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呼び出された理由 第789話・3.23

「突然こんなところに呼び出して悪いね」会社の上司が野太い声で、私を誘ってきた。ここは会社の近くにあるショットバー。誘ってきたというより呼び出してきたという方が正しいか。
「何か飲むか?」私が来たときには、すでに上司はウイスキーのロックグラスを傾けている。
「私は...…ごめんなさい。車で来たので」そういってウーロン茶を頼んだ。

 上司は口元に手を置きながら少し眉間にしわを寄せ、何か考え事をしている。少なくとも私にはそう見えた。私はこの時点でこの上司が何のために、私を呼び出したのか?まだはっきりとは、わかっていない。仕事上のことか、もしくはプライベートな理由かどちらかである。
 私のテーブルの前にウーロン茶が来た。ここでありきたりの乾杯ということでお互いのグラスを静かに当てる。

「さて、君は我が部署にきて1か月だったかな」「はい」私はわざと小さい声を出した。「そうか仕事は慣れたかな」上司は口もとにウイスキーのグラスをつける。
「ええ、ま、まだまだですが、とりあえず」

 ここで上司は私の方を見るそして顔を緩ませる。「1か月か、それにしては君はずいぶん思い切ったことをしているようだな」上司の表情は険しくなった。「これは仕事上での何か?」私は何を言われているのかわからない。
「あのう、どういう事でしょうか?」
「ふふふ、普通なら気づかないかもしれないが、俺の目は節穴ではないんだ。ま、新人の君に小口現金を任せた、俺の落ち度だと言ってしまえばそれまでであるがな」
「ち、ちょっと待ってください。私が金を使い込んだとでも!」私はちょっとムキに反論した。そうだろう。いきなり夜の店に呼びつけて、まったく見覚えのない金を使い込んだようなことを言われているのだから。

「ふ、君、声が大きいぞ」上司はクールに言い返す。私はそれには反論しない。
「悪いがね。君は新人だ。わが社の試験に合格して我が部署に来たことは確か。えっと派遣社員として入って、それから正社員に登用されたそうだな」
「そ、それが何か? 確かに私は元派遣です。でもそれは過去の話ではありませんか?おっしゃられるように、今では正社員として勤務をしています」 
 私は切り返すように反論する。だが上司は不敵な笑みを浮かべていた。

 実は先日君が帰った後に、念のために帳簿の記録を確認させてもらった。するとどうだ、実際の帳簿の数字と現金とでは3万円ほどの違いが出たんだ。
「え?」私は本当に見覚えがない。配属されて、いきなりそんな大胆なことをするはずがないのだ。
「証拠があるんだよ。こっちには」上司はスーツの胸ポケットから茶封筒を見せる。
「見せてもらえますか?」私が中身を確認しようとしたが、上司は拒否。「おっと、これは見せられないね。3万円をごまかすような君に、こんな大切な証拠を見せると、その場で破り捨てられそうだからさ」

「...…」私は次の言葉が出ない。私が信用できないから証拠を見せられないっとは、どう考えてもおかしい。そもそも上司が言い切る証拠というのが正しいかどうか確認できないからだ。

「そんなにムキになるなよ新人さん。どうだここで、俺と取引をしようじゃないか」
「取引って?」
「ウフフフウッフ!」上司はグラスのウイスキーを一気に飲み干した。
「さて場所を変えよう。そこで君の誠意を示せば、このことはなかったことにできる。経理部長である私が、この件について適当にもみ消すことは君の想像以上に簡単なことなんだよ」

 私は上司の言っている意味を理解した。その時私はスマホを取り出し、今の時刻を確認する。時刻は午後7時「わ、わかりました」私は作り笑顔で応じると、ウーロン茶をグラス半分になるまで飲み終えた。

上司と店を出る。「すぐそこだ。わかっているね」店の隣にあるビルはビジネスホテル。上司はあらかじめ部屋を予約、チェックインしていたらしい。  
 何の手続きもなくエレベーターに乗り込んだ。「すべて計画していたのか」私はエレベーターの中で直感。上司は不気味な笑顔を浮かべている。私は黙って下を向いたまま。エレベーターを出てホテルの部屋に向かう。「さ、ここだ。入り給え」「あ、はい」私はもう一度スマホを見た。時刻は午後7時15分。

「わかっているね。私が求めているのは、会話ではないことくらい」部屋に入った瞬間、上司はいきなり直接的なことを言い出した。だが私はこの部屋にある冷蔵庫を見ると、そのまま冷蔵庫のドアを開ける。冷蔵庫にはいろんなドリンクが入っていた。後で清算するタイプだろう。私はわざと明るい声を出すと。「ここに来るということは、もう運転しないのか。だったら一杯飲んでいいかしら」

 上司は私が泊まる覚悟をしたことに喜びを隠せない。「そうか、うん、いいだろう。好きに飲んだらいい。後でゆっくりと楽しむためにもな」
 私は缶ビールを一本取りだすとすぐにふたを開けるとそのまま飲む。
「ほう、君は酒が好きな飲み方だな」「本当は好きなんですよ」と私はわざと明るく振舞った。
「あら、メッセージ。ちょっと待ってね」私はビールを横に置くとメッセージをチェックする。
「ここのシャワールームのバスタブが大きいですね」私はスマホをしまうと、バスルームを見た。
「そうだ、君、一緒に入ろうか?」上司は嬉しそうに立ち上がる。先ほどのクールな人物とは全く違う、完全にエロ親父そのもの。

「あ。どうぞお先にどうぞ。私は、シャワーの前に先にメイクを落としたい派なので」と、私は適当なことを言って避ける。上司は「気が向いたらいつでもおいで、待っているよ」と、上機嫌にシャワールームに入った。

 私は、もう一度スマホの画面を見る。

 5分後、上機嫌に鼻歌を歌いながらるシャワーを浴びている上司をよそに、私は部屋の内カギを開けた。静かにドアが開くと、ドアの前にいた数人が部屋の中に入る。
「行け!」数人はシャワールームにいる上司に突撃した。「だ。誰だ!君たちは?」「警察です。こちらに逮捕状が出ていますので、署までご同行願いたい」
 上司は、横領と婦女暴行罪のふたつの罪で逮捕された。経理部長である上司は金を使い込んでいるという噂が流れており、役員たちも疑っている。そして告発状が警察に届いた。同時に経理に入ってくる新人の女性社員に対して「使い込んだ」と脅し、暴行に及んでいるとの噂もだ。

 実は私の正体は女刑事。会社の役員と協力して、私が派遣から新しく正社員になったことにして経理担当として潜入捜査を行っていた。そして上司である経理部長を探りながら証拠を探す。
 その甲斐があり、証拠が見つかって経理部長の罪が固まりった。逮捕状が出て明日にでも逮捕というとき、何も知らない経理部長は私を誘ってきたのだ。噂の通り、それまでの女性社員同様に、脅しをしながら体を求めようとした。

「刑事、お疲れさまでした。しかし危なかったですね。ホテルまで」警察官のひとりが話しかけてくる。
「ふ、大丈夫よ。いざとなったら空手有段者の私はいくらでも防御できたし。でもそんなことせずにスムーズに事が運んだのは、スマホで時計を見る振りしながら、居場所などの情報を全部送れたことかしらね」

 そう言って私はもう一度スマホを見る。時刻は午後8時を回ったところであった。



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