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ハウスの誘惑 第795話・3.29

「そうよね、やっぱり違うわ」見学の帰り道、私は周囲にだれもいないことをよいことに大きくため息をつく。
 私、真理恵は、郊外でコスモスファームという畑をひとりでやっている。大学の研究者である彼が、休みのときは手伝ってくれることもあるけど、基本的にはひとりの作業。場所は町から離れた山里だから星が好きな私たちにとっては夜が大の楽しみ。でも今日は一面曇っている。
「今日は天体観測が無理かな。こういう気分には見たかったけど」私はもう一度ため息をつく。

「やっぱりハウスは違うわ」私がため息をついたきっかけは、ある農家仲間からの誘いであった。
 私のように農業学校で学んだあと、そのまま畑で農家をする若者が増えて久しい。だから当然ネットなどを通じて同じような境遇の仲間との情報交換をするの。確か先月くらいかしら、偶然に知り合った農家さんが「一度見学においで」と私を誘ってくれた。

 それで行ってきたけど、結論としてため息ばかり。「露地栽培の限界を感じたわ」
 私は、普通に屋外の畑で作物を作っている。露地栽培と言うもので、当然天候や季節に左右されるわ。でも今日の人は私と違って、代々農家の家で育っているから、農業に対する姿勢が私とは全く違ったの。

 私の持っている畑の数倍の広さを持っていんだけど、最も驚いたのはハウスの存在。「真理恵さんは露地栽培なのか、それは大変だね。うちはハウスが多いから管理がしやすいんだ。一度見においでよ」
 私はこの話を聞く前から、もちろんハウス栽培のことは知っている。けどそれが自分事のように全く思っていなかった。ただ目の前の畑を自然の季節や天候にゆだねて、その時にあった作物を育てる。それを近所のJAに卸したり、ネットで直接販売したり、あとは近所のマルシェや直売所で販売するくらいしか考えていなかった。

 でもあの人の畑は違う。大きなビニールのドーム。ハウスに入った時に私は、外気とのあまりの違いに、思わず息をのんだわ。

「風がない!」「暖かい...…」

 外部から遮蔽されていて、植えている作物に最適な温度で調整されているから当たり前のことだけど、ずっと普通に露地栽培をしていた私にとっては、すごく感動してしまった。
「ハウスだと路地と違って、生産量が安定しているんだ。参考にね」
 その人は笑顔で私を見送ってくれたけど、本音はどうかしら?「今時、露地栽培なんて不安定なことを」なんて心の中で思われているのかな。あの人の取引先も、聞いたら私とは桁違い。だって一部の高級野菜は、老舗の料亭に高値で卸しているという話も聞いたの。
「私とは違う、違いすぎる」

 帰ってから、一応私の畑を見たけど、余計にショックで、それからは夕方まで部屋にこもってしまった。それから何も考えられず、適当なところに視線を置いたまま、茫然としていたわ。

「おい、真理恵、珍しいな。この時間にこもっているって」ようやく私は我に返ると、彼一郎が大学から帰ってきた。
「あ、ごめんなさい。ちょっと」「どうしたんだ。いつもは暗くなるまで畑にいたのに?」心配そうな彼の表情。
「うん、私の畑って、いったいなんだかなって」この後、私は少しずつ彼に今日の出来事を話した。

 話し終えると彼は声に出して笑った。「ハハハハハ!そんなことで悩んでいたのか。ハウス栽培ね。別にほかの人のことは、どうだっていいんじゃないか」
「だ、だと思うけど。あまりにもすごくて...…」
「まあ、俺も農業のことは本業じゃないからあまり言えないけど、いろいろあるんだな」

「やっぱり私もハウス栽培にした方がいい?」私は彼に相談した。彼は一瞬小難しい顔をしたが、すぐに笑顔になり。「まあすぐに結論を出す必要はないだろう。それよりさ、実は昼間曇っていたんだけど、急に晴れてきて、さっき夕焼けも見れたんだ」
 私は彼の言葉に救われた気がした。「え、じゃあ星が」「そう、今から見に行こう」
 彼にせかされるように私は部屋を出た。彼はいつものように奥の部屋に行き、望遠鏡を持ってくる。

ーーーーーーーー

「うぁあ、今日はあきらめていたから余計にうれしいわ」気が付いたら雲が完全に消えた夜空。それを見たら私の気持ちも晴れ上がった。満天の星を見つめていると、本当に小さなことで悩んでいたと後悔する。
「近くの惑星、少し離れた恒星、今日は天気がいいからぎりぎりの星もちらほらね」

「いやあ、元気になってくれてよかった。もしハウスをしたいのなら、最も小さい規模のから少しずつやってみたらどうだ。予算がどのくらいなんだろうな」
「うん、そうね。ハウスをするかどうかももう一度真剣に考えてみる。もしかしたらやっぱりハウスをやめて、ずっと路地栽培で勝負するかもしれないわ。だってハウスにしたら、私の畑の子たちが、この美しい星空見られないんだなと思うし」
 私は星空を見ていたら、昼間のことがどんどんどうでもよい気がしたの。「そうか、じゃあ望遠鏡覗いて見るか」「あ、見る!」私は元気に答えた。



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