標高2450メートルの公共交通
「ライチョウとランチュウってなんとなく似てるよね」結衣は突然意味が理解できないことをつぶやいた。
「よくわからん。多分最初の『ら』と最後の『う』が一致しているだけだとおもうんだけどな」智也は一蹴すると「真ん中の『ち』もよ」と反論してきた。
ふたりは富山を旅している。目的地は立山黒部アルペンルート。これは智也の希望であった。ちなみに結衣は自宅で金魚を飼っている。それはランチュウ(蘭虫)。この魚は頭にコブがあり、背びれがない。だが品評会で競われるほど、その世界では知名度もレベルも高いという。
智也はランチュウについてはほとんど知らない。だが、たまたま気になっていた立山に雷鳥(らいちょう)いることが有名だと知る。よく考えたら言葉がランチュウに似ている気がした。その流れを利用して、結衣をこの旅のデートに誘うことに成功したのだ。
「ねえ、いろんな乗り物に乗るんだよね」「あ、ああ。そうだな」結衣の質問に智也は適当に答える。なぜならば彼の頭の中ではこれからのルートのことで頭がいっぱいだ。
朝、富山駅から富山地方鉄道に乗った。そして到着した終着の立山駅からアルペンルートがスタートする。立山駅から最初に乗ったのは立山ケーブルカー。標高457メートルから一気に977メートルまで高度が上った。
だが本番はここからである。ケーブルの終着駅にある美女平からは高原バスが運行していた。ここからは一般の車が通れないルート。車はケーブル下の立山までしか行けない。だからここまでくれば、もはや公共交通しか頼れるものは存在しないのだ。
このバスは立山・室堂行き。50分かけて山を登る高原バスである。
「立山は標高3015メートルある高山。そこに雷鳥がいるらしい」「うん、でも何でライチョウなの。雷と関係あるのかしら」
「さあ、そんなこと聞くなって。ていうか俺的には雷鳥よりこのアルペンルートそのものに興味があるだけ。だってすごいんだぜ。バスに乗っているだけでもうすぐ標高2450メートル地点まで行けるんだ」
車窓に映る風景を眺めている智也。季節は夏、もし春だったら雪壁が見られただろう。だがその時期は寒いから念頭になかった。
ちなみにこれが日本で一番高いところではない。実は乗鞍岳には標高2716メートル地点を運行するバスが存在する。だがそれはこのふたりには、何の関わりもないこと。
「た、たしかに近所に1000メートルを超える山があるけど、それすらバスで行けないのに。それよりも高い。2000メートルを超えるところまでバスで行けるって凄すぎるわ」結衣のテンションはいつもより高い。それだけでこのデートに誘ったことが正解だと智也は頷く。
やがてバスは山を登り切りスタート地点から1000メートル以上の高さがある室堂までやって来た。バスが到着したので降りる。
「なんとなくだけど、随分高いところ来た感じだな」「わかる。これ空気が違うもん。うん、平地とはちょっと違うわ」ふたりは大きく手を伸ばして深呼吸。高山の空気は気のせいか澄んでいる。
ふたりは室堂から見える立山山頂を眺めた。ここから山頂まではハイキングコースがある。今いる元々の標高の高さから、通常ではありえない行きやすさかもしれない。だがこのふたりは、そこまでの勇気もなければ気力もなかった。
少しだけ自然に触れる所を歩くだけ。30分ほど歩くと『エンマ台展望台』と名前がついたところに来た。やがて腰掛ける所を見つけると、そこに座る。
「さて、あれ食べようか?」智也の問いに軽くうなずく結衣。
「うん、そうね。食べちゃおう」
こうして結衣はかばんからあるものを取り出した。それは「鱒寿司」。富山名物ではあるが、そもそもこれは市販品とは違う。実は前日にふたりは富山入りしたが、その日は鱒寿司の工場に出向いた。そしてそこで体験学習が行えると聞いたから。
事前に予約をして参加し鱒寿司を作った。つまりそれは結衣が体験学習で作ったオリジナル鮨なのだ。
「おう、こうやって見てたら、これ、本当に販売してるみたい」
「でも昨日は、智也が参加せずにカメラマンに徹してくれたからいい動画が撮れた。ホント良かったわ」
「でも、撮って何するんだ? youtubeにでも乗せるのかよ」結衣は首を横に振り「違う、私がいつでも作れるようにしたかっただけ」
「へえ、でもあんな『紅ます』なんて手に入らないだろう」
「それはどうかしら? 最悪ネットで買えるんじゃないの。それよりも作り方よ。最初にしっかりと消毒して笹を箱の中に入れて、その上から酢飯を規定通りに敷き詰めるのね」
「それ、なかなかうまくいかず大変だったな」智也の突っ込みを無視して結衣は続ける。「最初は誰だって失敗するわよ」
「酢飯を押し込んで、最後に鮮やかな紅ますを乗せて完成。もしネットでも手に入らなかったら別の魚でごまかすわ」
ふたりは手を拭いてから手づかみで鱒寿司を食べる。口当たりもご飯の酸味も固さもちょうど良いバランス。「あれ、違和感ない。普通においしい」
「ちょっと、それ変ないい方ね」結衣の突っ込みに智也は動じない。
「いやいや。結衣、寿司職人じゃないじゃん。それでこれだけのもの作ったら立派だよ」
こうしてふたりはマスの鮨をあっという間に平らげた。
「あっという間に食べられたね」智也は頷きながら立山の風景を改めて眺める。とにかくロケーションが素晴らしい。晴れ渡る空にそびえる立山。基本は緑色しているが皺の様にくぼんでいるところには、わずかばかりに雪が残っている。また火山ガスが噴き出ている所も発見。そして例の雷鳥がいるのだろうか? ふたりは探したが残念ながらそれを見ることは無かった。
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こうしてしばらく室堂の風景を味わったふたりは、旅を再開する。室堂のバス停に戻ると、そこからはトンネルバスに乗った。10分ほどで立山の直下を通り抜けていく。
そして反対側の大観峰にでれば、そこからはロープウェイで下る。さらにその先にある黒部平からは、地下を下っていく黒部ケーブルカーに乗るのだ。
「乗り物好きにはたまらないわね」結衣に突っ込まれる智也。何も言わないでも、明らかにいろんな種類の乗り物に乗れることに、智也は満足げな表情である。
そして黒部湖駅に到着した。ここからは歩く必要がある。だが歩く場所が独特なのだ。なぜならば黒部第四ダムの頂上部分を歩くのだから。
「うわあ。これが有名な」「黒四ダムだ。でもよくこんなの作れたな」
ふたりの感動は最高潮。歩いて片側には大きな人口の黒部湖が見える。だが、その逆は非常に低い谷。吸い込まれそうなほど下にある。顔を見上げて周辺の山々を見ると、何やら未来の要塞のように見えなくはない。
「あとは、扇沢まで関西電力の電気バスに乗る。それでほぼ終わりかな」
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「うん懐かしい」一昨年の夏の記憶が蘇る智也。初めてのお泊まりデートが、立山黒部アルペンルートで実現できた。
「黒部ダムカレーもおいしかったなあ。少し前の過去。でも脳内で再現されたその状況は、一気に時空を飛び越える。そしてそのときのリアルタイムのひとときに転送されるようだ。
「さて、きょうはランチュウ、元気で泳いでいるかな。なんか『鱒寿司作るって待ってる』なんて言ってたけどな」結衣のマンションの前に来た智也は、ここで深呼吸。
今日は一緒に旅をした結衣にある決意を、持って挑む。実は智也のポケットに入っているダイヤの指輪を結衣に渡し、そして。
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シリーズ 日々掌編短編小説 467/1000
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