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戦争が原因の悲劇

「この町は持ち帰りの屋台ばっかりだ。外で食べられる店が本当に少ない。本当にここがあって良かったな」
 2018年の春、和彦はインドシナ半島横断の旅をしていた。ベトナムからタイまで陸路で向かう旅である。ベトナムのホーチミンからメコンデルタに行き、今来ているのはベトナム最西端。カンボジア国境の町チャウドックである。翌朝はここから船に乗ってカンボジアを目指すのだ。

「これが名物のマム鍋。具材はともかくこのスープがうまい!」マム鍋のマムとは、魚介類の発酵食品。ベトナムで食べられるがこのチャウドックが名産地。そしてそのマムを使ったマム鍋も名物なのだ。
 中には肉と茄子、あとはベトナムらしくハーブやブンと呼ばれる米麺を入れてそれを一緒に味わう。だがこの鍋は具材よりもその鍋の風味味わいが最高。「いやあ、美味しい。ここまでバスで揺られてよかった」和彦はそれまでの長時間のバスの旅の疲れが一気に吹っ飛んだ。

 マム鍋をじっくりと味わった和彦は、チャウドックの町の少し外れにある小さな宿に戻った。ここは安宿でエアコンもない。天井に大きなファンがぶら下がっている。だがすでに夜も遅く外から網戸を通じて涼しい風が入った。和彦はそのままベッドに入って横になる。

 夜中息苦しくなった和彦が目を覚ます。部屋の入口のすぐ横にトイレがあるので、そこだけはライトが付いたまま。するとその明るいところに、人影が見える。「何?」和彦は人影をじっくり見た。するとその人影は複数見える。左側にふたつの人影、そして右側にひとつの人影が見えた。だが左側は上から下まで影があるのに、右側だけ途中から下が消えている。まるである部分から切断されたかのように......。

 和彦は急に全身から鳥肌が立つ。一瞬視線を外してもう一度見る。しかしすでにそこには影が消えていた。

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「しかし夜中に変な物を見たな。夢か意識が混濁した幻覚だとは思うが、気味悪い。うん今は朝6時前か。もう明るくなってきている。よしちょっと気晴らしに市場でも見に行こうか。

 チャウドックは小さな町。和彦の宿は町はずれにあるが、歩いて十分中心部にある市場に行けた。ローカルな市場は早朝から地元の人でにぎわっている。「あ、あれがマムだな」和彦は、正面にあった目の前の黄色いざるに所狭しと並べられていた。そこにはいろんな種類の発酵食品『マム』をじっくりと眺める。

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「いやあ、良い気晴らしだ。お土産に買って行こうか」和彦は気になるマムを指さし袋詰めにしてもらった。「これで心置きなくカンボジアに行けるな」完全に夜中の嫌な気分が戻った和彦は宿に戻る。少し休憩してから荷物をまとめてチェックアウトの手続き。
「そうだ、一応聞いておこう」和彦はチェックアウトの作業をしているフロントの女性に、昨夜の怪奇現象を話す。 

 するとフロントの女性は一瞬顔が固まった。そして英語で語りだす。ちなみに和彦は英語が得意。
「お客様、そのようなことが......」「はい、びっくりしました。気のせいだとは思いますが、念のためにと思い」

 フロント担当は背筋を伸ばし深呼吸。そしてゆっくりと話し始めた。
「実はこの宿ができる前の話です。ここにはある夫婦が住んでいました。その夫婦には子供がいましたが、ちょうどベトナム戦争が激化していていた時期。子供は従軍しますが、ついに戦争が終わったので戻ってくることになったのです。

「その後どうしたんですか?」和彦は真顔になる。
「彼は電話で両親に今から戻るといいました。明日のお昼には家に戻れると。そして『僕の好きなマム鍋を食べさせてくれ』と何度も言います」

「ああ、昨日マム鍋食べてきましたよ。あれはおいしかったぁ」
「あ、そうですか!」フロント担当の口元が緩む。

「で、マム鍋はチャウドックの名物。両親は息子が生きていたとばかりに喜びます。『良かった。早く顔を見せてくれ。明日マム鍋作って待ってるからね』
 ところが彼は意外なことを言います。『一緒に戦った戦友が地雷で足を失った。一緒に連れてきても良いか』と」
「地雷か、内戦が終わっても被害があるそうだね」フロント担当は小さく頷く。
「はい、戦争の悲惨なことのひとつに、地雷を多数置いていったこと。戦争が終わっても、誤って地雷に足を踏んでしまい、それが原因で足を失った人が数多くいます」
「ああ、今から行くカンボジアでも内戦が激しく」「そうですね。地雷の被害。あれはジャングルに隠れているので、本当に厄介です」

 フロントの女性は先ほどの続きに戻る。
「そして両親は『いいけど、その人は足を失ったのよね。あまり私たちは長く面倒が見られないわ。良い施設が見つかればいいわね。それに働くのはもう無理みたいだし』と言ったそうです」

「うん、それで」
「実は、その地雷で足を失った友達というのが本人。その旨を直接両親から聞いたことがショックで、その日の夜自ら命を絶ちました」

「......」

「両親は友達も連れて帰るということで、マム鍋を多い目に用意して待っていたそうです」
「あ、ああそれは...... 美味しかったのに」和彦は昨日味わったマム鍋の記憶が口の中からよみがえる。

「ということで、戻るべき息子は死にました。数日後にそれを知った両親は、泣き崩れて、嘆き悲しみます。そして失意のうちにふたりとも彼を追いかけるように」
「死んだのですか」
 フロントの女性は鋭い視線で小さく頷いた。
「その両親の持っていた土地が、親族が仲介して今のオーナーが買い取り、この宿が出来ました」

「それで、夜中に見たのが......」和彦は夜中の記憶が頭の中に浮かぶ。再び鳥肌が立つ。
「私は断言できませんが、そうかもしれませんね」

「ありがとうございます。そのようなことがあったのですね。僕は今から船でカンボジアに渡ります。カンボジアでも同様なことがあるのかもしれません。そのような貴重なお話をありがとうございました」

 こうして和彦はフロント担当に頭を下げると宿を後にする。

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「チケットは!」「これです」和彦は前日に買って置いたプノンペン行きのボートのチケットとパスポートを見せた。
「えっと、カンボジアのビザは?」「国境で取る予定です」
「Ok!」

 こうして和彦は国際ボートに乗る。メコン川本流をさかのぼり、向かうはカンボジアのプノンペン。ボートはチャウドックの桟橋をスクリューで水面を攪拌させながら軽快に出発した。
 エンジン音が響き渡るボート内。そのまま川をさかのぼる。ここでビザの申請書など国境越えに必要な書類が手渡された。和彦も受け取りそれに記入する。
「あ!」和彦の鼻にある香りが入った。顔を見上げるとそこにあるのは、マムの製造工場。

「この美味しそうな香りがね」 和彦はボートから工場を複雑な気持ちで静かにながめるのだった。



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