見出し画像

極楽の橋を経由して 第904話・7.16

「先生、もうすぐ橋本駅です」助手で、パートナーでもある出口は、先生こと歴史研究家の八雲に告げる。ふたりは和歌山市内からJRのローカル線に乗り橋本駅を目指していた。「出口君、乗り換えだな」車窓を黙って眺めていた八雲は一言呟く。今回のふたりの行き先は高野山。

 列車が橋本駅に到着するとふたりは下車した。そのまま高野山行きの電車に乗り換えるために移動する。「空海が開いた高野山は、人生のうちに一度は行かないといけない場所。私もようやく来ることが出来そうだ」自分の世界に浸りながらゆっくりと歩く八雲をよそに、出口は少し早足で先に乗り換え口に向かう。

 乗り換えた南海電車は、橋本駅を出ると紀ノ川を渡る。その後ゆっくりと坂を登りはじめた。標高92メートルの橋本駅から終着の極楽橋駅まで19.8キロメートルの距離がある。だがその距離よりも高さのインパクトがあった。極楽橋駅の標高は539メートルもあるため、その標高差が443mもある。まさしく登山鉄道の名にふさわしい。

「先生、九度山駅ですね」出口の声。引き継ぎ車窓を眺めていた八雲は、車窓を眺めたまま。「そうだな出口君、帰りに立ち寄って見るか。真田のところだからな」
「帰りですか。えっと、スケジュールはっと」出口はスマホを片手に予定を確認する。それからしばらくは、沈黙が続く。極楽橋までの間は、電車から聞こえる音だけの世界。高野山下駅を通過すると、急な登りになっている。
 車窓からは山の中の僅かな隙間に敷設された線路沿いに、列車が一生懸命に少しづつ山を登っているかのよう。まさしく登山列車だ。

「先生!」「間もなくだな」それぞれ個々の世界に入っていたふたりを終着駅を前にしてようやく融合したようだ。列車は執着の極楽橋駅に到着する。ここから高野山まではケーブルカーに乗るのだが、駅から降りた八雲は立ち止まった。

「うわさでは聞いていたが、中々、味わいのある駅だなあ」八雲は天井を見上げる。リニューアルしたばかりの極楽橋駅の天井はもう、高野山の寺院に来たかのような錯覚を覚える。「先生、途中下車できるようです。如何いたしますか?」
 出口の提案に、「うむ、それなら次のケーブルカーに乗ってみるかのう。出口君、改札を出ようか」

 他の客がケーブルカーに急ぐ様子を無視して、ふたりは極楽橋駅で途中下車してみた。ケーブルカーの乗り場とは反対方向、鉄道沿いに歩くと赤い橋が見えてくる。「先生あれが!」「極楽橋だな」八雲は目標が見つかったので足が速まった。

「降りる直前に見えた橋ですね」出口は端から川の流れを眺めている。「ここまでは高野街道が続いているらしいな」八雲は橋の先を見つめながら語り始めた。「紀ノ川近くの学文路駅から続く山道がこの橋につながっていて、ここからは女人堂に道が続いているな。さて出口君、どうするか?」
「え、どうするとは?」「ケーブルではなく歩いて高野山に登ることもできるんだ」八雲の挑戦的な問いかけであるが、出口は呆れかえった表情をする。「先生、もうケーブルカーのチケットを買いました。それに、この格好で山道は......」

 出口の言う通りであった。ふたりともパワースポットとも霊場ともいえる宗教の場所に訪問するときには、スーツ姿が基本。それは八雲が宗教の対象に対する敬意を表すという意味だからだという。だからふたりは今日もスーツ姿。この格好で山を登るのはあまりにも違和感がある。

「そうか、チケットを買っているのならやむを得ないな」八雲はあっさりと答えると、極楽橋駅に戻った。その後ふたりはケーブルカーに乗り込む。大型のケーブルカーが、一気に標高差300メートル以上も高いところめがけて登っていく。頂上にある高野山駅は標高867メートル。ほぼ高野山の標高と言えるところだ。

「先生、ついにつきました。高野山に」目的地に着いたのがうれしいのか、出口のテンションがやや上がっている。八雲のテンションは変わらない。「出口君、本当の高野山は女人堂を過ぎてからだよ。さて、ここからはバスに乗るが、どこに行こうか?」「先生!奥の院では」出口に対して八雲はゆっくりと首を横に振った。

「いや、出口君。本来なら大門から入るべきだと思わないか。高野山は町そのものがひとつの巨大寺院のような構成になっている。大門が入り口で、壇上伽藍があり、本坊に該当する金剛峯寺がある。そこから奥に歩いて行くと、ようやく奥の院というわけじゃ」
 八雲の言い方はいつものこと。出口は八雲が大門から奥の院まで歩いて向かおうとしていることはすぐにわかった。だが。せっかくここまで公共交通で来たのに、なぜわざわざ目的地と反対方向に向かうバスに乗らないといけないのか納得できない。

 出口の目が鋭くなり、反論しようとする。ところがここで八雲が先に発言した。「だが、今回はバスで奥の院まで行こうかのう。もし歩くなら、京都や大阪から高野街道という道を一歩ずつ歩かなければならんからな。今回は最後まで楽というわけではないが、バスを使おうか」
 出口が反論する必要はなかった。「ですよね。和歌山から入ったことがそもそもの間違いですから」と、出口は言いながらバスのチケットを買いに行く。心の中では安堵のため息をつくのだった。

https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E6%97%85%E9%87%8E%E3%81%9D%E3%82%88%E3%81%8B%E3%81%9C
------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 904/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#和歌山県
#出口と八雲
#極楽橋駅
#高野山
#とは


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?