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終戦

「ホアちゃん、強すぎる。もういいよ。これ終戦にしよう」
「圭さん弱すぎる。でもやっぱり歴史通りね」
 圭はこの年の正月に、婚約者のベトナム人ホアと実家のある東京に帰った。そのときに、あるものを実家から持って帰ってくる。それは古いボードゲーム。圭がまだ子供のころに、父親から買ってもらったものである。それは、第二次大戦のノルマンディ上陸作戦を舞台にしたシュミレーションゲームであった。圭のためと言いながら、恐らくは歴史好きである圭の父親の趣味で買ったゲームであろう。そしていつも圭は父親と対戦して負けてばっかりと、苦い記憶のある代物であった。
「あのときは、いつも連合国側でやって負けてばっかなのに... ...」
 その懐かしいゲームを、京都に持って帰って、ホアと暇なときに遊ぶ。でも今度はドイツ軍側になった圭は、いつもホアに負けてばっかりである。「この戦いでは、連合国側が上陸に成功してパリが開放されるから、負けるわけないの!」
 ホアが自慢に言い放ち、満ちた笑いを浮かべると、ゲームとは言え、圭はおもしろくない。いつも半ば投げやりに「終戦!」と言ってゲームを止めるのだ。

ーーー

 今日も圭は、憮然とした表情でトイレに向かう。ホアは嬉しそうにゲーム版を眺めていた。直ぐにトイレから圭が戻って来るが、先ほどと違い顔の表情が穏やかになる。「ホアちゃん、そういえば今日8月15日は終戦記念日だ」「あ、そうかBONと重なっているからややこしいね」
 そういいながらふたりはゲームを片付け始める。
「日本では、そうだけどこのゲームで登場するドイツでは、もっと早く終わっていたんだよな」「そうそう、ドイツは1945年4月30日にヒトラーが自殺したときに、事実上終わったらしいわね」圭よりもいろんな調べことをするホアは、歴史もやけに詳しい。

「この当時は、ベトナムにも日本軍がいたんだよね」
「うん、でも戦争の話だとやっぱり」「ベトナム戦争か」
「そうよ」ホアは立ち上がり、片付け終ったゲームを、棚の上に置く。
「あ!」「どうしたの」
「ベトナム戦争が終わったのは1975年4月30日。今のホーチミンシティがサイゴンと呼ばれていて、そこが北側に開放された日。さっき言っていたナチスドイツの終戦の日と同じよ」
「あ、本当だ。ちょうど30年後。ゴールデンウィークに終戦のタイミングか。日本は夏まで粘ったってとこだね」
 そういいながら圭は目をつぶり複雑な気持ちになる。ドイツが降伏後、日本が降伏するまで3か月半遅れている。これが同じくらいなら、原爆投下もなければ、ソ連の参戦も、また沖縄戦も、もう少し犠牲者が少なかったかもしれないからだ。
 圭は目を開けて立ち上がりると、キッチンの方に入っていく。しばらくすると、お盆にコーヒーカップをふたつ乗せて戻って来る。
「気晴らしに久しぶりにベトナムのコーヒーでも飲もうか」「うん、コンデンスミルクは大目に入ってるよね」

 圭が持ってきたコーヒーカップの上には、ベトナムコーヒーの銀色のフィルターが乗っている。カップの様な形をしたフィルターは、底に点のような穴が無数に開いている。そこに砕いたコーヒーの粉末を入れ、その上に中蓋を挟んで、中のコーヒーを締め上げる。中蓋にも穴が無数に空いており、その上からお湯を注ぐ。上のふたは、閉めてもそのままでも、あまり関係が無い。やがて間に挟まったコーヒー粉末が、土のような役目を果たしてろ過される。そしてカップにはコーヒーを含んだ高熱の液体が、水滴のように下に落ちていく。ちなみみにコーヒーカップの底には、コンデンスミルクが大量に入っている。ベトナムコーヒーはブラックで飲むことは基本的になく、コンデンスミルクと混ぜて飲むのが一般的なのだ。

「さて、ゆっくり待つとするか」
「この待っている間が楽しいのよ」 
 ベトナムコーヒーは、ハンドドリップで入れるコーヒーの紙のフィルターよりも、コーヒーの液が下に落ちる速度が遅い。コーヒーがカップに溜まるまで10分近く待つこともある。ふたりはテーブルに置いてあるコーヒーカップを静かに眺めた。

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「さて、そろそろコーヒーが溜まったかな」圭はそういうとカップの上に載っているフィルターを取りはずす。すると確かにカップにコーヒーの黒い液体が溜まっていた。
 そしてふたりはスプーンでコーヒーをかき混ぜる。そこにはとろみのあるコンデンスミルクが入っており、それを混ぜて行くとダークだったコーヒーの色が茶色に変化した。そしてスプーンを外すと、そのまま口に運ぶ。
 一瞬コーヒーのアロマを感じると、すぐに口の中に入り込む液体。濃いコーヒーだが、コンデンスミルクがあることで、甘みが加わり飲みやすい。時間をかけてコーヒーができたためか、お湯がそれほど高温ではない。だから口の中や舌が火傷することはなかった。喉に来る熱さも許容範囲。だから口の中から鼻にかけて広がる、コーヒーのフレーバーの心地よさだけを感じることができた。

「うん、美味しい。ホッとする」「コーヒーを飲むと気持ちが落ち着くな」突然ふたりのいる時間が、ゆっくりと流れているような気がしている。
「でも、戦争って国同士ととは限らないわね」
「ホアちゃんどういうこと?」「例えば、夫婦とか」
「まあ夫婦げんかもある意味の戦争か。さすがによほどのことが無い限り、殺し合いはしないわな」
 そこでなぜか、ホアが少しさびしそうな表情になる。「私、圭さんとは、ケンカしたくない」「え?」
「さっきみたいに、ゲームで戦うのはいいけど。本当のケンカ・戦争は嫌」
「ああ、しないよ。俺だって可愛いホアちゃんと本当の戦争なんてしたくないから」
「絶対よ!」「うん」
「良かった!」そう言ってホアは圭のそばに近づくと、電灯に反射して艶と輝きのある、腰近くまで伸びる黒髪をなびかせた。そして圭の右手を両手で握りしめる。圭も左手をその上に置いた。

数十秒の沈黙が流れるが、ホアが何かを思い出したのか突然ぶち破る。「あ、昨日ダウンロードしたゲームまだやっていない」
「ん?あ、あの架空の宇宙戦争がテーマのだっけ」
「うん、あれふたりで対戦もできでるよ。圭さんもダウンロードしたでしょ」
「え、あ、言われるままにしたよ」
「じゃあ私は連邦側やるから、圭さんは帝国側ね。今回のゲームも私が勝つよ」
 圭が答える間もなく、ホアは嬉しそうにスマホを取出し、さっそくゲームのアプリを起動させた。
「ゲームとは言え、終戦してから1時間で再戦か。まるで休戦中にコーヒー飲んでいたみたいだな」圭はそう小さくつぶやく。そしえスマホの操作を始めるのだった。


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こちらは44日目です。


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シリーズ 日々掌編短編小説 210

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