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通訳って誰のため?

 私たち手話通訳者は依頼者からよく言われます。
「ろう者のために手話通訳を付けることにしました!」
私はいつもこの言葉に違和感をおぼえています。

通訳の目的を考える

 ろう者の世界も当然いろいろな人がいます。
生活の怒りを通訳の派遣事務所にぶつける方もいて、職員に手を上げ警察沙汰になったことも。

警察と通訳

 警察は職務遂行のために通訳をつける義務があります。
都道府県域の派遣センターと連携する決まりになっていて、予算も取ってあるのです。

 更に私のような一介の地域通訳者ではなく、裁判になることも鑑みて都道府県域の通訳者が一貫して担当します。(恐らく地域に因りますが)

職務遂行の義務

 それでも警察はなかなか動きません。
実際、通訳を依頼するよう被害者側の私たちが訴えても

「彼(ろう者)は欲しいと言っていません」
「必要ならあなたたちがやればいいでしょう」

 欲しいと言っていないとどうやって分かったのでしょうか。
しかも、被害者側に求めるという公平性の無さも恐ろしいけど
自分たちの責務は…? “こう言っているだろう” を調書にする気…?

 最終的に管轄の署に電話で訴え、どうにかして派遣センターと話を取り付け、取り調べまでには通訳を派遣させました。
(ずっと前の話で全ての警察がそうではありません、悪しからず…)

通訳は誰のため

 通訳は、日本語が聞こえない分からないろう者のため
そして、

手話が分からない聴者のため

です。

 公的機関には市民に伝える、その声を聞く義務があります。
会社は会社の責務を、医師も治療という仕事を果たすために通訳が必要です。
通訳をつけないことはその責務を放棄していることになります。
普段の会話だって極論、日本語話者が手話を扱えれば通訳は不要なのです。

通訳は両者のためにあるのです。

無意識の上下関係

 「ろう者のために手話通訳を付けてあげました!」
無意識の
“日本語が分かるのが当然。でも日本語分からないからやってあげる”
という感覚を感じます。そして“福祉に貢献している” という自負も。

 そうして
「通訳を付けてあげたのに、お礼も言わない」
「我々の区のイベントでは通訳は要らないです」
というようなことに繋がります。

 音声が聞こえなくても、ろう者は書記日本語を第二言語として駆使し歩み寄っている中、寧ろ手話の分からない聴者が上からものを言いがちです。

 「無意識の差別」

前回の記事にも通じるものです。
私も含め、“つい”でやりがちです。
ダイバーシティもインクルージョンもこうした感覚の見直しから始めていく必要があるのかもしれません。


前回の記事



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