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野良犬が見ていた独立の日 第572話・8.17

「ふう、暑いわ。早く日が暮れないかしら」「まあな。でも、心配しなくても、そのうちいつものように日は沈むさ」
 ここは赤道から南半球にかかる島国のインドネシア。首都ジャカルタの町中では、人間に交じって野良犬の姿がある。そこには同じような茶色いボディをしてやや筋肉質の2匹の犬、雄雌ではあるようだが、二匹は夫婦? それはわからないし、どうでもよかった。
 ただ、首都ジャカルタのあるストリート。人が多いところの歩道沿いで、いつも仲良く並んでいる。彼らはヒューマンウォッチングが好きなようで、日が暮れるまで、歩いている人を暇つぶしに眺めていた。

「ねえ、あの歩いている人。ありゃ見慣れない顔ね」「ああ、そうだろう。おいらの見立てでは、この国の人間じゃないと思うな」「そうみたいね。観光客かしら。結構不慣れで、固くなりながら歩いていてるわ」
「だな。よし、ちょっと暇つぶしに相手してやろうか」雄犬はそういうと立ち上がった。
「ちょっと! また人間の驚く表情を楽しむんだ。あいつ、ほんと悪趣味ね」と言って雌犬も立ち上がる。

「ジャカルタは、バリ島とは違うわ。デンパサールでもこんなに人いないし」歩いていた女性はひとり旅。同じ国でもバリ島には何度も行ったが、せっかくだからインドネシアの違う島、町にも行ってみたいと今回はジャカルタに来た。
 初めての町は緊張する。メインの通りは車も多い。それでもバリ島と同じ国だから通貨が同じとかそういうのだけが唯一の救いだ。しかし女性にとってちょいと嫌な存在、2匹の野良犬が近づいてきた。

「うぁあ、野良がきた。日本と違ってホント野良犬多いわね。バリ島にもいるからいいけど、なに。何でこっち来るの?」
 どちらかと言えば猫派の女性。普段リードが付いている飼い犬なら全く気にならないが、放し飼いしている犬はあまり好きではない。それにここにいるのは、日本では見かけない野良である。狂犬病のことも気になって、ただでさえなれない町で警戒しているのに、さらに恐怖が襲ってくる。
「走っちゃダメ、余計についてくるわ。無視しかない。そう無視よ」女性は頭の中でそうつぶやきながら、何事もないように犬たちの前を歩いていく。 

 しかし2匹の犬は勘が鋭い。
「わかるぜ、あんた俺たちのこと怖がってるな。顔にそう書いてるぜ」
 雄犬は何事もないように見えて、実は内心おびえている人を、余計にからかいたくなった。さらに近づいていく。
「ち、ちょっとなによ。え!」若い女性は足が少し早くなる。目を半開きにして前だけを見た。しかし雄犬は、わざと女性の前方に来た。そして尻尾を振りながら何かおねだりするように舌を出す。
「やめてよちょっと」するとついに右足の近くに毛皮のような感触と体温らしき温もりが!「キ、キャー!」女性は思わず声を出してしまう。実は最接近したのは雌犬の方。こちらも驚きのあまり身構えた。
「え、ちょ、ちょっと、あなた。急に驚かさないでよ!」こちらも声が出たが、それは吠えているのと同じだ。
「吠えてる! ど、どうしよう」ついに女性は立ち止まった。完全に二匹の犬におびえてしまう。

「去年の悪夢が」女はバリ島でも、一度野良犬に遭遇して、激しく吠えられたことがあった。時間は夕暮れどきで、もう暗くなっていたのだ。昼間は暑いから犬たちは大人しく寝ているが、夜になると元気に起き上がってくる。 
 どこからの情報だったか、野良犬に遭遇する対策として、懐中電灯を犬の目に当てると、恐れて動かなくなると聞いていた。
 そのときは、持っていた懐中電灯を犬の目に向ける。するとその光におびえた犬は、うなり声だけを出したが、確かに足がひるんで動けなくなった。だから女性はうまく逃げ切れる。
 だが今日は違う。なぜならばまだ日が明るい。懐中電灯で照らしても効果があるとは限らないのだ。

「あ、こら、大丈夫ですか!」ここで女性の後ろから、日本語が聞こえる。女性が振り向けば日本人の若者が現れた。そして女性の前に立ちふさがり、犬に対して威嚇するように、持っていたカバンを手の前に出して左右に大きく振り回す。
「コラ! あっち行け!」
 しかし、それを見た二匹の犬は態度を強化。「なんじゃ、こいつ、俺たちに喧嘩売ってんのか!」「ち、ちょっと、何してるの、ねえ、それ、危ないわ。だからこっちは、なにもしてないでしょ。なによ!」
 犬たちは体制を低くして両前足を出してやや頭を引く体制になった。そしてうなるような声を出しながら、目が若者を睨んでいる。若者は犬が襲ってくるのではと恐れながらも、必死に若い女性を守ろうとした。
 だがこの状況は、本来犬の方がおびえていて、強い緊張や不安を感じているのだ。

「ア、サガワさん、ダメです。カワイソウナコトしてますヨ」と、佐川と呼ばれた若者を制止したのは、インドネシアの人。
 ジャカルタ在住の日本語ガイドだ。ガイドは佐川を止めると、2匹の犬の目線に合わせるようにしゃがみ込み。「シンパイナイヨ。ミンナヤサシイヨ」と言いながら、二匹の犬の頭を順番に優しくなでる。犬たちは馴染みの顔と見えて態度を軟化。
「お、おう、おめえさんか。ふああ、良かった」「助かったわ。あんなもの目の前で振り回すから、すごい怖かったし」
 こうして犬たちは落ち着きを取り戻したのか、尻尾を大きく振りながら立ち上がった。

「あの大丈夫ですか?」「あ、はい、いや本当に、ありがとうございます」女性は深々と頭を下げる。
「あのう」佐川が声をかけた「はい?」「観光客の方ですか?」
「ええ、そうです。でもジャカルタに来たばかりで、今からどうしようかとホテルを出て歩いていたら、急に犬に絡まれて」

「それだったら今からモナス(独立記念塔)に行きませんか? 今日8月17日はインドネシア独立記念日だから、式典とかイベントがありそうなんで」 
 さりげなくナンパをする佐川。女は助けてもらったことに加えてモナスというキーワードに反応した。途端に笑顔になる。
「あ、そうそう、それです。モナス。私行ってみたかったんです。いつもバリ島ばかり行ってたから、一度見ておこうかと。実は初ジャカルタなんです」
「そしたら決まりだ。ねえガイドさん彼女もいっしょにいいですか。あ、もちろん追加料金は僕の方で」
「ああ、サガワサン、オヒトリサマが、ツイテコラレルのは、ベツにいいデスヨ」とガイドも了承してくれた。こうして3人はモナスの方に向かって歩いていく。そして途中までついてきた2匹の犬は、あるところで立ち止まり見送った。

「一時はどうなるかと思ったが、まあいいや。さて彼らはどこへ行くんだろうなあ。
「うーん、たぶんだけど、モナスとかじゃない」

「そうだ、今日は独立記念日だったな。で、やけに町が華やかなのか」「まあね。私たちには、人間界の国の独立とか関係ないわ。それより、今日はちょっといい運動できたから、急に眠くなってきたわ」
「だな、暗くなるまでもうひと眠りだな。うん?」
 雄犬が何かを見つけた。「その前にあそこにパイナップルが落ちてるぞ」「あ、いいわね。寝る前に仲良く食べましょう」

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「ねえ、出会ったときの写真。ほらちょうど今から3年前の」正美は、3年前に野良犬から守ってもらった佐川和幸に、懐かしいモナスの画像を見せる。
「おお、これかうゎあ懐かしい。こうやって正美と出会えたのはあの二匹の野良犬だもんな」「でもあのキューピット。今考えてもマジで怖いの」
「俺だって怖かったよ。もう必死でカバン振り回して、ガイドさんに助けて貰ったようなもんだ」
 ジャカルタで出会ったことがきっかけで交際し、1年半ほど前に結婚した正美と和幸。懐かしいジャカルタモナスの画像を、仲良くパイナップルを食べながら、ときがたつのを忘れるまで眺めるのだった。


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