見出し画像

個人の私も全体の私もない

個人の私も全体の私もありません。

全体だけがある、というのでもありません。

全てある、と納得するのでもありません。

そして、「私はいない」と私が言っているのも違うんです。

どういう表現をしようが
何かが何かを認めているんじゃないんです。

だから
気づきの意識とか
俯瞰するとか
映画を観るようにとか
観察者とか。

どうなんでしょうね。

でもそうやってると、
「現実」に「巻き込まれない」位置にいられるように
「思ったり」、
「静けさや至福感」を「感じやすい」のかもしれませんけどね。

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?