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10年前のカフェは人生の分岐点? 第1052話・12.16

「勉強して、理想の仕事を探さないとね。か、そんなことを考えたこともあったなあ」
 稲村は10年前の出来事をふと思い出す。10年前と言えば、ちょうど翌年の 
 大学受験に向けて最も苦労したときである。稲村は高校のころまでは今のような人生を歩むとは全く思っておらず、一般的な同級生同様に中学・高校と出た後、大学に進み、やがてどこかの一流企業に就職する事ばかりだと思っていた。
 高校は公立ではあったが、その地区ではトップの高校と言われていた進学校で、そこから国立大学を目指して猛勉強。もちろんクリスマスも正月も10年前に関しては皆無と言ってもよいほど関わらなかった。

「10年前もこんなイルミネーションやらサンタクロースが、町を徘徊していたのだろうか?」稲村には10年前の12月の記憶がない。ふと10年前に戻ってもう一度、師走独特の雰囲気を味わいたい気がした。だが、5分もすればそんなことはてっきり忘れている。

 様々な色合いのLEDで輝く、イルミネーションに彩られた夜の街を歩く。サンタクロースのいで立ちをしたバイトがどこかのショップのチラシを配っている。稲村は大学のときから実家を出てひとり暮らしをしていた。だが実家からはそれほど離れていないので、来ている町の繁華街は10年前と同じである。

「あ、あれは?」稲村が町を歩いていると一軒のカフェを見つけた。
「そうだ、思い出したここ!」それは10年前のクリスマスシーズンにも、稲村がこのカフェの前に来ていたこと。

「そうそう、勉強に疲れていて」あの時は確か予備校からの帰りであった。いつもならそのまま家に帰って、また勉強をしていただろう。だがそのとき、その時だけは違った。
 目の前のカフェが無性に気になったのだ。まるで何かに引き寄せられてかの如く、そのカフェに向かって足を動かす。そのカフェはオープンして間がないようで、開店祝いの花が店の前に置いてあった。確か工務店の名前がついていたのだと思う。

 中に入ると20人くらいが座れるお店で、スタッフは2人くらいでやっているようだ。メニューはコーヒーとか定番の物が並んでいて、これと言って物珍しさもなかった。だが、勉強漬けで、正直いっぱい、いっぱいになっていた稲村にとっては、普段とは違うところに来ただけでも息抜きになる。

 ドリンクを注文して待つ稲村。せっかくの気晴らしなのにやはりカバンから取り出して始めたことと言えば勉強だ。当時の稲村にとって一秒を無駄にすることが無駄のような気がした。
 当時の稲村にとっては、いかに自らの頭の中に凝縮された脳細胞に対して、目の前の紙媒体に書かれている文字情報、つまり勉強の内容を刻み続け、脳の記憶として大量に温存できるか?その事しか頭になかったのだ。

 しばらくは勉強に励む。結局それは学校にいるときも予備校、あるいは自宅で勉強している時と何ら変わらない。だがドリンクが目の前に運ばれた時、当然勉強が中断したが、そのときである。稲村の脳裏にいつもと違う何かを感じた。
「うん、落ち着くよここ」稲村はふとそう直感。それからもドリンクを飲みながら引き続き勉強をしたが、先ほどよりも効率が落ちていた。むしろいろいろと店内を見渡していたようだ。
 だがその方が稲村にとっては正解だったのかもしれない。なぜならば、その日店を出て家に帰ってからの復習時に、頭の中に効率よく学びの内容が入ったからだ。

 稲村はそれ以降1週間に1度のペースでカフェに通いだす。もちろん勉強をしていたが、カフェでの勉強は内容よりも精神的なリラックスに役だった。その結果が功を奏したのか、翌年の受験は成功!第一志望校に見事合格するのだ。
 ところが、大学に入学してから稲村は別の方で目覚める結果となる。それは学ぶことへの楽しさが広がった。それまでは義務的に受験勉強と称して必死に知識を埋めていたが、大学に入ってからは講義を聞きながら素朴に勉強が楽しくなっていたのだ。

「もしかしたら、このカフェのせいかもな」
 稲村は大学に進学してからは、あまり来ることが無かったカフェに、久しぶりに入る。今回は半年ぶりかもしれない。

 中に入るといつも通りの風景が続く。その時、稲村は壁に貼っているあるものを見つけた。「10周年!そうか初めて入った10年前は、開店して間が無かったなあ」
 こうして稲村はちょうど空いていた記憶でよみがえった10年前と同じ席に座る。もちろん注文したドリンクも10年前と同じだ。
 この時、稲村はもう勉強はしない。待っている間、店内を見渡して10年前の記憶と重ね合わせようとする。
「ほとんど変わっていないが、クリスマスツリー?あの時は無かったような」あいまいな記憶ではあるが、開店直後だったからクリスマスツリーは無かったのかもしれない。

 ドリンクが来た。稲村は10年前と同様にドリンクを飲む。その時この10年の出来事が走馬灯のようによみがえる。
 稲村は学ぶことに目覚め、その学びを研究することになった。大学卒業後は大学院に進み、それから5年で博士号を取得。結局会社に就職することなく、大学の研究者として学生に講師として教えながら、現在も特定分野の研究も続けている。
「もし、10年前のあの時にこの店に入らなければ、研究者にならず就職していたのかもしれない。学ぶ楽しさを知ることもなく...…」
 何の根拠もないことだが、稲村にはそう思えるのだった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 1052/1000

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