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愛の河でいただくモーニング 第555話・7.31

「健、おはよう! 起きて」元日本人でありながら訳があり、台湾(中華民国)の国籍を取った宝健民(ほうけんみん)。台湾南部の都市・高雄で会社を興して成功した実業家だ。しかし妻の春華に突然起こされたためか、やや不機嫌な目覚めである。
「ふわぁ、春華。いや、わかってる。起きるよ。でもまだ眠いよふぁああ」と大あくび。普段は朝から夜まで忙しい健民も週末の今日は休み。緊急事態でも起きない限り、専務の周もしくは常務の陳に一任している。
「今日と明日は休みだからもう少しゆっくりさせてくれよ」「そんなこと言ったらあっという間に一日が溶けるわよ!」朝から春華は元気が良い。

「わ、わかったよ。起床、起床!(起きます、起きます)」
 こうして健民は滞在しているホテルのベッドから起き上がる。
「ホテルでもしっかりとおいしい朝食があるのに」健民はひとりでつぶやきながら服を着替えた。すでに春華はメイクも済ませて、いつでも出かけられる体制だ。
 ふたりは高雄市の郊外に邸宅があるが、健民は業務で日々残業するので平日は市内のホテルを使用。週末の土日だけ家に戻っている。そして週末の前つまり金曜日の夕方には、春華がホテルに来て一緒に宿泊。翌朝一緒に朝食を食べてから家に帰るという生活が続いていた。

 そしてこの週末も同じように、妻とともに一夜を過ごしたのだ。「で、どこに行くんだ?」健民はなにも聞かされていない。「すぐ近くよ」とだけいう。ホテルからタクシーに乗り春華が行先を運転手に伝えると、運転手は大きく頷きゆっくりとアクセルを踏む。と同時に健民もどこに行くのかすぐに分かった。

「おまえ、やっぱりあそこ好きだなぁ」健民そう言って口をゆがめる。
「さすが、今日もいっぱいねぇ」春華は店の前に来て嬉しそう。ここは老店と書かれている庶民的な雰囲気の朝食専門の食堂・興隆居。
 すでに多くの人がいてしっかりと行列ができている。
「私たちなんて出遅れ。、いつか早朝の時間に行ってみたいんだけど」「おいおい、ここって朝の4時からやっているんだろう。無理だ!」と言いながら健民は大あくび。「ふぁあ、朝7時、この時間でも眠いふぁああ」
 少しだけ並んだが回転も速く、あっという間に席に座る。メニューはすべて春華に任せていてるので、何も言わない健民。

「ここはやっぱり湯包(タンパオ)ね。あ、4個、店内で食べます」何度も来ているので春華は手際よく注文を済ませ待つ。
「たまには、隣の列もよさそうだな」この店では注文するメニューによって並ぶ列が違った。となりは焼餅の列である。
「いいのよ。また今度ね」さらりとかわすように答える春華。あっという間に湯包が4個ふたりの前に来た。
 見た目はやや小ぶりの肉まん。そのためいつもひとり2個ずつ食べる。橋につまんで一口食べれば、半分近くは口に入った。「あ、あち、ああ」健民は慌てる。「あ、ああ大事な肉汁がこぼれたか」

 その横で笑いをこらえるような表情の妻。健民の失敗を笑っているのか、肉包の旨さで喜んでいるのかは、わからない。もちろん彼女は、中に入っている肉汁をこぼすようなことはしていないようだ。
「でもこのシャキシャキがいいなあ」中に入っているのは肉の他に多くのキャベツ。口の中でもキャベツの固さをかみ砕きながら、シャキシャキ音を鳴らす。こうしてあっという間に2個ずつ平らげた。

「愛河(あいが)を見に行く?」春華は、店を出るとおねだりをする表情で健民に訴える。「いいよ、腹ごなし、そのまま橋を渡ってホテルまで散歩だな」
 台湾で事業が成功し、普段は車で移動することが多い健民。運動不足になりがちなこともあり、機会があれば体を動かしたいと考えている。特に朝の散歩は、空気が澄んでいるように感じられて特に心地よい。

「あ、見えてきたわ」10分ほど歩くと大きな川が現れた。これが愛河だ。
「春華、ちょっと川べりで座ろうか」川沿いには遊歩道がある。そして川方向にベンチがあった。ふたりはそこに座る。

「本当は、夜来た方がロマンチックだけどね」「ふん、そんなことはない。夜は多くの人が来るじゃないか。俺は朝の方が人が少なくていいさ。ふぁあ」最後にまた大あくび。春華は思わず笑いながら「そんな、眠そうが人が」と突っ込む。

 しばらく静かな時間が流れる。川はゆったりと上流から下流に向かって流れていた。昔は打狗川と呼ばれていたが『愛河』という看板の前で入水事件が起きたときに、報道で大きく看板が映し出される。それがきっかけで、いつしか本当に愛河という名前に変わったのだという。
 確かにこの街の恋人が愛を語るのにはふさわしい雰囲気がある。そしてこのふたりの夫婦も......

「愛河は、いつ来てもいいところね」「そうだね。初めてふたりだけでデートしたんだ」
「いつ聞いても思い出すわ。あなたが社長なんてことも知らずにね」春華は当時のことを思い出す。出会って間もないに、初めての夜デートはふたりの距離を一気に近づけた。
「ハハッ、まああのときは、社長と言ってもまだまだ。君と出会ってから一気に運が上昇したと思っているよ。そうだよな。同じ日、同じ場所で、パラグライダーをしてたんだ。運命の出会いってやつかな」
「うん、最初は社長と聞いておどろいた。けど婚約のときに、健がまさか本当に元日本人だなんて。冗談かと思ったわ」
「ハ、ハ、ハ。もう日本のことはいいよ。もう忘れていた。日本では単なる労働者だったんだ。縁があって台湾に来て事業を起こしたら成功して実業家。最近はそれに加えて投資家として、多くの若い将来性のある企業を育てているんだからな。そして君と出会えたのも最高だ」
 そういって健民は他人の目を気にせず、手を後ろから春華の腰に伸ばす。
「もう、朝から!」照れながらも嬉しそうに体をくっつける春華であった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 555/1000

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