南海の女王は緑が好き

「何が、奄美の浦島太郎だよ!」「和夫君どうしたの?浦島って」
「ああひとみちゃん、いとこが奄美大島行ったらしくて、そこで聞いたエピソードを自慢げに送って来たんだ。朝から面倒な奴だなぁ」
 山田和夫はいとこからのメッセージを不快に見ていた。それを見て乾き気味の声で笑うのは恋人の田中ひとみ。

「カハハッ!いいじゃないの、いとこさんのは国内でしょう。私たちはバリ島よ。絶対ここサヌールの方が、ビーチでは勝っているから。そんなことより早く海に行こう。水着はホテルで着て行くでしょ。「ひとみちゃんもう履いているよ。どう今日は、緑色の海パンにしたよ」と和夫はひとみの前で見せる。「あ、それ新しいのじゃない。いよいよデビューね」「そう、このまま行くよ。南の海でデビューを飾ろう」
「さて、出発よ。迎えに来てくれるウブドゥ在住の知り合いが、もうロビーで待っているはずだわ」

 ふたりがホテルの部屋を出てロビーに来ると、ひとりのインドネシアの男性が待っていた。「アルヨさんお久しぶり!」「おお、ひとみさんお待ちしていました」と嬉しそうに握手をするふたり。その横で軽く咳払いをする和夫。
「え、えっと、初めまして山田和夫と申します。僕はこちらの田中ひとみさんと」「あ、それ知っています。初めまして、ボクはアルヨと申します。日本語大丈夫。5年前から3年間、日本の大学にいて習いました」
 多少なまってはいるものの、普通に理解可能な日本語。現地の言葉を知らない和夫は安心した。そして笑顔で「よろしく」というと、アルヨも笑顔で「こちらこそ」と、ふたりは固い握手を交わした。

「先に仲間がビーチにいます。ここから近いです。行きましょう」と笑顔のアルヨ。ところが再び和夫と視線が合ったかと思うと、笑顔が無くなり真顔になる。「あのお、それで、ビーチに行くのですか?」「はい、何か問題ですか」「実はビーチに行くのに、緑色のものはやめた方がいいです」
「え?」
「あの、アルヨ。どういうこと?それって宗教上の問題かしら」
「いえ、その。緑色の格好でビーチにいると、南海の女王に召使と勘違いされて海中に引き込まれます」「ええ!」
「ここバリ島とジャワ島では今でも多くの人が信じている女神がいます。南海の女王と言われている彼女は、ニイ・ロロ・キドゥルという名前です」

「えっと、それってつまり緑色の水着で泳いだら溺れ死ぬってこと」「はい、だから私たちは絶対にやりません」と真顔で答えるアルヨ。
「なんか気になるな。ごめん、ちょっと待っててくれる? 着替えてくるわ」と和夫。「そうね、科学的なな根拠は無いと思うけど、用心に越したことがないね。私たち待っているわよ。アルヨ、いいかしら」
「もちろんです。ぜひそうしてください」とアルヨ。そこで和夫はふたりをロビーに残し、着替えるために小走りで部屋に戻った。

「アルヨごめんなさい。私たち知らなくて」「それは良いです。でも着替えに行って正解です」「で、その、ニイロロって言う女神は、何か神話のようなものとかあるのかしら」
 ひとみは海難事故を引き起こすという、女神のことが気になって仕方がない。「もちろんあります。いろんなエピソードがあります」「ねえ、もしよければ教えてもらえますか」「そうですね。和夫さんが戻って来るまで時間があります。この話皆さんにも知ってほしい。だから僕が知っている話をします」そういうと、アルヨは語り始めた。

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 昔、バジャジャランという国が、今のジャワ島の西側にありました。そしてその国で最も偉大な大王がいました。
 彼には多くの側室がいてハーレムになっています。そしてひとりの美しい娘カディタがいました。王は、その娘があまりにも美しいです。だからその母ともども、大切にしていました。ところが、他の側室たちは特別扱いされているこの母子の存在を疎ましく思っています。

 また王は、自らの後継者である王子が欲しいという気持ちがありました。そんなある日、ある側室を連れてきます。すると彼女が身ごもり王子が生まれました。そして王は大変喜びます。

 しかし側室たちは、ここぞとばかりに母と娘を追い出すことを考えました。王子に代って王に溺愛されている娘に王位が行くことはないと思いつつも、いつ気が変わるかもしれないと、王子の母もそう考えます。
 最初、母子の追放を願い出まました。しかし王がその事を聞き入れるわけはありません。「それならば」と、今度はドゥクンと呼ばれる黒魔術師と接触します。
「王の娘カディタを王宮から追放したい」「わかりました。どうしましょうか」「例えばあの美しい体中を醜いできもので覆ってほしい。見事に成功したら通常の報酬とは別に褒美を差し上げますわ」

 それを聞いた黒魔術師は術を使い、カディタの体中にできものを作らせ、さらにはそのできものから異臭を放つようにしたのです。彼女の母親も同様でした。戸惑うカディタ。王は娘を治療しようと国中の医者を呼んで手当を指せますが、一向に治りません。

 やがてこの病は不吉の証といううわさが経ち、またそのことで敵対していた王子の母や側室たちが、この母子の追放するよう王に迫ります。ついに王はその訴えを受け、母子を追放します。
 病気になっただけでなく、王宮まで追放されて途方に暮れた母子。しばらくしたら母親の方は死んでしまいます。残された娘は7日間も歩ききつづけ、ついにジャワ島の南側にある海岸に到達しました。

 この日の夜、カディタは夢を見ます。「お前は呪いに掛けられている。だから海に飛び込みなさい。そうすれば呪いが解ける」と。そして起きたカディタは、このまま苦しんで死ぬよりも夢の可能性を信じました。海に飛び込みます。すると、本当に呪いが消え、身体が元のように美しくなりました。むしろ以前より美しくなったよう。

 このときは、既に自らを陥れた王宮の側室たちへの恨みもありません。そして不思議な力を宿りました。すでに人間ではない霊的な存在になった彼女は、この海に棲みつきあらゆる生き物の支配者となります。つまりニイ・ロロ・キドゥルという南海の女王になりました。

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 「お待たせしました!」とちょうどアルヨが語り終えたタイミングで、元気よく小走りで和夫は戻ってくる。「あ!」「予備で持ってきてよかった。そう初めてひとみちゃんが買ってくれた海パンだ」
 すると突然表情が変わったアルヨ。「それは!」
「え、まさか赤色もダメなんですか? もう予備の海パンないですよ」「いえ、色はOK。ただそれは、日本のフンドシというものかと思って」

 一瞬固まった空気が流れるロビー。数秒後に口を開いたのはひとみ。
「ち、違う、確かにフンドシは赤色があるけど、これは違うのよ!」直後に思わず声に出して笑う和夫だった。



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