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syudynote
個人の私も全体の私もない
個人の私も全体の私もありません。
全体だけがある、というのでもありません。
全てある、と納得するのでもありません。
そして、「私はいない」と私が言っているのも違うんです。
どういう表現をしようが
何かが何かを認めているんじゃないんです。
だから
気づきの意識とか
俯瞰するとか
映画を観るようにとか
観察者とか。
どうなんでしょうね。
でもそうやってると、
「現実」に「巻き込まれない」位置にいられるように
「思ったり」、
「静けさや至福感」を「感じやすい」のかもしれませんけどね。
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