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芸術の秋 第644話・10.28

「芸術の秋か......」伊豆萌が、うわごとのようにつぶやいた。それを同居人のパートナー、蒲生久美子は聞き逃さない。「萌ちゃん、急にどうしたの?」

「あ、久美子さん、聞こえました?」「もちろんよ、萌ちゃんのことは全部わかっているつもりよ」久美子はそういうと、萌の左右の手を同時に触る。
 萌は久美子からの肌の温もりを感じると急に力が抜けてしまう。そのまま久美子に体を寄せてきた。「久美子さん」甘えた口調の萌。それを見ると目がたるみ、口元が緩む久美子がいる。

「あのう、芸術の秋って、どっちだと思います」
「え?」「そのう、見る方か、作る方かです」甘えた口調で、うっとりとした細い目で久美子を見つめる萌。久美子は思わず、萌の顔、おでこのあたりをゆっくりと撫でる。萌は猫のように静かに目をつぶり心地よさそう。
「そうねえ、どっちにするか、楽なのは見る方かしらね」
「やっぱりそうですよね。すでに完成している作品を見て、芸術を楽しむ方が無難かな」目をつぶりながら萌は答える。

「でも、見るだけでなく作るとかもいいわよ。 チャレンジすることはいいと思うわ。萌ちゃんは何かやりたいことがあるの?」「いや、まだ何も。私、美術の授業は良くも悪くもなく、いつも真ん中くらいだったし」

「そう、そしたら」久美子は突然萌から体を離すと。スマホを見る。「今度の休み、美術館行こうよ?」「え、美術館ですか」
「そう、見るだけの『芸術の秋』が体験できるわ。もしかしたらそれを見て創作意欲が湧いたら、作る方もかもよ」
 こうして久美子は近所の美術館で、何を催しているのか確認した。

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「今日はふたつの特別展よ」「贅沢ですね」「そうね、知名度が低い作家のだからだと思うわ」
 そのようなこともあってか、この日の美術館はそれほど人は多くない。それでも美術ファンらしきやや年配の紳士や芸術系大学の学生らしき若者の姿がある。
 ひとつは西洋画家を集めたもの。超有名作家の作品はないが、美術の世界を少しかじっていれば「ああ、」とうなづけるクラスの作品はある。秋をテーマにしたもので構成されており、多くはこの美術館のコレクションのようだ。
 ふたりはひとつひとつの作品を静かに眺める。「やっぱり西洋画らしいわね。本当に聖書の世界を描いているのが多いわ」「久美子さん、こっちは風景画のようですね。いったい何を収穫しているのかしら?」
 萌は、どうやら秋の風景、何かを収穫している農夫たちの絵が気に入っていた。

 ふたつ目の特別展は、立体的なもので、現代アートとある。陶芸のようなものがあるかと思えば、全く不思議なもの。金属片や段ボール、さらには石膏を使った巨大なモノが展示していた。さらには平面的な写真や古いチラシ、あるいは海外の新聞をいろいろ駆使して不思議な表現をしているものなど、先ほどとは対照的。
「これは......。私には難しいわ」「私も、でも多分何かを訴えようとしていることはわかります」萌は嬉しそうに作品を見る。久美子は萌を美術館に連れてきて良かったとばかりに目を細めた。

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「萌ちゃん今日はいい芸術の秋が楽しめたね」「久美子さんありがとうございます」美術館からの帰り際のふたりは満たされていた。「ちょっと寄っていきません」萌が近くの公園に立ち寄りたいという。
「すっかり秋の様相ね」ふたりは公園に立ち寄った。美術館にいたときにははれ上がっていた秋の空、いつの間にか曇っている。秋らしい景色が広がる中、木の葉を揺らす風の音が聞こえた。はしゃぐ子供の姿こそはないが、走っている人と犬を引き連れている人の姿はある。そういえばみんな冬っぽい格好。10日ほど前のまだ半そで姿の人が目立ったときとはずいぶん変わった。もちろん久美子と萌のふたりも長袖を着ていたが......。
「紅葉もそろそろ始まりそうです。あの木とか」萌が指さす木はモミジ・カエデのようなものではない。名前が分からない木だが、葉の色は黄緑からオレンジ色のグラデーション。さてこの木はいずれ赤く染まるのかオレンジのままで止まるのか?

「久美子さん、私、創る方の芸術にもチャレンジします」と唐突なことを言い出す萌。「え?何か創作するの」「はい、今日は美術館で素敵な作品を見て感じたの。特に現代アートではみんな自由に捜索しているのを見て、私も何かやりたくなりました」と元気に答える萌。それを聞いた久美子は嬉しそうに萌の手を取る。
「良かった。応援するわ。何でも相談してね」「はい!」萌は笑顔で答えると、静かに久美子に体を寄せた。

「でも何するの? 小説とかポエムみたいなのかな。絵を描く?それとも彫刻みたいなの」「久美子さん、それはまだ決めてません。今からゆっくり考えます。でもとりあえずモチーフになりそうだから秋の風景写真を撮って何するか決めようかな」
 そう言って萌は久美子から離れる。そしてスマホを片手に公園の風景を嬉しそうに撮り続けるのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 644/1000

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