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バスジャックに遭遇

「久しぶりの実家だっていうのに、厄介なことになっちまったぜ」
 グルメ雑誌の編集長・茨城は、小さくつぶやきながら腕時計を眺める。ここはローカルバスの中。舗装されているとはいえ、山の中の道だ。定期的に左右に動く小刻みなカーブがある。ときおり揺れる車体に身を委ねながらため息をついた。
「今月は計画的に編集作業をいつもより早く終わらせて、有休をとった。久しぶりに実家でゆっくりしようっていうのに、なにこれ? ひょとして茨城君への当てつけ?」
 茨城は角刈りの頭をなでながら10分前に戻ってほしいと願った。前のバス停で降りなかったことへの後悔を兼ねて。

 茨城は朝に家を出た。住んでいる都会から電車を乗り継ぎ、やがて駅から実家のある山里に向かうバスに乗る。間もなく夕暮れどき。日の明かりがずいぶん西に傾き、ときおり山の中に見え隠れした。
 そして山の間にある小さな集落は彼の生まれ故郷。そして両親が住んでいる。最寄りの駅からすぐに山道に入ったバスは、左右に緑の風景を提供してくれていた。さらに窓が開いているので、そこから吹き込む風にも田舎の香りが充満している。
「コンクリートジャングルに囲まれたオフィスとは大違い。やっぱいいねえ故郷は。もうパソコンとネット環境持ち込んで、ずっと実家でテレワークしちゃおうかな」
 終始ご機嫌な茨城。両親への手土産を持ったかばんを大切に抱えている。 

 彼の家はバスの通る道路沿いから離れていない。ただ手前の停留所と次の停留所のほぼ中間地点に家があった。だから本来手前で降りればよい。だがそこで降りれば、実家に向かう途中少し急な勾配がある。今日は荷物も多いためバスで登り切ってもらって次の停留所で降りたほうが、家に行くのが楽なのだ。
 だから先の停留所で降りようと、手前の停留所はそのままで乗り過ごす。だがその停留所で、バスに乗り込んできた女が問題だったのだ。

ーーーー

 実はこの集落とその周辺で、この日の明け方から数件の連続放火事件が立て続けに起こっていた。警察は総力を挙げて犯人探しに躍起になる。そしてある程度犯人が特定された。茨城は実家のある集落にそういう事件が起きていることは、移動中ということもあり知らない。
 ちょうど車窓から実家が見えたので、次の停留所が近づき、降りる準備をしようとしたときに突然事件が発生。   
 先ほど乗り込んできた女が、突然運転席に向かったかと思うと、運転手に刃渡りの長いサバイバルナイフを突きつけたのだ。

「バスジャック!」このときローカルバスに乗っていたのは、茨城のほか、地元の人と思われる老夫婦。そして小さな子連れの主婦だけ。

「お前ら! 大人しく座ってんだよ!」大声でわめく女は、20歳代後半から30歳代前半だろうか? おしゃれ・身だしなみには全く無頓着で、部屋着のような黒い上下のジャージ姿だ。肩近くまで伸びた髪は全く手入れをしていないバサバサで、かつノーメイクと、まるで女性であることを忘れているかのよう。

 子供は泣き出し、母親は震えながら子供を抱いている。先ほどまで楽しく会話をしていた老夫婦も黙って下を向いていた。静まり返ったバスの車内。ここで後ろからサイレンの音が鳴った。茨城は後ろを振り返ると、すぐ後ろにパトカーがバスを追跡している。どうやらこの女は放火の犯人と特定されたらしい。
「今から空港に行く、お前ら大人しくしてたら殺しはしねえよ!」女が大声で茨城たち乗客を威嚇する。
「お前、早く空港へ行け」ナイフを突きつけられた運転手はハンドルを握ったまま黙って小さく頷く。

「ちょっと待ってくれよ。こんな田舎から空港までって。俺たちを人質にして飛行機に乗り込む気なのだろうか?」
 茨城はバス車内への恐怖心よりも、空港に向かうことにいら立った。なぜならば、この集落から最も近い空港まで片道2時間。それも隣の県にあるのだ。

「おい、空港までここからだと2時間かかるぞ!」茨城は立ち上がって運転席の女に話しかけた。
「うるせえ、黙ってろ!」女はわめく。「いや黙っておれん、今から空港まで行くなんて御免だ!」
 茨城は犯人と堂々と口論をしている。相手はナイフを持っていたが、女性だからというのもあったのだろうか? 確かに茨城は学生時代は柔道部。子供のころには空手を習っている。武器さえなければ相手に勝てる自信があった。だがそれ以上にこの緊急事態に感覚が麻痺したのかもしれない。

 するとこの女は突然想定外のことを話し出した。
「あたしゃね『八百屋お七』の生まれ変わりなんだよ!」

「ヤオヤオシチ?」茨城は首をかしげる。
「おまえ知らないのか、あたしゃは江戸では歌舞伎とか芝居のモデルにもなったあった有名人さ。本郷の八百屋の娘として生まれたんだよ。それでさ、火事で避難したときに素敵な相手がいたんだよこれが。
 だからもう会いたいと、もう一度放火したら捕まっちまってよ。それで火あぶりの刑になったって寸法さ。年齢のサバ読めば助かったらしいが、あたしゃ馬鹿だからわかんなかった」

「それで、生まれ変わったってことは」「ああ、あたしゃ火が好きなようでさ。燃えるときに快感を味わうのよ。赤く燃え上がる火の勢い。黒い煙をまき散らし、何もかもが焼けて灰になる様が最高。今日は朝から立て続けに5軒火をつけてやったさ」
「5件の放火? それっていつからだ!」
「ああ、夜中ちょうど日付が変わったら、突然背中のあたりが重くなった。そしたら前世の記憶が鮮明によみがえったのさ」
 女は先ほどのような大声でわめいているのと違い、完全に江戸っ子のような語り口調。

「久しぶりに焼ける家見てて楽しんでたら、ポリ公が追いかけまわすのよ。だったらこのバスで空港に逃げよって寸法さ。だから悪いけど、あんた大人しくしてちょうだい」

 茨城は頭が混乱し、しばらく黙り込む。「前世が江戸時代の放火犯って。精神的な病が原因だろうか? 連続放火をしてバスジャックするくらいだから、多分そうなんだろうけど......」

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「お前さっきから何トロトロ運転してんだい。そこ、どきな」犯人はいきなり運転手の横腹に思いっきり蹴りを入れる。「ウグッ!」突然受けた衝撃で顔を辛そうにゆがめ、腹を抱えて倒れこむ運転手。
 女は運転手を運転席から追い出すと、自らハンドルを握った。さらにアクセルを踏み込み、バスの速度が急に早くなる。

「あ、危ない。お前飛ばすな。ゆっくり空港に行けばいいだろう」我に戻った茨城は、運転席に近づく。「黙れ、後ろのポリ公を引き離すんだよ!」
 女はさらにアクセルを踏み込んんでいった。バスは猛スピードで道路を走りだす。車体が大きく前後左右に揺れる。道路の切れ目の衝撃も激しくなり、カーブ時の遠心力も強い。茨城はよろけながらもさらに前に。後ろにいる老夫婦と親子はお互い体を合わせて震えていた。ただ田舎のためか、対向車が来ないのが幸いだ。

「やめろ!」茨城は犯人が運転しているからサバイバルナイフを持って襲ってこないと判断。そのまま運転席までくると、力づくで犯人を止めようとした。

「おまえ、邪魔をするな。ドケ!」「そうは行くかよ。俺はまだ死にたくないんでね」茨城はバスのハンドルを握っている女の腕を両手で握って、抑えようとする。茨城の力は強く女は手が動かない。
「ち、こうなったらバスごとぶつかってやる。そして最強のファイアーショーの始まりだ!」

 常軌を逸した女の言動。「どこかにぶつかってバスごと大破させるのか!」茨城は抑えながらも額に汗がにじみ出る。バスは山道を高速で走ったまま。バスのすぐ右側は崖。下手をすれば崖にバスが落ちるかもしれない。この暴走したバスを止めなければ、茨城はアクセルを止めようと女の足に蹴りを入れようとしたが、届かない。
 このとき運転手が腹を抱えて起き出したのが視線に入る。「チャンス!」直感した茨城は、途端に女の腕に噛みついた。
「イテテッテ! キャー何するの」女は慌てて手を離した。そのまま茨城に襲い掛かる。その隙をついて運転手は、後ろから女を突き倒すと、運転席に戻り、慌ててブレーキーに足をかけた。そしてハンドルをしっかり握る。

 やや高音の急ブレーキ、道路とタイヤが摩擦する音。バスは急停止。後ろの乗客たちは前のめりになって、この衝撃を受ける。そしてエンジンが焼き切れるような臭いがした。
 バスはあと一歩で崖を飛び越えるところでストップ。茨城は柔道の技を使って女を完全に取り押さえるに成功する。後ろからパトカーが追い付いてきた。
 運転手はドアを開け、警察官がバスの中に突入。犯人の女はここで逮捕された。

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「捜査へのご協力ありがとうございました。後日、感謝状をお渡しします」と事情徴収を受けた後、警察と別れた茨城。気が付けば実家から大きく離れた別の集落まで来てしまったので、結局タクシーで実家に帰る。
「こんな事だったら最初からタクシーにすればよかったよ」

 こうして無事に実家に戻る。すでに夜になっていた。玄関を開けると母が心配そうに声をかけてくる。「バスジャックにあったって大丈夫だったの」
「ああ、とりあえずこのように無事。でも疲れたよ。そうそう犯人がおかしなことを言うんだ。八百屋お七の生まれ変わりって」
「え?」母の顔色が変わった。「今日3月29日は『八百屋お七の日』だけど」
「ええ? 今日って関係あったの」茨城はそれを聞いて少し複雑な気持ちになるのだった。





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シリーズ 日々掌編短編小説 433/1000

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