ワクチンより苦手な接種シーン 第530話・7.6

「ああ、まただ。テレビのニュースはこの話題ばっかり」大学生の大樹は、不快のあまりテレビのスイッチを切ると、大好きな祖父、茂の部屋に向かった。

「じいちゃん、入っていい」大樹がノックすると「おう、大樹か。入っていいぞ」と、相変わらず元気な茂の声。大樹が中に入ると、茂はスマホ片手に真剣な目で何か操作していた。
「今、ネットしているの」「あ、いや大したことない。もう終わる。それにしてもこのアイフォンを見すぎると、肩が凝って痛くなるのう」茂はスマホから手を離すと、右手で左肩を擦った。

「ねえ、じいちゃん。肩たたきしようか?」「お、大樹が肩叩いてくれるのか。それはうれしい。頼む」
 大樹はうなづくと茂の後ろに回る。最初に肩を触ってみると、茂の肩は金属のように凝り固まっていた。大樹は両手を握り、そのこぶしを茂の両肩めがけて叩き始める。その叩き方は、まるで打楽器の演奏をしているかのように軽快。リズム感もあった。
 茂は目をつぶり「お、いいぞ。大樹、ちゃんと効いているぞ」と、ご機嫌。

ーーーーー

「あ、そうだ。じいちゃん」しばらく黙って肩をたたいていた大樹が、話しかける。「うん、何じゃ」
「ワクチンは、まだだよね」
「おうそうなんじゃ。本当は先月の末に打つ予定にしておったんじゃが、急な予定が入ったじゃろ。だからいったんキャンセルにした。だから次の予約をせんと行かんのじゃが、そう、まだしてないのう。多分8月以降になるじゃろうな」と特に慌てる様子もない。
「急がなくてもいいの」「ああ、世間では行列作って待って居る人とかいるようじゃが、そこまでする必要あるのかのう。別に全員の分があるようじゃし、ワシなんぞそんなに外に出るわけでもないから、慌てずとも良い」と涼しい表情で答える。

「たぶん、僕はもっと後かな。秋、いや冬かもしれないけど」「おう、大樹はワクチンの副反応とかを気にしているのか?」「違う。そうじゃないけど......」
 途中まで言いかけて大樹は言葉をつぐんだ。「どうしたんじゃ。注射そのものが嫌なのか?」
 このとき、大樹の叩く手が少し強くなった。そして逆に速度が遅くなる。

「え、ああ、僕は、今年の冬のときにね」「ああ、大事故のことだな。全身点滴とか針刺されまくっていたなぁ。今だから言えるが、最初は集中治療室みないなところで、お前と面会したときは、わしも緊張したぞ」
「集中...... あぁ。でもそのときのことって、実はあまり覚ええない」「そうじゃろうなぁ。あのときは、お前が意識の有無で争っていたころじゃからな。まああんなところは覚えておくこともなかろう」
 茂は後ろを向いたままだが、後ろから見ても、安どの表情を浮かべたように大樹には見えた。
「でもこうやって、わしの肩を叩いてくれるまでになったんじゃから、ほんと回復してくれてよかった」

「でも、退院するまでの一般の病室のときは覚えてるよ。日課のように点滴の交換とか、あと採血も。おかげで体に針を刺されるのが苦手になっちゃった」
「ああ、まあな。でもわしの年になると、肩や腰に針を刺してくれると、血行が良くなるんじゃ」「あ、針治療」「そう、見た目は痛そうじゃが、終わったあとは、すっきりしていて気持ちよい」
「いや、まだ注射とか、必要だからやられること自体はいいんだ。けどさっきもだけど」「うん?」
 ついに大樹の手が止まった。

「テレビでニュースをするときって、いつも注射を人に打つシーンばっかり。あればかりを見せられるともう嫌で......」
「おう、あれは確かにな。あんなものなんで人に見せるのかのう。それ以上にワシは思ったんじゃが、あれ打つ方も打たれる方も嫌だろうなぁ。目の前でカメラなんぞ回されたら、本当は気が散るだろうに」
 手を止めていた大樹は、肩から手を外す。それを感じ取った茂が大樹を見る。「おお大樹。疲れたじゃろ。もうええぞ」
「あ、ごめん。ちょっと話に集中したかなあ」大樹は申し訳なさそうな表情。
「いやいや、大樹のおかげでずいぶん肩が楽になった。お前が言うとったテレビの注射のシーンはわしも苦手じゃ。ネットでもやっとる。そうそう、あれやりだしてから、ワシ針治療に行くの嫌になったわ」
 茂は笑いながら両肩を回す。


「おう、そうそう、さっきSNSでフォローしている人が教えてくれた。今日7月6日は、何の日だと思う」
「え、サラダ記念日」「お、それもあったな。じゃなくてワクチンの日じゃ」
「え! そんなのあるの?」大樹は驚きのあまり声が大きくなる。
「そうなんじゃ。パスツールという学者が、1885年初めて狂犬病のワクチンを人に摂取した日が今日なんだそうだな」
「へえ、知らなかった。でも最初にワクチン打った人って、絶対勇気行っただろうなあ」「そりゃそうじゃ。副反応とか、もっと未知数じゃっただろう」

「僕、学生なのに無知でだめだな」大樹はそう言って自分で自分の頭を数回叩く。
「ハハッハ、単なる雑学じゃ。そんなこと気にするな。それよりトランペットの方はちゃんとやってるか? 来週また皇帝貴族のが」
「え、ああ、喫茶店ライブ! そ、そうだね。あ、だめだ。練習しないと。ごめん、じいちゃん。今から練習する」
 大樹は、ライブのことを完全に忘れていたのだ。だから慌てて自室に戻っていくのだった。


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