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柿と飲む 第642話・10.26

「松坂さん原子力機関車ってなんとなく夢があると思いません」後輩の徳山と、久しぶりに飲みに来ているのは松坂英夫、ここは駅前の居酒屋だ。「え、それは無理だろう。あんなもん放射能をまき散らせて走ったら汚染地帯を広げるぞ」「そんなことないですよ。原子力を使った技術はほかにもあるじゃないですか、なんで機関車だけできないんですか?」

「無理だって、確か相当大掛かりなものになるから、非現実的だと聞いたことがあるぞ」正直どうでもよいくだらない議論だが、仕事と違い酒が入りながらの話は嫌ではない。俺はすでにビールから芋焼酎のお湯割りにチェンジしていた。それは徳山と同じ、ただし彼はロック。同じ職場の彼とは意気投合して、いつしか定期的に仕事帰りの居酒屋で飲んでいた。だが昨年の春以降その機会が途絶え、寂しい夜の帰り道が続く。だが今日は久しぶりに面と会っての飲み会とあっていつも以上に酒が進む。
「ち、夢がないですね。それが開発されたら電車のように上に架線がなくても線路さえあればいくらでも突き進めるっていうのに。ヒッ!」
 徳山はずいぶん飲んでいるためかよく見れば顔が赤い。そういえば英夫自身顔の感覚がマヒ、若干だが目の前の風景がぼやけかけている。つまりそれだけ酒に酔ったということだ。

「おい、これ食べないか?」英夫は、メニューからあるものを指さした。
「え、ちょっと、松坂さんこれ柿じゃないですか? おなじカキならこっちの牡蠣のフライにしませんにしませんか?」どうやら不満そうな徳山だが、英夫はそれをたしなめる。
「いや、せっかくだから柿を食おう。俺は知ってるだ柿の効能とか。二日酔いにもいいらしい。それに今日は久しぶりに飲んだからなあ。お互い結構酔っている。まだ明日も平日だぞ」
「わ、わかってます。ヒッ。でも果物なんか食べるんですか?」

「意外にいいかもしれんぞ。メニューにあるくらいだ。よしこれにするぞ」 
 英夫はそういうと手を挙げて店員を呼び、自らの焼酎を口に運んですべて空ける。慌てて徳山もロックグラスを氷だけにした。

「で、松坂さん柿の何を頼んだんですか?」「おい、さっき指さしただろう。生ハム包みだって」「へえ、わかりました。僕の希望する、カキフライも注文してもらえたので」

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 やがてふたりのテーブルに、柿の生ハム包みが登場した。「単純だな。柿に生ハムが巻いているだけか」「でも、オリーブオイルと胡椒が振りかけられていますよ」徳山の言う通り、ほんの少しだけ手間がかかっている。
 早速口に入れた。柿のさっぱりしたものが口の中に広がったが、オリーブオイルと生ハムが負けじと口の中で格闘する。そのため果物を食べているというより、酒の肴になっている気がした。
 早速、先ほどお代わりした焼酎を口に含んだ。特に違和感がない。

「おいしいです。松坂さん、ヒットですよこれ」嬉しそうに口を動かす徳山。「うん、そうだな。だが柿を食べると思わずあれを思い出すな。『柿食えば鐘がなるなり法隆寺』ってさ」
「おお、ずいぶん風流ですね。僕、法隆寺には修学旅行で行ったことあります」「いいなあ、俺の学校では行かなかった。大仏は見たかな」
 英夫は少し徳山がうらやましく思った。「そうだ!」「どうした?」「そういうのを聞くと。僕もこれで」徳山は、ちょうど来たばかりのカキフライを箸でつまんだ。そしてこうつぶやく。
「牡蠣食えば、口がうまさで 大はしゃぎ」

「なんだよそりゃあ」「ハハハッハ、やっぱり素人ですね」とふたりで笑う。 こうして改めて後輩と器をぶつけて今日は何度目か忘れた乾杯。昨年まで当たり前だった、長くできなかった店で飲めることができたことがうれしい。それと、いつか休みのタイミングに法隆寺にも行きたくなるのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 642/1000

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