くま読書 手の倫理
伊藤亜紗さんが書かれた「手の倫理」。
soarの東畑さんと伊藤さんのイベントでお2人の話を聞いた時からこの本を読んでみたいなと思っていました。
私の日々の職業である作業療法士は、仕事中に手を使うことが多く、たくさんの人の体にも触れる機会が多いのですが「手の倫理」って?どういうことだろう?とタイトルから疑問に思っていました。
1.「ふれる」「さわる」
この本のはじまりというか、根幹にあるものは「ふれる」と「さわる」の違いなのだと思います。
「ふれる」は相互的であるのに対し、「さわる」は一方的である。
英語にするとどちらも「touch」だが、ニュアンスが違う。傷口に「触れる」というと、状態をみたり、薬をつけたり、さすったり、そっと手当をしてもらえそうだが、「さわる」は何だか痛そうな感じがする。虫や動物は「怖くてさわれない」と言うが、「怖くて触れられない」とは言わない。空気は「さわる」はできないが「ふれる」ことはできる。
「ふれる」は人間的な関わり、「さわる」は物的なかかわり
もっとも、人間の体を「さわる」こと、つまり物のように扱うことが、必ずしも「悪」とも限りません。たとえば医師が患者の体を触診する場合。触診は、医師の専門的な知識を前提とした触覚です。ある意味で医師は患者の体を科学の対象として見ている。この態度表明が「さわる」であると考えられます。
同じように相手が人間でないからといって、必ずしもかかわりが非人間的であるとはかわりません。物であっても、それが一点物のうつわで、作り手に思いを馳せながら、あるいは壊れないように気をつけながら、いつくしむようにかかわるのは「ふれる」です。
そして作者は倫理について道徳とは違うということを以下のように述べています。
私たちはものごと一般化して、抽象化して捉えてしまいがちです。けれども「一般」として指し示されているものは、あくまで実在しない「仮説」であることを忘れてはなりません。なぜなら「一般」が通用しなくなるような事態が確実に存在するからです。そして、倫理的に考えるとは、まさにこのズレを強烈に意識することからはじまるのです。
「道徳=普通」「倫理=個別」
そしてこの本の目的は以下の通りです。
「他人の体にさわる/ふれる」という具体的な行為を通して、倫理について考えていくこと。
2. 自分がやっているさわる/ふれる体験の振り返り
初対面の患者さんの体に最初に触れる時は、私は、毎回いくばくかの緊張感があります。
身体接触は会話や手紙などの他のコミュニケーション手段より、距離感がなく、お互いにリスクを伴います。大げさですが、もしかしていきなり相手が危害を加えてくるかもしれない。「ふれる」はお互いに信頼感がないとできないことです。
私たちの職業は、患者さんから見ると「体を良くしてもらえる」「筋肉をストレッチしてもらえる」「正しい運動の動きを教えてくれる」といった漠然とした職業イメージをお持ちではないかと思います。ここで、私たちが「ふれる」ことに関しては、多少相手の警戒心が下がっているような気がします。
一般の方は、医療福祉職のスタッフにさわられる事への抵抗感は少ないかもしれません。それは治療や援助の際に身体接触が必要となってくるからです。
しかし、認知症の方や、知的機能の低下を伴っている方は、職業イメージがわかず、私たちがふいに安易にふれてしまうことに対して、恐怖心や不安感が生じているのでは?と感じます。何者かがわからない人に触れられると誰だって怖いですし驚いてしまいますよね。
まずは、私たちは相手にふれる前に「カテゴライズされたその病気の人」(たとえば認知症の人、糖尿病の人、脳梗塞の人、がんの人、高齢者の人)という意識ではなく、自分が見えている目の前の人の「私には見えていない違う側面」を想像し、敬意をもって接する事が重要であると思います。
人が人にふれる時は「信頼してもらう」ことがふれるためへの第一歩です。
そこでは自分のコミュニケーションが、単なる「伝達」になっていないか、こちらがいいように相手を操るような「コントロール」をしていないかといった振り返りが必要になってきます。
そして「さわる」ではなくやはり「ふれる」関わりができると良いかもしれません。
ストレッチをしている間は、こちらが一方的に腕や足を動かすのではなく、動かしながら相手の筋肉や関節の伸びや張りを感じている。そして修正を加えていく。相互的な生成的な関わり。
これはストレッチだけではなく、コミュニケーション全般においても言えることかもしれません。こちらの投げかけたものに対して、相手の反応をよく見ること、耳を傾けること、そこから合意的なお互いの落としどころを探って行く関係性が生まれると、大変心地よい関わりになれるのではないかと思います。
コントロールすると「安全」が生まれます。しかし、相手の「こうしたい」が生まれません。そのような関わりでは「信頼」が育まれず相手の生きる力を奪っていきます。
まずは、お互いに相手に身をゆだねること、生きることはリスクを伴うことであることを忘れないこと、不確実な人生の中で、当事者の自己決定を応援する事ができるようになれるといいな・・とこの本を読んで感じました。
今後の臨床の中でも「ふれる」ことを意識して、毎日を積み重ねていきたいです。
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