夜空の先にあるもの
「では、僕はこれで失礼します。おやすみなさい」と、そのまま自室に立ち去ったのは西岡信二。那須高原の山の上にある温泉旅館の外、人工的な灯りがほとんどない空間に残されたのは、小田切マリエルとその夫の康夫。
「西岡君、いい子だったわね」「ああ、良かったなマリエル。ニコールに近づいている男がどういう奴か、ずっと気にしていたもんな」
「まあ、あの子は、私を頼ってフィリピンから来て、本当に不慣れな地なのに、がんばりやさんだからビアパブの店長になったのよ。だから変な男が付くわけないとは思っていたけどね。でも実際に見るまでは本当に不安だったわ」
マリエルはそういうと、安心したのか康夫の腕を握った。
「これからは、私たちだけの時間よ。ほら空が」とマリエルは指差すと、那須高原の山から見える夜空。満天の星空という言葉がふさわしいほど大小数多くの星空が、見事に天空を支配していた。
「うーん、ここまで美しい物とはな。普段は都会にいて、人工的なネオンばかり見ていると、こう弱々しくも感じるひとつひとつの星空が新鮮だ」
「都会のネオンと比較したらダメよ。この星空はこの那須も東京も、そしてフィリピンもどの上空から見ても基本は同じ。あ、そっか南十字星はフィリピンで見えても日本では」と、言葉を詰まらせるマリエルだが、康夫は彼女の右肩を二回たたいた。この合図は否定を意味する。肯定なら一回たたくという、ふたりだけの暗号。
「沖縄の南に波照間島(はてるまじま)というのがあって、そこでは南十字星が見れるんだよ」「あ、そう、沖縄よりも南の島なのね。そこならそうなのね」マリエルは口を緩めながら照れ笑い。「フィリピンでも南十字星がいつでも見れるわけではないわ。ニセ十字というのがあるらしいし」
「ニセか。地球からは気が遠くなるほど遠い距離から来る星の光。そんなものに二セも本物もなさそうだがな」康夫は蓄えている口髭を、利き手で軽く撫でると、腕を組み険しい表情になる。
しばらく沈黙が流れた。
「ちょっと話題を変えましょう」とはマリエル。「ああ、済まない。ついつい考えごとをしてしまったよ。余計なことを考えずに、この自然をもっと楽しまないといけないなあ」といいながら、康夫はやはり同じように腕を組み変えて再び唸りながら考える。
マリエルは話題を変えようと必死。ついにスマホを取り出して何か探し始めた。「ねえ、これ覚えてる?」「うん?」
康夫は、マリエルがスマホから何かを見つけたようなので、彼女のスマホを覗く。「おお、これは1年前に行ったビーチの夜景ではないか」
「そう、今偶然に出て来たの。山の上でビーチの夜景見るのも変だけど」
康夫は、その画像を真剣なまなざしで数秒間眺める。そしてスマホから正面の暗闇に視線を変えると、突然ポエムを語り出した。
一人では非力だけど、
私にもできることがある。
信じること。
祈ること。
辛くても笑顔を忘れないこと。
今日よりも、
やってくる“明日”が幸せだと祈る。
幸せだと信じる。
その笑顔が誰かの心を、
一瞬でも癒せるように。
引用元・作者:百瀬七海さん
「え?なに急にポエムなんて」「ああ、これ一昨日たまたま見つけた物なんだ。あまりにも良いから覚えていた」
「あ、ああ、そ、そうなんだ」意外すぎることを言い出す康夫に、ただ戸惑うマリエル。
「この画像を見ていると、遠くが明るいが手前は暗い。今は闇夜で暗いが、必ず明るい朝が来る。そうすれば明るい未来が訪れるんだ」
「あ、まあね」そこでマリエルは口をつぐんだ。なぜならばこの写真は、夜のビーチの様子を取りたいために、わざと暗いタッチで撮影したもの。しかしそれ以上に夜の海は恐るべしだとマリエルは思った。よく見れば水平線がわからない。ビーチの砂の色だけが、かろうじてその違いを出しているのかと思いつつ。
康夫の語りは容赦なく続いていた。
「『今日よりも明日が幸せ』いい響きじゃないか。俺はついつい考えごとをしていた、それじゃあダメなんだ。常に笑顔で行こう」
「今はどこも厳しいわ。売り上げが低いのはどこも同じよ。でも闇のときでも必ず出口がある」ここまで言い終えてマリエルは、手に持っていたスマホの画像を改めて見直した。確かに暗闇だががいずれ明るくなることを予兆しているように見える。
「そんなことより、この画像とポエムで元気になってくれたの聞いただけで、私はほっとしたわ」そのとき、康夫はマリエルの右肩を一度だけ叩いた。「すまんなマリエル。おれの稼ぎが不安定で」「いいのよ。私の方も厳しいけど、どうにかやっていけてる。ふたりでこれからも力を合わせましょう。頑張ればこうやって那須高原に来れるのだから」
そういうと、マリエルは康夫に体を寄せるのだった。
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(エントリー不要!飛び入り大歓迎!! 10/10まで)
こちらは40日目です。
(4合目ですね。富士山で言えば、意外な穴場「奥庭自然公園」があるそうです)
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シリーズ 日々掌編短編小説 207
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