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Fukujinduke 第553話・7.29

「あ、ち、ちょっと、なに、待て!」
 木島優花は、スーパーからの帰りに事件に巻き込まれた。エコバッグが膨れるほどに詰まっている、買ってきたばかりの食材を、突然後ろから男にひったくられてしまう。
「逃がさないわ!」男は背が低くて、中学生くらいにも見える。それにそんなに足は速くないようだ。対して優花は学生の頃に陸上部に入っていた。短距離走の選手としてインターハイに出たこともある。だからロングスカートを履いていたとはいえ、足は速い。男が狭いところを曲がると優花も続く。やがて完全に男に手が届くところまで追いつめる。

 優花のような20歳代前半の若い女性が、ひったくられたとはいえ、若い男を追いかけるのは異常だが、今回はどうしてもあきらめきれなかった。なぜならば、恋人の太田健太に手作りのカレーを作ることを約束しており、エコバッグにはその材料が入っていたからだ。

「捕まえた!」優花が果敢に男の背中を捉える。男は前のめりに倒れこみあっけなく捕まった。
「こら! ひったくり」 大声を出した優花が男の顔を見る。見たところ、中学生になるかならないくらいの丸刈りの少年であった。
「あなた、まだ子供ね。なんでこんなことするの! 子供でも強盗は犯罪よ。さ、今から一緒に交番に行くわよ」

「ちょっと待って。僕は姉さんが、その福神漬を買ったことが納得できない」少年が全く想定外のことを口走り、優花は一瞬頭が固まる。

「はあ、ふくじんづけ? どういうこと」
「僕、見てた。姉さん、カレーライスを作るんでしょう。それで福神漬けはそんな市販のパッケージのを使うんだ。それも赤じゃなく茶色いのを使うなんて」

 優花は少年から奪い取った、エコバックの中身を見る。福神漬けは、市販のもので茶色い。それは赤い方の福神漬けは、人工着色料が入っていると思い、それを嫌ったから。
「は?」「カレーを作るなら福神漬けも手作りで作れよ。それも赤色で!」「なんで? 何でそんなこというの」
 優花は聞き返す。同時にこの少年、わざと変なことを言って、その隙に逃げようとしているのかと警戒した。
「姉さん、実は僕は、初めて赤い福神漬けをカレーライスに乗せたんだ!」
 さらに意味不明のことを言い出す少年。「え、ちょっと、何言ってんの?」

 すると突然立ち上がり胸を張る少年。視線が鋭い。優花はそれを見て少し恐怖心を覚え身震いする。だが少年は優花を襲うのではなく、ゆったりと大人びた口調で語り始めた。

ーーーーーー
「ああ弱ったな」「兄ちゃんどうしたの?」少年の兄は、顔をしかめながら戸惑っていた。
「来週からの洋行で使う、チャツネが切れていたんだ」
「ああ、兄ちゃんの船でそれを出すの?」兄はうなだれるように頷く。
「欧州航路客船で出している料理の中に、カレーライスがあるんだ」「へえ、カレーって西洋の食べ物だね!」
「そう、一等客船で出しているカレーライス。これにはチャツネという赤い漬物を横につけて出すんだ」「チャツネ、キツネみたい」
 少年はそう言って笑うが兄は不機嫌。
「おい! 冗談はいい。ところがそのチャツネが切れていることに、今朝気づいたんだ。今からでは仕入れるのは間に合わないよ。ああ、もうシェフがカンカンだし、弱ったよ!」そう言って再び力なくうなだれる。
「ねえ、兄ちゃん、別の漬物乗せたらダメなの」
 兄は首を横に振ると「ダメ! 一等客船のお客様に出すんだぞ。上流階級の人に、そんな田舎臭い漬物なんて出せるか! それに」「何?」
「カレーライスは黄色いんだ。黄色いカレーのソースと白いライス。それに赤いチャツネが、いいバランスなんだ」少年は兄の語る理論に対して妙に納得した。

「赤い漬物か、うーん、何かないかなあ」兄が顔を上げて腕を組む。
「兄ちゃん、ここで悩んでも仕方ないよ。外で歩いてたら何か見つかるかも!」少年は元気な声を出し、兄の手を引っ張りながらに歩き出した。

 こうして街中を歩く兄弟。どのくらいの時間がたったのかわからない。ところが突然何かを見つけると、少年はある店を指さした。兄がその方向に行くと、そこは漬物屋で、いろんな野菜が混ざった漬物を販売している。
「それは?」兄が質問すると「ああ、お客さん福神漬けですよ。これ漬物って言ってますがね。7種類の野菜を細かく切って醤油やみりんとかを使って漬け込んでいるんで、ぬか漬けとかとは別物なんです。でも7種類の野菜使ってるから『七福神みたい』ということで、こういう御めでたい名前が。どうですおひとつ」
 兄は店主が勧める福神漬けをしばらく眺める。
「面白そうだ。福神漬けか。名前もいい。チャツネの代用に。でも色が茶色か。残念だ。これが赤ければ完ぺきだったんだが」兄は悔しそうな表情。
「ほう、赤い福神漬け」店の主人が興味深そうな顔をする。
「カレーライスの添え物に使いたいんだ。向こうで使っているチャツネという漬物が赤いからそれに合わせたい」
「へえ、カレーライスって、西洋料理じゃないですか、そんなハイカラな料理なら、この色じゃだめですね。そうだ、よしやってみよう。明日また来てくれますか?」

 翌日、再び福神漬けを販売していた店に来た兄弟。「おお、昨日のお客さん。できましたよ。赤い福神漬け。色を付けようと、野菜と一緒にシソを入れて煮込んでみました。ほらどうです赤く染まりましたよ」と店主は上機嫌。
 兄は赤い福神漬けを眺める。途端に表情が明るくなっていく。
「これだ! おい、行くぞ」兄はさっそく完成した赤い福神漬けを1瓶買うと、弟と共に自らの職場。そう明日から出港する予定の客船に向かった。

「おい、お前! チャツネどうするんだ」客船内で料理の仕込みをしていたシェフが、兄を見る途端に、大声を荒げて怒鳴り散らす。
「シェフ、代わりのモノを見つけました。これです」と兄が先ほど買ってきた赤い福神漬けをシェフに見せる。
「ん、これは?」「福神漬けです」「福神漬けか。いろんな野菜が入っているな。それにこの赤色がいい。よし試しにやってみよう」

 そういうとシェフは、仕込んであったカレーをひとり分温める。急いでご飯を炊き上げると、皿の上に乗せた。そして上から黄金色のカレーがかけられる。
「おい、せっかくだ。そこの坊主、お前が添えてみろ」「え、ぼ、僕が?」
 突然シェフに振られて少年は慌てたが、兄にも急かされ、おそるおそる福神漬けの入った瓶に箸を入れる。そしてみよう見まねで、カレーライスの横に添えてみた。

「おう、見た目は見事だ。よしさっそく食べてみよう」シェフはスプーンを取り出し、カレーとご飯。そして福神漬けを一緒にして食べる。

「うん、いいかも。おお、味も問題ない。チャツネだと、わざわざ輸入しないといけないが、福神漬けなら容易に手に入るな。よし、これ今から大量に手に入るか?」「はい、大丈夫だと思います」と元気に答える兄。
「さっそく仕入れてこい!」

 こうしてチャツネに変わって福神漬けが、カレーライスの添え物になるきっかけとなったという。ただ詳しい年月日は不明で、明治中期から大正時代にかけてと伝わっている。ちなみに7月29日は福神漬けの日。だがこれは七福神の語呂合わせからそうなっている。


 少年の話を聞き入った優花。気がつくと少年の姿はなかった。「しまった。やられたか。まあいいわ。材料は取られなかったし。そうか明日手作りで、赤い福神漬け。これいいわね」

ーーーー
「おお、優花の手作りカレーいいねえ」ひったくり未遂事件の翌日、優花は無事に手作りのカレーを完成させた。健太の表情は緩んでいる。

「それに、福神漬けが赤い。これだよカレーには」健太はさっそくスプーンをカレーライスに突入させそのまま口に運ぶ。
「太田君、それも私が作ってみた」「え! 福神漬けを」健太は一瞬驚いたが、それ以上に彼の旨さの方が上回り、スプーンを動かす手を止めない。

「うん、簡単に作れたわ。シソと野菜を煮込んだら赤くなるんだね」
「へえ、誰かに聞いたのか?」「うん、昨日偶然出会った、中学生くらいの丸刈りの少年から」

「丸刈りの中学生......」健太は突然スプーンの手を止めた。
「それって、俺、今朝の夢に出てきたよ。『福神漬けは赤いのが一番。昨日姉さんにも言っておいたから』って」



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シリーズ 日々掌編短編小説 553/1000

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