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おむすびの中にあるもの

「よし、これで行きましょう」温水美穂はおむすびを完食すると、残った8個のおむすびをラップにくるみ、タッパーに入れた。
「課長、新商品のプレゼン頑張ってください」「大丈夫よ。これなら勝てるはず」

 この日、金正物産では新商品に関する社内のプレゼンが行われることになっている。商品開発3課課長の美穂は、本社の会議室に向かった。
「良かった。5分前に到着」入り口でつぶやいた美穂は静かに会議室に入る。そこにはすでにライバルである商品開発1課課長の中山弘樹の姿があった。
 中山は、美穂のほうに顔を向けると、余裕のある笑み「3課の人はギリギリですね。私は15分前から待機しておりました。今からは大切なプレゼン会議ですからね」と嫌味っぽい言葉を吐く。

 美穂は作り笑顔で軽く頭を下げると、中山の存在自体がいないように準備を始める。やがて、社長をはじめ村田本部長や役員たちが、続々会議室に入ってきた。
 目の前の席には、社長と常務そのほか見知らぬふたりがいる。彼らは社内の人間ではない。「おむすびの専門家かしら。今日の試食会はあの人たちの意見も入るわけね」美穂は少し緊張が走る。まるで会社の面接のような雰囲気。誰にもわからないように、静かに鼻から息を吸い、それを肺の中にため込む。そして口を空ることなく、同じ鼻から静かに息を吐いた。

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 会議室の右側には、上司の本部長・村田がいる。今回は彼が会議の司会担当。「揃ったようなのでさっそく新作おむすびの試食兼審査会を始めます。今日の審査員は、金正社長と大西常務に加え、外部から審査員をお願いしました。私に近いほうから、おむすび評論家の蓮塚先生」
 すると和服姿の蓮塚が立ち上がって美穂たちに頭を下げる。「その隣がとグルメ雑誌の茨城編集長です」隣に座っている茨城は、角刈りの後頭部に軽く片手を置き頭を下げた。こちらはダークなスーツ姿である。
「社内だけではなく、おむすびの専門家と、グルメに精通したおふた方にもこの審査会に参加してもらい、最終的に、わが社の新商品、新作おむすびを決めたいと思います」

 村田がここまで言うと、待ち構えていたように若い社員がすぐ横に来た。彼は社長室の人間だが、美穂は名前を知らない。彼は物音ひとつ立てずに、この日の会議に参加した全員に資料を配る。もちろん美穂の前にも資料が渡された。
「では、さっそく始めます。今回の最終審査の試食会まで残ったのは、3作品です。社内の部署である商品開発課からは全部で4つある課のうち、1課と3課の提案した作品を最終的に選びました」それを聞いて美穂は表情こそ出さないが、心の中でガッツポーズをした。社内で2課と4課に勝っただけでもうれしい。

 村田の話は続く。「それに加え商品開発課とは別に社内公募をし選ばれた1作品があります。今回53もの提案が集まり。書類審査で5作品まで絞り込んだうえで、実際におむすびを作り、それを私が試食して選びました。その1作品はこちら私の手元にあります。ではまずはこちらから」といって、赤い風呂敷に包まれたタッパーを両手で持ち、参加者に見せる。
 ここまで言うと村田は席に座った。そしてさっそく風呂敷を開けると透明なタッパーがある。今回は美穂も含めタッパーの中に、ラップでくるまれた8個のおむすびを用意するように指示されていた。これは4人の審査委員に加えて村田、そしてこの日の審査会でプレゼンする美穂と西村それから、会議室を動き回る若い社員の分も含まれているのだろう。
「でも提案者は食べないからそれなら7個のはず。予備かしら」美穂は一瞬頭に浮かんだ疑問であるが、これ以上は考えないようにした。

「では、最初にこれは発案者の黒田がバンコク支店の勤務なので、私が代理にて。彼よりレシピを聞いて作りました。私の趣味は料理なので、ご安心ください」村田の説明に社長の金正は軽くうなづいていた。金正は会社の3代目。村田とは大学の同級生であり、プライベートを知りつくしている。おそらくは、村田の料理を何度か食べたことがあるのだろう。

 村田はそういうと、タッパーの蓋を開ける。その横には、若社員が準備をしたと思われる紙の皿が並んでいた。その皿にひとつずつおむすびを置いていく。遠くからだが、見た目は海苔をつけていない、真っ白な三角おむすびに見える。

 そしておむすびが美穂の前にも置かれた。「はいこれは、ガパオおむすひです。バンコク支店勤務らしい彼の提案は、タイ料理のガパオライスをおむすびの中に入れました。さっそく試食してみてください」
 美穂は目の前に置かれたラップにくるまれた、おむすびを眺める。遠くで見たときと同じ、何もない見た目は、塩むすびのよう。
「美穂は、さっそく口を開けて食べる。口あたりは、うっすらと塩味がある。そしてその中には味のついた肉が入っていた。肉と同時に何かの野菜のようなものが入っている。そのうまみをかみしめていると少しスパイシーな刺激がが口の中を覆う。「辛い!」美穂は心の中で叫んだ。
 しかし、周りのご飯がその辛さをうまく中和してくれたようだ。レトルトカレーの中辛でも辛く感じる、美穂でも無難に完食できる。

「さて、この『ガパオむすび』ですが、中に野菜のようなものが入っていたと思います。まだ残っていたらよくご覧ください」「しまった!」美穂はすでに完食済み。「中に緑のものが入ってますね。それはガパオです」

「知ってるぞ」と声を出したのは金正社長。続けて蘊蓄が始まった「日本名カミメボウキというハーブで、タイ語は、ガパオ。英語はホーリーバジルでで、トゥルシーというアーユルベーダに使うハーブじゃな」
「社長その通り!さすがです」「ふん。これ村田君に10回くらい聞いたからな」その瞬間、会議室に軽く笑いが起こった。「パクチーのような。くさみがないね」とつぶやいたのは常務の大西。
「いいと思います」とは編集長の茨城。蓮塚は黙って数回うなづいた。

 「次に開発1課課長の中山君」「はい!」会議室中に響き渡るような大声で立ち上がった中山。周りを威嚇するかのように胸を張り、大きな声で話し始めた。「我が1課は、おむすびイコール主食という概念を打ち破りました」「まさかスィーツ?」美穂は思わず中山を凝視した。と同時に目の前の審査員たちもざわつきの声を出している。
 その間に若社員は、1課の開発したおむすびを紙皿に乗せて一人ずつ配る。そのおむすびは三角をしているが上のほうにおむすびに似つかわしくない赤い色。何かの液体が上からかけられているようだ。

「それはストロベリーおむすびです」「ストロベリー。いちご!」社長の金正が驚きの声を出す。中山は社長を気にせずに自信に満ちた声を出しつづける。
「ネットでもイチゴむすびを見ますが、たいていは、カニカマを表面に張り、見た目がイチゴです。しかし我々は、おむすびの中に本物のイチゴを入れてみました。おむすびではありませんが、もちにあんこを入れて食べる感覚でお召し上がりください。上のほうにはカキ氷用のいちごシロップをかけてみました。下のほうにはシロップはついていませんので、手にするときにはそちらから」

 美穂は口に食べてみる。口当たりからしてよく知っているお結びとは違う。甘い、ご飯そのものが甘く炊かれており、上にかかっているシロップとの相性も良い。そして中に大粒のイチゴが入っていた。イチゴは対照的に程よい酸味。食べ物としては見事としか言いようがない。
「悔しいが、これはうまい」美穂はそう心でつぶやきながら、目線だけを気づかれないように中山を見た。中山の表情は相変わらず自信に満ちており、勝利を確信しているかのよう。次に目の前の審査員たち。特に質問もなく4人とも何度もうなづいていた。

「はい、最後は、3課の温水君」「あ!」美穂は油断して変な声を出す。「うん?大丈夫か!」心配そうな村田の声。目の前の4人の表情は特に変わらないが、入れ替わるように座った中山だけは、あきれ返った表情をしているように見える。

 美穂は立ち上がり大きく深呼吸する。そして前日からほとんど睡眠をとらずに練習していたプレゼンを開始した。「3課では、おむすひを考えたときに、これは日本の食文化だと思いました。そして似たものとして寿司があります」「鮨、それはおむすびの永遠のライバルか」と低い声で独り言のように社長・金正はつぶやいた」

「そのスシをおむすひの中に入れてみました」「おい、温水君。どういうことだ?」少し不振に満ちた大声を出したのは大西常務。
「トロやウニでも入っているのか?それとも酢飯で作ったのか?なら別に珍しくないな。鮓とかわらないようじゃ、我が社の新商品とは到底言えない代物だな」
 20世紀の昭和世代の生き残りのような常務の大西。男尊女卑の意識が社内一強く、女性に対してはいつも手厳しい。本音では美穂が一番嫌っている役員だ。美穂は大西をにらみそうになるのを必死に抑え、顔を天井に抜ける。横からの視線は中山だ。大西に突っ込まれたことで勝敗が決まったと思ったのだろうか?明らかに勝ち誇った表情で口元までも緩ませている。

 しかし美穂はふたりを無視して話をつづけた「これは、江戸前寿司でもなければ、押し寿司でもありません。この中に入っているのは、なれずしです」「お、なれずし!発酵食品を具にしたのですね」と声を出したのはグルメ編集長の茨城。
 そうこうしているうちに、みんなの前になれずし入りのおむすびが置かれた。俵型で外見は一般的なおむすびと変わらず。しっかり真ん中に海苔がまかれていた。

「ぜひお試しください。今でこそ寿司といえば江戸前にぎりを思い出しますが、本来寿司は保存用の発酵食品です。そのため梅干し同様の殺菌効果があるのではと思い入れてみました。つまりおむすひの中にスシという発想の転換をしながら、おむすひ本来の役目を担う具材を考えました。名付けて『すしおむすび』です」

「あれ?なれずしって、開封したら確か3日程度の賞味期限では」ここで茨城からの突っ込み。「え!」美穂は賞味期限のことを意識していなかった。一体に電気のようなシビレが体中に走ってくる。

「まあ、いい食べてみよう。賞味期限などの問題は後から考えればよい」助け舟を出してくれたのは社長の金正。そして美穂を除く全員が試食した。塩味と酸味とうまみが凝縮している、なれすしとそれを覆うご飯との相性が悪いわけはない。だからか味に関して特に誰も異を唱えなかった。しかし美穂は耳元から心臓の鼓動音を聞き続ける。

 ここで視界の本部長村田が立ち上がった。「はい、では三作品揃いました。さてどれを選ぶかですが」
「では!」と村田の声を遮るような大声。これは今まで聞いたことのない声だ。ここでついに蓮塚が立ち上がり口を開く。

「3作品とも個性的で面白いと思います。そしてしっかりと私は味を見ました。ということで、あとは」
「いよいよ決定」美穂は再び緊張する。固唾をのむように見守っているのは隣の中山も同じだ。
「え、あとは私の姉の最終判断で決まります」「あ、姉?」美穂は、頭の中が真っ白になった。中山よりもはるかに通った声で、非常に聞き取りやすい蓮塚の会話が続く。

「私より8歳年上の姉は働いていて忙しい母に代わり、幼い私におむすびを作ってくれました。その後、私はその素晴らしいおむすびの世界を広げるべく今の仕事をしておるのですが、私の知る限り、彼女こそが今でも最高のおむすびを作ります。
 金正社長と大西常務にはすでに伝えておりますが、今回の試食会に当たり、8個ずつおむすびを作ってもらいました。7個はここにいるメンバー審査員4人とプレゼンを行った本人以外の2人と、今日動き回ってくれたこちらの彼ですね」ちょうど蓮塚の横にいた若社員は嬉しそうに一礼する。
「これで7個は食べてなくなりました。あとひとつは姉用なので私が持ち帰ります。そして皆さんの意見は、お配りしたアンケート用紙に書いてください。その内容と姉の感想をもとに最終決定します」

「では、決定は明日以降ということですか?」美穂同様に意外な結末になって驚いている中山先ほどと違い声が上ずっている。
「中山君。そういうことだな。蓮塚先生のお姉様の判断をもって決まる。 2・3日後に発表となるな。ではこれで会議は終了。お疲れさん。職場に戻りたまえ」そういうと、金正は立ち上がり退出。大西常務と蓮塚、茨城の両名もあとに続いた。

「じゃあアンケートを回収します。中山君はこれだな。あれ温水君はまだ書いていないのか?」「あ、直ちに」
 美穂は慌てて、書類からアンケート用紙を手にした。まさかこれが外部の蓮塚に提出するものと思わなかったので放置してしたのだ。自分以外のどちらかを選び理由を書かなくてはならない。美穂は選ぶほうは、中山以外と決めていた。慌てて理由付け考える。どうにか5分ほどで書き上げた。
 会議室には中山も村田もいない。残っていたのは、若社員だけ「ごめんなさい」慌てて美穂はアンケート用紙を手渡す。
「ありがとうございます」彼は美穂の用紙を受け取ると一礼して会議室を去った。

「まさか結果が後日になると思わなかった... ...」美穂は、最後のひとりとして会議室から立ち去る。そしてひとりで課に戻る途中、急に体の力が抜けるように疲れ切るのだった。


こちらの企画に参加してみました。

※こちらの企画、現在募集しています。
(エントリー不要!飛び入り大歓迎!! 10/10まで)

こちらは86日目です。

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シリーズ 日々掌編短編小説 251

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