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私だけかもしれないレア体験 第1064話・12.29

「新作第一号だもんな」働き者と自称する男は、ようやくできた試作品、新製品に満足すると、家に帰るためにオフィスを後にする。
「年内にできて良かった。これで年越し早々に発表だ。みんな驚くぞ」男は、思わず口元を緩めると、そのまま帰り支度を行う。

 本当は今日は午前中で業務を終え、午後から大掃除を行い、そのあとが会社の納会だ。他の社員は事務所に酒を持ち込んで飲んでいた。だが、男はそれを拒否。
「どうしてもあと少しなので」と上司に伝えると、他の従業員の笑い声が聞こえる隣の部屋で仕事に没頭していた。

 いつの間にか他の社員は全員会社を後にしている。上司から戸締りを頼まれた男は、淡々と戸締りをした。すでにひとりだが、昨日や一昨日は帰るどころか、宿泊していたのだから、久しぶりに帰られるだけでもありがたいのだ。

「3日間もオフィスに宿泊したもんな。ふう、体も随分汚れているだろう」会社を出た男はようやく解放された気分になり、外を見た。外はすでに暗くなっており星空が見える。車から見える光が視線の中に入り込む。

「まぶしいな」男が目をそらすために右を見た。「あれ?なんだろう」その方向には店らしきものがあったが、いつも通る道なのに初めて見つける。
「行ってみよう」早く帰ればいいのに、見たこともないお店なので気になりそっちに行く。その店は通りに面したところではなく、奥まったところにあった。「公園?」男は首を傾げる。このようなところに公園があったのだろうか?

 でも男は、最近周辺の風景を見る余裕が無かったことを思い出す。今年は1月から大きな仕事をすることとなり、ずっと仕事をしていた。さすがに3日間もオフィスに寝泊まりするのはこの前くらいだが。

 ちょうど1年前に言われた今回の新製品プロジェクト。初めてのプロジェクトリーダーを任された男は新春早々気合が入っていた。「何かあったら相談するように」と上司に言われ、上司に助けられながら、どうにか行ったプロジェクトである。夏場くらいまでは普通に休みを取っていたが、秋以降は進捗が遅れ気味となり、リーダーである男はほとんど休んでもいなかった。たまに休んでも周りの風景など見る余裕もなく、家の布団で横たわったまま動かない。

 それが久しぶりに開放されて外の様子を見たのだから、新鮮に映るのかもしれないのだ。「よくやったなあ」こうして男は目の前に店に向かう。まだ何の店かはっきりしないが、カフェかバーのようにも見える。
「さて、ひとりゆっくりと自分自身へのお疲れさんをするか」男はそう思い店に向かう。

 だが100メートルくらい歩いたのに不思議なことが起こっている。店との距離が縮まないのだ。「あれ、なんで、そんなに?」男は心の中で呟きながら歩いているが、一向に店との距離が縮まない。あたかも同じ場所で足だけ動かしているかのよう。とはいえ左右の暗闇から浮き出ている生い茂る木々を見る限り、木々は前から後ろに流れるように視線から離れている。前進していることには間違いない。

「どのくらい歩いたかな」男は振り向いた。すると男は思わず目を見開く。「なんで、道路が無い!」男はメインで車の通行が多い道路を歩いていて見つけた店だから後ろ側には道路が見えるはず。なのに何も見えず暗闇になっている。「そんなに歩いた、けど距離が...…」男はもう一度正面を見たが、そのときは、全身から鳥肌が湧き出てくる。「え、えええ!」あろうことか、さっきまで見えていた店が見えず暗闇になっていた。

「ちょっと、ナニコレ。え?」男は気がついたら、木々も見えず周りは暗闇だけになっていることに気づく。男は鳥肌に加えて心臓の鼓動が耳元に聞こえる。
「落ち着け、これは夢かもしれない」男はそう思うと思いっきり鼻から息を吸い込み、灰の中で息を止めた。そのあと唸るような声を出すかのようにして一気に口から息を吐く。直後に再び全身から鳥肌が立つ。

ーーーー
「あれ、あ、いつのまにか」気が付けば視界が明るくなった。そこはオフィスだ。目の前にはできたばかりの新製品の試作品がある。「やっぱり夢、寝てたのか」男は思い出した。新製品が完成した瞬間、緊張の糸が切れてそのまま眠っていたらしい。

「おい、どうなんだ」後ろから声がする。男が見ると上司が缶ビール片手に上機嫌な表情。
「あ、はい、無事に、こちらが新製品です」男は慌てて目が覚める。「よし、お疲れさん。さあ飲め」と上司は缶ビールを持ってきた。隣の部屋では納会が始まったばかりのようだ。「はい、いただきます」男は素直にそれを受け取りビールを飲む。
「あ、おまえの分もみんなで掃除したから礼だけは」「わかっています!」男は笑顔で返事をすると立ち上がり、隣の部屋の納会に参加するのだった。

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