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非二元メソッド

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非二元は「非二元メソッド」というメソッドだと思っています。
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2022年4月の記事一覧

個人の私も全体の私もない

個人の私も全体の私もない

個人の私も全体の私もありません。

全体だけがある、というのでもありません。

全てある、と納得するのでもありません。

そして、「私はいない」と私が言っているのも違うんです。

どういう表現をしようが
何かが何かを認めているんじゃないんです。

だから
気づきの意識とか
俯瞰するとか
映画を観るようにとか
観察者とか。

どうなんでしょうね。

でもそうやってると、
「現実」に「巻き込まれない」

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腰がない……

腰がない……

久しぶりの腰の痛み。

これは、「ギックリ腰」というやつだな。
何年ぶりだろう、この感覚…

なーんて。

朝、起きようとしたら
「ッ!ったぁーーい!」
となり、久々のギックリ腰到来に気持ちが
萎えました。

痛みが少しマシになった頃、息子に
「ごめんやけど、ちょっと、
腰押してくれへん?」
とお願いしたら、
「真っ直ぐで、どこが腰かわからへん」
って言われました。

ぅおーーーーーい!

わかれ

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邪魔しないーでよー♪

邪魔しないーでよー♪

ただそうである
が腑に落ちるというのは、
あらゆる感覚、感情が消えることでも
何かに満ち満ちることでもありません。

何が起ころうと
それが問題にならなくなる。
なりようがなくなる。
ということです。

それを問題として扱える主体がいないからです。

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪

苦しむ誰かはいないから、苦しくない!!うん、ない!!(言い聞かせ)

苦しむ誰かはいないから、苦しくない!!うん、ない!!(言い聞かせ)

「苦しむ誰かはいない」
というのは、
非二元のメッセージで結構よく聞くものですね。

でもこれ、これに引っかかってしまうと、
「苦しむ誰かはいない、ので、苦しくない」
ってなって、
「いやいや!苦しいんですけど!!」
と、大暴れしたい心境にかられます。

「苦しむ誰かはいない」

まさにね、うん。

だけど、
記憶からのイメージや
今起こっている出来事から
それを解釈するという働きが起こり
それに

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もしかして言い聞かせたりしてる?

心揺さぶられるようなことが起きたり
誰かに寄り添いたくなる気持ちが起きたり、

体の不調を感じたり
耐え難い痛みが起きたり、

はたまた例えば
「死」への恐怖が起きたりしている時、

「ほんとは何も起こってない!
これは解釈だ!!」

と言い聞かせているとしたら

それこそがいらんことですね。

まあ、

言い聞かせようが
沸くままに出てこようが

その様子は
その様子なんですけどね。

「夢みる

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痛いもんは痛い…

痛いもんは痛い…

頭痛がする。
「もうちょっと我慢しよう」

頭痛がする。
「肩凝ってるのかなぁ」

頭痛がする。
「アカン、つら!薬飲も!」

どれが起こっても
何が起こっても、

それが起こったならそれが起こってて、
それ以外は起こってないんよね。

何を思っても、その思いで、
そうしたんよね。

非二元の話をすると、
「そのままでいよう」としたり
「勝手に起こるってどゆこと?」と考えだしたり
してしまうかもで

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