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バスに乗り遅れる 第793話・3.27

「じいちゃん、ああバスが!」大学生の大樹は、すぐ目の前をエンジン音と共に過ぎ去るバスを寂しく見送った。残されたのはバスの後ろからわずかに漏れ出た排気ガス。少し遅れて大樹の前に来たのは祖父の茂である。「おお、行ってしまったか。ちょっと、ゆっくりしすぎてしまったかのう」
 今日は少し山奥に来ていたふたり。メインの目的は、茂が春の山歩きを楽しむことであったが、そのついでにと誰もいないところで、大樹がYoutubeでアップしているトランペットの演奏の撮影と練習を兼ねていた。トランペットの練習や演奏を動画で撮るときには、いつのまにか茂がマネージャーのように一緒に付き添っている。まだ彼女もいない大樹は、大好きなおじいちゃんと一緒に行動するのが好き。また茂も孫と一緒に行動するのが最大の生きがいであった。
 そんな相思相愛のようなふたりであるが、今回は災いとなってしまう。練習時間が予定より長くなってしまい、帰りのバスに間に合わなかったのだ。

「あと、少しだったのに...…」「おい、ワシは高齢者じゃぞ、そんなに走れん。いや、じゃないな。しっかり時刻を見ておけばよかった。ワシが悪い」
「仕方がないよ。じゃあ次のバスはいつ来るんだ?」
 大樹はバスが去った後のバス停に向かう。ここはバスの終点のためか、バス停には屋根付きの待合所があった。またバス停の前は少し広くなっている。バスはこの場所まで来ると、そのまま転回して町の方に引き返していく仕組み。
「ありゃ、じいちゃんどうしよう」「うん?」「次のバスが来るのって...…」大樹は顔色が変わった。この後に来るバスは4時間後、夜遅い時間の最終便なのだ。
「一応帰れるけど、4時間も待つのって...…」大樹はあと5分早く練習を切り上げなかったことを、今さらながらに後悔する。

「ワシは別にここで待っても構わんが、大樹は嫌じゃろうな。このバスの路線をアイフォンで調べてみるか」
 そういうと茂は、スマホを取り出してバス会社のホームページから路線情報を探し出そうとする。
「じいちゃん、わかったよ途中のバス停!」同じことを大樹もしていたようだ。やはりこうなると祖父よりも孫の方が調べるの早い。
「えっと、この途中のバス停まで来ると、別のところからのバス路線と合流しているのか。お、こちらのバスは1時間に1本」
「どこじゃ」「ここだよ」大樹がバス停の名前を指さす。茂は今度は大樹に先を越されまいと、すぐに地図でそのバス停の位置を確認した。
「ここからじゃと、うん、だいたい3キロほど先じゃ。それにバス停までの道は山をひたすら下りるからな。ワシはこのバス停まで歩いても良いと思うが、あとは大樹次第じゃな。ここで4時間待っても良いし」

「じいちゃん、歩くよ。ここで4時間は辛いよ!」そういうと大樹はさっさと歩き始めた。
 バス停からふたりが向かうのと反対方向は峠になっているため、延々と下りが続く。だた舗装はされているが、片道一車線で歩道などない。そのため時より猛スピードで走り抜けていく峠の道を走る車に注意しないといけなかった。
「大樹、ゆっくり行こう。でないと」「じいちゃん、わかってるよ1年前のことだね」
 大樹は昨年の2月に交通事故に遭い、生死の境をさまよった経験がある。だから今でも車が前から走ってくるとトラウマがあった。とはいえ、4時間も待っているくらいならと、慎重に道を歩く。車が来ない限り静かな山道、とおくからBGMのように風の音、木が揺れる音が聞こえる。また、鳥がさえずる声もたまに聞こえるのだ。

 途中から道路のすぐ横から川の流れが見えてきた。道路からは10メートル近く下の谷にあるが、川の澄んだ流れと、渓流のように激しい場所のためか、かすかに流れる音が聞こえる。「ああ、やっぱり山の水はきれいだな」「じゃろうな。車だったら水をポリバケツにでも汲みに来てもよさそうじゃが、今日は歩きだからそういうわけにもいかんわ」大樹のすぐ後ろでは、にこやかに歩く茂。もう後期高齢者の域に達しようとしているのに、相変わらず元気そのものであった。

 歩き始めて1時間近くが経過。「あ、バス停が見えてきたよ」大樹が指さす。「そうか、そりゃよかったわ」大樹がバス停に向かって駆け寄る。「おい、大樹!そんなにあわてるな」 
 大樹がバス停まであと20メートルのところまで来た。ちょうど1台のバスがバス停に止まっている。「あ、じいちゃん!」大樹はラストスパートと言わんばかりに走ろうとしたが、直前にすでにバスは動き出してしまう。またしてもむなしく聞こえるバスのエンジン音。「ああ、まただ!」大樹は再びバスに間に合わなかったことを後悔した。
「おい、大樹。そのバスは!」茂も早足でようやく大樹に近づいた。さすがに走るのは無理だったよう。
「うん、違ったみたい」大樹が肩で呼吸をしながら笑顔で笑った。そのバスはよく見ると合流地点より、別の方向に向かうバスだったから。その10分後、ふたりは先ほどのバスが向かった先の方向から来たバスに無事に乗り込み、そのまま家に帰るのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 793/1000

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