見出し画像

おうち居酒屋やってみた 第984話・10.5

「今日はふたりの世界に入れないしな」
 海野沙羅は、この日の朝からため息をつく。とはいえこれは自らが提案したことだから夫・勝男の前では絶対に言えない。まさかお互いの友達を呼んで、家の中で居酒屋風に飲むことが、今頃になってうっとうしくなったただなんて。

 きっかけは先月ふたりで飲んでいたことのこと。ちょうど中秋の名月ということで、窓から満月を眺めながら飲んでいた時のことだ。「こうやっておいしい魚と酒を飲んでいたら居酒屋みたいね」
「まあな、でも居酒屋となったら、ほらこんなプライベートで飲むというより、友達呼んでワイワイやりたいものだ」
 すでに顔がうっすらと赤くなっている勝男と沙羅は上機嫌そのもの。このようなときは大いに盛り上がるから思わぬ提案が合意されることがある。「だったらやる?おうち居酒屋とか」沙羅の提案にすぐに乗る勝男。
「ほう、いいなあ。なるほど友達呼んで家で居酒屋風にワイワイか、準備と後片付けが大変そうだけど」と言いながらグラスに入った酒を口に運ぶ。「一応、会費制にしたら?材料代は貰わないとね」沙羅も勝男に少し遅れながらも酒を口の中に放り込んだ。

 こうして10月におうち居酒屋をすることが決まった。とはいえ家に入れる人数は決まっている。これは勝男、沙羅双方の友達2人ずつ呼ぶことで合計6人のパーティと言った方が正しいのかもしれない。

 呼ぶ相手はお互いほぼ決まっていた。勝男は会社で親しい後輩の夫婦、沙羅も親友の夫婦なので、3組の夫婦が一堂に会することになる。これならあまりややこしいことも起きそうもなく、3家族がワイワイ酒が飲めるだろう。

 今日は休みの日だからと、勝男は当日の朝から「仕入れ」と称して出かけて行った。沙羅は部屋の後片づけと掃除でて大わらわ。だが掃除をしていると後悔し始めたのだ。「午後に帰ってきて、それから仕込みか、ふう」
 沙羅は勝男とふたり暮らしで子供はいない。だからふたり分の食事を作るだけでよかった。お酒を飲む日にしてもお酒の準備は必要だが、肴については、海の魚に詳しい勝男が勝手にスーパーなり市場に行くなどして旬の魚を買ってくる。そのうえその魚を捌いてくれるのだ。

 後の調理は沙羅の仕事だが、まあ大したことは無かった。飲みだしたらふたりとも本気で飲むから、後片付けも翌日することが多いのだ。

 だが、今回はいつもの3倍の料理を作らなければならない。まあ親しい友達とはいえ、「おうち居酒屋」とやってしまった以上、出来合いものは出したくなかった。だから戻す必要がある食材などは前の日から水につけるなどしている。

「仕入れから戻って来たぞ」お昼過ぎに元気に勝男が戻ってきた。いつもと違い、わざわざ地方卸売市場まで行っての気合の入れよう。「いつもよりロットが多いからやっと行けた。やっぱり市場はスーパーとは違うな」
 まるで本当に居酒屋の店主にでもなったかのように、勝男は笑顔を絶やさず嬉しそうだ。

 勝男はそのままキッチンに入ると、早速買ってきた魚を捌き始めた。沙羅が様子を見ると、いつもよりも大きな魚がそこにある。「おお、大きいわね」「だろう。ふたりじゃ食べきれんからな。よし鱗が取れたかな」
「あ、飛び散ってる!」いつもより大きな魚を捌いているから鱗を取る作業ひとつをとっても勝手が違うようだ。キッチンの前の床に魚の鱗がいくつか落ちていた。

 勝男は内臓を取ると、そのまま三枚に卸す。「ねえ、どうするそれ?」
「揚げ物か焼き物だろうな」勝男の提案にうなづく沙羅。「大きいから半分を焼いて半分を揚げてみるか。さてと味付けはどうしようかな」
 あまりにも勝男が楽しそうに魚を捌くので、沙羅はひとりでいたときのテンションの低さはいつの間にか解消される。そのまま夫婦が和気あいあいと料理の仕込みを行った。

ーーーーーーー

「いらっしゃい!ようこそ海野亭へ」普段はしないような、頭に鉢巻をした勝男は、二組の夫婦が来ると嬉しそうにリビングに案内する。キッチンでは沙羅が少し目の色を変えながら、最後の仕込みに余念がない。
「本日は、お任せでお願いしますね」勝男は完全に居酒屋スタッフになりきっている。普段居酒屋で客として入っているから、逆の立場になっているのがうれしいのだ。

 客、つまり友達はソファーに座るととりあえず酒をグラスに注ぐ。この日はビールをはじめ、ワインやチューハイ、日本酒、焼酎にウイスキーなどいろいろな種類を取りそろえた。
「セルフでお願いしますね。飲み方はまた言ってくれれば」と勝男はドリンクについての注意点を話し出す。

 こうして先に二組の夫婦がビールを飲み始める。いやこの時点ですでに勝男、それからまだキッチンにいる沙羅もグラスにビールを注いでいた。

「はい、お待たせ。お任せ料理を持ってきます!」ようやく料理を作るのが間に合った沙羅。勝男にも負けない大声で、こちらも居酒屋スタッフになりきっている。なりきっているが、右手にはビールのコップを持っていた。まあ居酒屋によっては、スタッフが常連と飲んでいる店はあるにはあるが......。

「いやあ、おいしいなあ」「今日は飲める。ちょっと日本酒行っちゃおうかしら」宴が始まると、お客さんである友達のテンションはいつもより高い。しばらくするとスタッフ役だった勝男と沙羅も客となって一緒に楽しむ。
 事前に材料費という名の会費をもらい。料理が出来たらすべてセルフで自由に取る。おうち居酒屋というよりホームパーティに近い状況だ。

 こうして宴はいつも以上に盛り上がり、深夜近くになっている。「じゃあ、おやすみなさい」終電が近くなったので、まずは一組、そのあと30分後にもう一組が帰って行った。

「お、お、わったわね」「ああ、ふぁあああ、眠い。ああ、明日も休みでよかった」すでに酔っぱらっている勝男と沙羅。「後片付けって明日でいいわね」「ああいいよ。もう寝るか、ふぁあああ」と、酔っ払い夫婦はやや回らない呂律で語りながら、仲良く寝室に入っていくのだった。


https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C
------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 984/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#おうち居酒屋やってみた
#勝男と沙羅

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?