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逃げる 第944話・8.26

「はやく、早く逃げないと!」私は走る。ただひたすら走った。とにかく逃げる、逃げるのだ。ここはどこかわからないけど、わからなりに、追手が来ないところを選んで逃げる。
「大丈夫、休憩とかいけるかな」私は走り続けているからさすがに疲れてきた。だから休憩したい。したいけどできない状況に焦る。「ここまで逃げていて、台無しにはしたくない」休憩したら追いつかれるから止まれないのだ。

 息が切れてきた。「ふう、ふう、だ、ダメ」走る速度が遅くなる。私は思わず後ろを見た。そのときは追手らしい影は見えない。
 だけどいつ現れるかわからないか影、私は気ばかりが焦る。だけど足が本当に言うことを聞かない。速度がますます遅くなり、ついに走れなくなった。「ダメ、ダメ!よ」私は頭の中で逃げたいのに、足はもう歩くことしかできない。いや足の本音は立ち止まりたくて仕方がなさそうだ。足が完全に踊るように震えているし、歩けばすぐに激痛が走る。

「だ、だめ、あああ」私はついに立ち止まった。幸いに大きな木が目の前にある。そこで隠れるように倒れこむ。「はあ、はあ」私は何度も口から息を吐く。目の前は川が流れている。「もう走れない。で、でも」
 私は何度も今走ってきた方を見ていた。追手の影が無いか慎重に見る。だが仮に、ここで追手の影が見えたとしても、今の私が再び立ち上がり足を引きずりながら動くことができるのだろうか?いや出来ない。だから私は影が見えないことを祈る。

「い、今は大丈夫、だ、だけど......」ようやく息が整った私は、ある作戦を思いついた。私はかつて水泳の大会に出場したことがある。つまり泳ぎの名手。何がしたいかといえば、目の前の川に飛び込もうというのだ。「このまま影が見えたら一巻の終わりだわ」
 私はなおも後ろを見る。追手の影はまだない。さすがに休憩なしで逃げたことや途中わざと迷路っぽいところを何度も通過したから、それでうまく追手を撒けた気がした。
 だが、油断大敵。「よし、行くわ」私は覚悟を決めた。私は立ち上がり川を見る。ここで大きく深呼吸。「大丈夫、大丈夫よ」私は自分自身に言い聞かせる。もういちど後ろを見た。「いない。よし行くわ」私はそのまま川に飛び込んだ。

 川を飛び込む音は聞こえる。私はそのまま水中に入った。私は潜水の状態で泳ぎ始める。なにしろ私が最も得意とする泳法で、息を止める時間も一般人の平均より長くできるのだ。こうして川を下っていくように泳ぐ。泳ぎながら逃げる。また逃げるのだ!
「う、ふぁあ」私は顔を出した。先ほど飛び込んだ地点からはずいぶん下流に来ている。何のために後ろを見たが何もない。
「走るのとは違う筋肉が使える。まだ逃げられるわ」私は呼吸の時だけ顔を出してそのまま川を下っていく。

 さてどのくらい泳いだのかわからない。さすがに私の体力も疲れてきた。「ど、どこか休憩できるところ」私は岸を見たが、ずいぶんと離れている。どうやら河口近くまで泳いできたようで川幅が急激に広がっていた。
「どっち、ねえ、どっちが安全なの」私は迷いながら、やはり飛び込んだ側ではない方の岸を目指す。私は目標に向かい最後の力を振りぼる。走っているときは足だけが痛く疲れていたが、もはや手も重くなり限界に近い。このままでは溺れてしまいそうな雰囲気だ。

「力を抜くのよ」私は自ら潜り、潜水の状態になると、そのまま岸を目指す。再度顔を水面から上げると河口からその先の海のあたりの境界線のようなところにあるビーチが見えてきた。
「だ、だめ」ビーチが見えて安心したのか、ここで私は急速に力が抜ける。力の限界か私は力なく沈もうとしたが、幸いなことに足が水の底に付いた。「た、立てる」水は肩の高さまでしかない。ここから私はゆっくりと歩いて岸辺に向かう。 

「ふ、ふうう、」波打ち際に来た私はようやく腰を下ろす。もう体力は限界。ここは定期的に波が押し寄せていた。それからオレンジ色をした日が沈もうとしている。
「どこかで隠れる場所がないかしら」私は休憩しながらでも、朝まで隠れられる場所を探す。

「え?ああっ!」私は突然全身から鳥肌が立つ。浜辺の向こうから見えるのは人影だ。「ま、まさか、そんな」私は体力の限界である。影が近づいているが、それに対して逃げることができない。もうできないのだ。
「こ、ここまで逃げてきたのに、ううっ」私は今まで必死に体力を使い切って逃げたのに、ここでもう追手につかまると思うと涙が止まらない。

「あ、あのう、どうされました?」
 私は遠くから影が意外なことを言ったので、思わず目が大きく開いた。「え、えええ......」私は人としばらく話をしていなかったこともあり言葉が出ない。
「服を着たまま全身が濡れている。ああ、海に流されたようですね。大丈夫ですか」
 私は驚いた。近づいてきた追手にしてはこの影は優しい。いやむしろこれは、油断させるための作戦かもしれない。また全身が濡れていたのが幸いし、私が絶望の涙を流したのは相手に悟られていないようだ。

「わ、私は、あなたには何も!」そういって私は身構えるが、影からようやくその姿がはっきりと見えた。私と同世代くらいの男性は笑顔になる。
「大丈夫ですよ。僕はあなたに危害を加えません。いや相当お疲れのようですね。ここは遠浅の海だから本当によかったですよ。まあ、意識はしっかりしておられますが、念のために一度病院に行かれた方がよいでしょう。今救急車を呼びますので」
 そこまでいうと男はスマホを取り出す。「ま、待って、このまま逃がして!」私は彼が追手かもしれないのに思わず本音が出る。
 その男は驚いた表情をしてスマホをいったん閉じると「逃がしてって、どこからか逃亡してきたのですか?」

 男は何も知らないようだ。私はようやく最初の警戒を解く。「え、ええ、そうです。私は逃げている最中で」そのあと私は何度も頭を下げて逃がしてもらえるように男に懇願した。男の笑顔は消え真顔になる。
「あ、あのう、失礼ですが、誰から逃げているのですか?」男は純粋に思った疑問であるだろう。だがその質問は、瞬時に私の心臓と頭に突き刺さるものを感じた。

「え、え、あああああ」私は次の言葉が出ない。私は逃げて逃げ続けていた。だがいったい誰に対して逃げているのか思い出せなくなっている。
「え、ええええ、だれ、誰から私は!」私は頭がどんどん混乱し始めた。もしかして、誰も追いかけていないのに、私が勝手に逃げていただけかもしれない気がしはじめたからだ。

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