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水水水水氷水水水水  第935話・8.17

「氷上にいるペンギンは、北極の場合、北極熊に食われるから、南極にしかいないという理由はわかった。だけどさ」
  白露は、目の前にいる西垣に不満をぶつける。「白露さん、おっしゃることはごもっとも。しかしながらそこはですね」西垣は白露の言い方があまりにも攻撃的なために、その沸点を抑えようと必死だ。

 白露は今回の企画を受けるにあたり、当初南極のペンギンが見られると思っていた。だが南極には簡単にはいけない。南極が無理ならせめてカナダの北を経由して北極に行けないかと、白露は改めて交渉をした。だがそれも困難となる。結局いろんな理由で、ペンギンを見るという案件はとん挫した。

 とはいえ担当者である西垣は、諦めずひとつの案を白露に提示する。それは真冬の網走だ。ペンギンはいないが真冬の網走は、非常に険しい状況がある。それは流氷だ。例年真冬になれば流氷がシベリア方面から押し寄せ、網走の周辺の海の水は流氷により閉ざされる。

 これ自体は南極や北極と比べれば明らかに劣るだろう。だが、日本国内で見られる厳冬の後景。氷がオホーツクの海に次々と押よせ、一時的に氷の世界を演出する。「水が氷点下で凍るとかではなく、氷が遥か北から押し寄せて、海の水を完全に覆う光景は侮れませんよ」と、西垣は流氷の地であれば少なくとも雰囲気は近いのではないかと白露に提案。

 それに白露は同意し、西垣と同行して北海道の網走に来た。ところがオホーツクの海が見える網走まで来ていながら、突然冒頭のような不満を言い出すのだから困ったものだ。

「ちょっと、網走まで来て何を言っているのですか?それだったら出る前に行ってほしいですね!」あくまで冷静沈着のままやり取りをする西垣。そこまで言われるとさすがに白露は次の言葉を出すのにしばし躊躇した。

 白露は、網走の港から静かに海を眺めている。白露が気になったのはこのときまだ流氷は来ていない。オホーツクの海は、まだ夏と全く同じで水だけで覆われている。だけど恐らくこのときに水に入れば相当冷たいのだろう。とはいえ見た目は液体の水が延々と続いているだけだ。
 ただ海面を見ると、上空の激しい風に踊らされるように白色を時折見せる波を岸辺に打ち付けているに過ぎない。

「いや、来たことに後悔などしていないんだ。ただ、目の前は海の水だろう。ほんとうに流氷が来るかどうかが気になっているだけだ」
 白露は西垣に正直に伝える。それからまた海を見た。もしかしたら流氷ほど頭で理解できないものはないのかもしれない。圧倒的に氷の世界でもない水の海が続く世界。なのに冬の特定の時期だけで、融点以下で水が凝固した氷の山が、遥か北方から押し寄せてくるという状況がいまいちわからないのだ。

 もちろんニュースで流氷が来たような話題は毎年のように聞くからその事実を否定しよってことではなかった。だけどこうなんと言っていいのか、実際に見ていないので、そんな遥か北から港そのものを閉鎖するような氷が押し寄せてい来るという事実が理解できない。現に今網走からどれだけ海を見ても、水しかなく流氷らしき影はまだ肉眼では見えなかった。

「白露さんはまだ信じていないんですね。でも予報では明日来ます。絶対ですよ!」西垣は、再度白露に力強く告げる。
「予定では明日本当に来るんですね」「はい、例年そうですから」西垣の自信に満ちた言葉。これには相当な説得力があったためか、白露はようやく余計な感情を抑えることができた。

ーーーーーーーー

「来ました。流氷ですよ!」翌朝、慌ただしく西垣が白露を起こす。
「う、うううう、ふぁあああ、あ、あ、西垣さん、え、本当に流氷が来たのですか?」
 まだ夢心地の白露に対して、西垣が叱咤する。「嘘など言ってどうするのですか!さあ、早急に港に行きましょう」
 早朝、白露は西垣に言われるまま宿泊所を出て港に向かった。まだあいまいだが東の空に太陽がようやく出ようとしていた早朝。体が震えるほど寒い。
「あ、あ、ああああ」海の水を見た白露は言葉にならない声を発した。確かに肉眼でもわかる。すぐ近くまで今まで見たことのない氷の塊が海の水をすべるようにこちらに向かっている。
「流氷って、氷山の小型版か!」この光景にさすがに目が覚めた白露は、冷静に目の前の状況を直視した。

「もしよろしければ、準備だけは......」西垣が白露を促す。「ああ、もちろん、このときを待っていた。本当は南極や北極でやりたかったが、それは来年以降の楽しみにしよう。まずは、網走沖のオホーツクの海で試そう」
 白露はそういうと、西垣が用意していた潜水の道具を手にする。すぐに着替えて潜水ができる格好になった。
 実は白露は潜水のプロフェッショナル。本当は南極の海で野生ペンギンの様子を海面下で潜りながら撮影しようと考えていたが、それは現時点では叶わなかった。だが網走の港に向かって確実にその姿を現した流氷。せめてその流氷を下から撮影してもおもしろいと思った。

 白露と西垣は漁船に乗り、沖合の流氷めけて走り出した。まだこの時点では港に接岸していない流氷ではあったが、数時間後に確実に港に来るだろう。その前に漁船に乗り込んだふたりは、いよいよ目の前で流氷が海に漂うように浮かんでいたその場所にきた。白露は迷うことなくザブリと船から落下。白露が落下したところでは白色をした潮が跳ねている。こうして白露は潜水を開始した。西垣はその様子をうかがっている。流氷が浮かぶ海は非常に冷たい。だが白露は水を得た魚のように軽快に動きを見せ、流氷の氷を海中の底から何枚も撮影した。

「ど、どうでした」船で待っていた西垣が、海から出てきた白露に問いただす。白露は船に上がるとすぐには答えず、余裕の表情で、潜水のための用具をすべて脱ぎ去り、普段の服装に着替えると一言こういった。

「これは素晴らしい体験だった。いやあ昔を思い出したよ。本当にありがとう」と。
 ちなみに白露が言った昔とは、氷こそ浮かんでいなかったが、子供のころ故郷の琵琶湖で初めて潜水をした時の感動そのものだったのだ。


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