれからだしね。まあこれだけ串があれば10月以降にまたやるか」
結局もみじがこの日買ってきたのは鶏のひき肉。これに刻んだねぎを混ぜる。そして味付けは塩と酒。それを手でかき混ぜると、大きな肉の塊ができた。
「あ、楓、ちょっと手伝って」もみじは楓を呼ぶ。今日はご機嫌な楓は、小走りにキッチンに来た。実はこの日、もみじは楓が最近嵌っているアニメのキャラクター入りの子供用の櫛がセールをしていたので、買ってあげた。だから上機嫌。ひたすら髪を整えて喜んでいる。
「櫛は、ちょっと置いといて。今からこれで団子を作ってほしいの」もみじはそういうと、手本になるつくねの団子を作る。適当な量のひき肉を手のひらに乗せるとボールのように巻く。そしてそれを両手で軽くつぶして小判状にした。「はい、マネして」
楓は声を出して大きく頷くと、もみじのできたつくねを、見よう見まねで作る。とはいえそう簡単に作れない。
結局7割以上はもみじが作り、楓はつくねのミンチで両手を汚してしまうだけ。
ただ生のままのミンチなので、もみじは「それ食べちゃダメ。おなか痛くなるよ」と何度も楓を脅して、どうにか阻止した。でもまだ手を洗っていない。「早く手を洗って石鹸でね」と言うともみじはようやく手を洗う。
もみじはできたひき肉の小判状になった塊を油で引いたフライパンに乗せて焼く。「櫛は最後に刺すとしよう。その方が櫛が焦げること気にしなくて済むわ」
焦げ目ができるほどまで焼きあがったつくね。仕上げにしょうゆやみりんを入れて、味を調え完成した。
「あ、櫛を刺さないと」盛り付け前に、秋夫が大量にもらってきた櫛を用意する。そして焼きあがったつくねに刺していく。ここはもみじが特に緊張した。生と比べて焼きあがった肉は脆そうなのだ。誤って塊を破壊しないように慎重になる。
「1本だと回転するそうだから」もみじはあらかじめ調べていたらしく、ひとつのつくねに2本の串を指した。
「できたわ。よかった。楓が作ったのも無事」もみじが安心していると、秋夫があわただしく帰ってくる。「ただいま。さ、手伝うよ」「もう、完成しちゃった」
それを聞いてバツの悪そうな秋夫。その表情を見たもみじは楽しくて仕方なかった。
こうして3人は食事をする。秋夫はビールをグラスに注ぐ。そのあと、さっそくつくねの串を手に持ち、豪快に口からかぶりつく。つくねがひと固まり、そのあまま秋夫の口の中に入った。そして、ゆっくりと口と歯を使って肉だけを口の中に残し、手で引っ張って、串だけを外した。
このあと、口の中のつくねを歯でゆっくり何度も噛み砕く。砕けば砕くほど滲み出てくるうま味成分。秋夫は何度もうなづく。途中からはつくね内部の熱を舌で感じ始めて熱い。それでも口をすぼめて中に空気を入れ、少しずつ冷ましながら喉の奥に通していく。
口の中に広がううま味、その余韻が冷めやらぬうちに、今度はビールと言う名の黄金色の炭酸水が、口の中に入り込む。そして残ったつくねの破片ごと、胃の中に流れ去っていった。
「うん、うまい。串に刺しているから本当にそれらしい雰囲気だ。いや、もみじありがとう」もみじも秋夫の前で、うまそうにつくねを食べながら「今日は楓も手伝ったんよ」と嬉しそう。もみじの横で楓も食べるが、どうも様子がおかしい。
「もう、楓ったら、櫛は止めなさい!」楓は櫛をもって髪をときながら、つくねを食べていたのだ。
「楓、そんなに櫛で髪を整えなくても、髪はきれい。大丈夫だよ」秋夫も説得するが楓は首を何度も横に思いきり振る。
「いやだ、クシ、くちぃ」と言って櫛を離さない。もみじはあきれ返ってため息をついた。
「よし、それならこうしよう」ここで秋夫は何かを思いつくとスマホを楓に向ける。「楓がモデルだ」秋夫はつぶやきながら、左手で櫛を駆使しながら、右手でつくね串を食べようと、必死になっている楓を撮るのだった。
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