インゲン

「先生、無事に長崎に到着したようです」
「これが倭の国日本か」隠元隆琦（いんげんりゅうき）は、弟子が指差す方に長崎の港が見えるのを確認した。
　これは江戸時代がはじまったころの話。1654（承応３）年に、現在の中国福建省出身の僧・隠元は、日本在住の僧侶の要請で中国の明から海を渡って来た。目的は長崎にある寺院「興福寺」である。
　ちょうど、鎖国体制が固まりつつあった時代。基本的に外国人は日本に入れなかったが、オランダ人は出島内に押し込められた。また中国人は、同じ長崎にある唐人屋敷（とうじんやしき）と呼ばれるエリアに住まわされることになる。しかしそれは隠元が日本に来てから30年ほど先の話で、まだこの当時、中国人は比較的自由に往来が出来ていた。

　そんな長崎には興福寺（こうふくじ）という中国人の寺院がある。ここにはすでに逸然（いつねん）という僧がいたが、まだ定員に余裕があるということで、隠元に対して日本に来るように要請があったのだ。
「しかし、兄様のことを考えると」と、弟子がつぶやいたひとことに、隠元は心が痛む。「ああ、わが愛すべき弟子... ...。わしは彼にこの地で頑張ってもらうと派遣したが、船があんなことになってしまい、若い命を失わせてしまった」
　隠元はそうつぶやくと、目をつぶり海に向かって手を合わせた。そばにいた弟子も続く。

「今回は問題なく、上陸できそうです。やはり先生だからこそ」「かもしれんな。４回も書簡をやり取りをした結果だ。これは御仏の導きかも知れん。
　私は３年間の約束であるが、その間はこの異国の地にて、我教えを惜しみなく多くの人に広める」
　当初赴任させる予定だった隠元の弟子に代り、隠元自身がが弟子20人程度と共に、長崎に到着した。その船を仕立てたのは、一時期台湾に独立政権を確立した鄭成功だという。　

　こうして夜、無事に長崎の港に船は到着した。「先生港に着きました。降りましょう」しかし隠元は弟子の言うことを聞きつつも、なぜか落ち着きがない表情で、自らの周囲を見渡す。
「うん、そうじゃあの袋はどうした？」　隠元の問いに最初意味が解らない弟子のひとり。「先生その、袋というのは？」
「豆の袋があったじゃろ」「あ、先生こちらの袋ですね」別の弟子が大きな袋を、隠元に見せると満足げに頷いた。
　

　そのあと隠元は、興福寺に入る。寺に来たのが明の高僧とのことで、たちまち多くの人が寺を音連れた。そしてやがて長崎を離れ、摂津国の普門寺に映ることになる。ここでも多くの人が隠元を訪れるため、幕府が警戒するほどであった。
　やがて３年が経過したので隠元は中国に戻ろうとしたが、周囲の説得に寄り、結局中国に戻ることはなかった。そのまま「帰化僧」として将軍・家綱との面会。そして幕府により与えられた京都・宇治の地で新たに寺院を立てることになる。これにより黄檗宗という新しい宗派が日本に誕生した。

「この豆は、健康に良いから食べるがよい。栽培をして多く増やすのじゃ」隠元は仏法を広めると同時に、中国から持ち込んだ豆も広めたという。その豆は彼の名前から今日インゲンマメと呼ばれている。
（ただし実際はインゲンではなく原産の違う藤豆という説も）

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「ということなの、わかった圭さん」
「そうか、この寺を作った人は隠元という人だったのか」
　京都の宇治市にある萬福寺（まんぷくじ）に来ていた圭と婚約者のホア。
　数日前から調べたというホアにより、この寺院の開祖・隠元の意外なエピソードを自慢げに語り終えた。
　圭は腕を組みながら、「その人新しい宗派を作っただけでなく、インゲンマメまで持ち込むとは。これって言ってみれば『ホア豆』って呼んでいるのとおんなじでしょ」
「圭豆かもよ」白いＴシャツ姿のホアは、黒くて長い髪をなびかせながら笑顔で応じる。

「でも、わざわざ宇治まで来てよかった。本当なら今日は五山の送り火を見る予定だったのが、今年は大幅縮小だからなあ」
　圭は、改めて黄檗寺の本堂である大雄宝殿の堂々と立つ建物を舐めるように眺めた。そしてスマホを取出し、数枚画像を取る。
「ということで、今日はインゲンマメを作った料理を作るわ」とは、嬉しそうな笑顔のホア。「え、インゲンマメで何作ってくれるの？」
「久しぶりに　đậu cô ve xào chả cá（インゲンマメとさつま揚げ炒め）を作るわね。じゃあ、帰りにスーパー寄りましょ」

　それだけいうと、圭の答えを待つことなく、先に出口に向かって、歩いて行くホアであった。

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こちらは45日目です。

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シリーズ　日々掌編短編小説　211

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