見出し画像

生きながら祀られる 第592話・9.6

「先生、間もなく園部駅です」助手の出口は、座席の隣で眠っている歴史研究家の八雲を両手で揺り起こす。「ふぁあ、おお出口君、まあこの電車は園部行きだ。慌てることはない」
 研究者と助手の体裁をとりつつ、実質的なパートナーでもあるふたりの息はぴったりだ。

 嵯峨野線の終着駅である園部に到着し、ふたりは駅を降りる。「終着といっても本当は山陰本線で、ずっと日本海側を通って下関まで通じているんですものね」
 出口が感慨深く、園部のさらに先の線路を見つめる。だが八雲はそれを見て軽く咳払い。「いや、厳密に言うと違うな」「といいますと」
「山陰本線は、下関の手前幡生駅(はたぶえき)までとなっていて、そこで山陽本線と合流する。ただ実質的に一駅先の下関まで列車は向っているようだが」
 出口は「そんな細かい話を」と思いつつ何も言わない。八雲がいつもいう細かいこだわりは適当に流す。

 ふたりは園部駅の西口から降りていく。向かう先は生身(いきみ)天満宮というところであった。「地図を見る限り、この丘を越えた方が近そうだがな」八雲は右手に見える緑の丘を見ながら周回している道を歩く。こうして歩くこと15分ほどで、目指す生身天満宮の鳥居が見えてきた。
「それにしても先生、生身とは本当に不思議な名前ですね」「うん、そうじゃろうな。御神体がまだ人間として生きているうちに祀ったんだからな」
 八雲はそう呟きながら姿勢を正すと、一礼して鳥居をくぐる。出口もあとに続く。

「さて、出口君この神社のことは調べているね」「はい、菅原道真が生前に祀られた日本最古の天満宮であると」
 境内をゆっくり歩きながら出口が説明すると、八雲は何度もうなづき足を止めた。
「出口君の言うとおりだ。さて、参拝する前にもう一度、この神社をおさらいしておこう」そういうと八雲はゆっくりと語り始めた。

ーーーーーー

「私に客人?」「はい、道真様どうされますか」「もはや左遷の身になり、政治的なすべてを失った私に会ってくれるとは、よほどのモノ好きということだのう」
 従二位右大臣まで上り詰めていた菅原道真が、突然太宰府に左遷されたのは901年1月のこと。それも政務に当たることを禁じられ、自費での移動と言う、とてつもない仕打ちを受けてしまった。
「先帝(宇多天皇)には、ずいぶん引き立てて下さったものだが、それも夢だったか......」
 醍醐天皇へのとりなしもないままに、受け入れざるを得なかった道真には何も残るものはなかった。
 そして淡々と京を離れることになり、より悲しさだけが頭をよぎる。ただそのような中、移動開始直後、途中の東寺で面会したいという人物がいると聞くと、ほんの少し気持ちが晴れた気がした。

「おお、そなたは!」道真の前に現れたのは武部源蔵と言う男。彼は道真を含めた菅原氏が支配している知行所・園部の代官であった。道真のことを聞き、慌てて左遷のために移動を始めた道真を追いかけてきたのだ。
「この度のことは」頭を下げて厳しい表情の源蔵。「それはもう言わないでくれ、こ、こっちも悲しくなる」道真は鼻をすすりながら悲しみをこらえた。
「私にできることがあれば、何なりと」源蔵は頭を上げて道真に視線を合わせて訴える。道真はしばらく目をつぶっていたが「できれば、我が八男の慶能の養育を願いたい」と言った。
「もちろんでございまする」と源蔵。これを聞いた道真は口元が緩み「頼むぞ。そうだ、歌がひとつ思い浮かんだぞ」とつぶやく。そして

菅原の すりおく墨のいつまでも 硯の水の つきぬかぎりは

 と、詠った。それを聞いた源蔵は「謹んで賜りたく存じます」と頭を下げると、道真と別れた。

 園部への帰り道に源蔵は心の中で叫んだ。「あの方は間違っていない。今の朝廷がおかしいのだ。あの方は神に等しい。そうだ! 園部であの方を」

----
「その源蔵と言う人が、この神社を創建したと」「そういうことじゃ、距離的に考えても、まだ道真が太宰府に到着する前だと思う。園部の小麦山に菅原氏の邸宅があったらしく、源蔵はそこにひそかに小さな祠を作る。そこには道真の像を安置した」
「まだ存命中に!」出口が驚くのも無理はない。普通は死後に祀られることがあっても、生前中に拝むための祠を作って神として拝む存在などそう多くない筈だ。

「いや出口君、生祀は結構あって明治天皇など、意外に事例は多い。どうやら中国思想の影響を受けたらしいな。700近くあるという研究もある」
 八雲は得意げに語った。
「いずれにしても、道真存命中ならまだ朝廷が祟りを恐れる前ですから、相当古いですね」「うん、代官の武部源蔵は、この生身天満宮の初代宮司となって、今でもその御子孫が宮司をされているそうだ」

 ふたりは再び境内を歩く。そして拝殿の前に来ると、いつものように正式の参拝方法、最初に二礼して、二拍手、そして一礼した。
「そういえば先生、菅原氏の邸宅が小麦山にあるといいましたが、ここは違いますよね」
「うむ、その通り。実は江戸時代初期に、園部藩の小出吉親が小麦山に城を築くことになり、その際神社がここに遷座したそうだな」

 こうしてふたりは神社を後にした。

「もし私が将来先生の生祀を作ったらどうします?」帰り道、出口が唐突な質問をする。「え? うーんどうなんだろうなあ。生きているうちに祀られるって、そういうふうに言われると、考えたらちょっと気味が悪いな」八雲は即答できず戸惑う。
「それは多分しないけど、死後私が祀るとかは嫌だから、できるだけ長生きしてね」突然プライベートモードになって、甘える出口。
 八雲はそれを聞くと「お、そ、そうだね」思わず照れて、赤くなってしまうのだった。

 


こちらから「旅野そよかぜ」の電子書籍が選べます。

-------------------
シリーズ 日々掌編短編小説 592/1000

#小説
#掌編
#短編
#短編小説
#掌編小説
#ショートショート
#スキしてみて
#菅原道真
#生身天満宮
#八雲と出口
#歴史小説
#一度は行きたいあの場所

この記事が参加している募集

スキしてみて

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?