衰退している日本で生き残れる子どもを育てる事が出来る《大人の必須条件》はこれです、というお話

※短編小説並みの文字数になっており、時間のない人は ”一先ず “ 大きい字と太字だけを読んでみて下さい。

※読んで何も共感出来ない方は、条件を満たせないので、諦めてこの記事を閉じることを推奨します。
※大文字・太文字を読んだだけで『もう十分』と思った人が少ない事を切に願います。

長年、色んな世代の老若男女と積極的に関わり、観察して感じる事は、子どもがどんな大人に成長するかの軸・基礎・土台は確実に親の家庭保育次第でかなり決まるという事。

 これは、習い事の数でもなければ、習い事をさせるさせないですら関係ありません。

はじめに要点を書いておきます

親が子どもに日常的にどう関わっているか、親自身が普段から人とどう接しているか、親が子育てに関してどういう姿勢でいるのか、子育てが大変・しんどいという感情をどういう視点で言っているか次第で、子どもの未来が変わると言っても過言ではないという事です。

基本が出来ている保育士が、多くの子どもを見てきた中で実感する”ある共通点“があります。

【精神的に安定していて、どんどん色んな事が子ども自身の積極性で身についていき、すくすく育っている子どもの持ち物には、全てにしっかりと名前が書いてあり、着替えの補充も定期的にチェックし随時行われており、着替えも丁寧に入れてある。こちらが伝えた持ち物に関する事にもすぐ対応。】

という共通点です。

勿論、そんな親も人間です。たまには忘れる事もあります。ただ、そういう親は伝えて次の日には必ず改善をして下さいます。

共通点を挙げた訳ですが、これはこうしろという意味ではありません。これを聞いて、真似をしただけで子どもの心が精神が安定するはずがありません。

【親が、日常的に、子どものどういうところをしっかり気にかけ想い、子どもと向き合い関わってきているかが分かる”現れ“というだけです。】

子育ては勿論、簡単ではなく”とても大変“です。

ただ、貴方の”大変“は何に対しての大変ですか?1人の人間を大人になるまで育てる事は”大変“も含めて子育てです。

”大変“を軽減したい気持ちは、理解できます。ただ、軽減するポイントを間違えると、それは単なる大人個人のエゴになり、子どもにとっては愛情を受け取る機会が減り、マイナスが積み重なるだけです。

ネットでもリアルでも今の日本人の親に感じる事は、【利他主義と自己犠牲を一緒と考え、子育ての被害者意識が強く、1人の時間も大事という便利な口実を使って、実際は重きが子どもから自分になってしまっている親がかなり増えている】という事。

勿論、そうでは無い親もいます。あくまで、かなり増えて多いという事です。

大半の人は、物事の問題が目の前にあると、それが起きた原因を見つけ修正していきます。
小さな出来事であれば、勿論それが正解だと思います。
しかし、世代間での相違であったり、社会問題であったり大きな問題というものには、表面的な原因とそのもっと奥に隠れている本当の原因があります。

 現状の日本において、私たち日本人が子どもを育てるのであれば、現状を知り、尚且つこんな悲惨な現状になった原因がどういう流れの中で構築されてしまったのかをある程度知っておく必要があります。
知らずに目先の原因に対してアプローチをしたところで、子どもを明るい未来の方へ導くことはできないと言っても過言ではないと思います。

実際、日本はこれから確実に益々荒れます。民度が益々下がります。スラム街も増えます。ホームレス問題もさらに深刻化します。

 なぜ、そう言い切れるのでしょうか。それには、今となっては切り離す事ができない、コミュニケーションツールの急激な発展とは裏腹にいまだ続けている古代文化なみの時代に合わない日本の教育と、日本の政治家の腐敗が深く関わっています。

日本の30代以下を取り巻く、大人・政治・経済・環境が実際どんなものであったのか。それにより、どの様な影響を30代以下の人は受けてきたのか。

その世代の中でも、私が先に指摘した事が自然と出来ている人と出来ていない人の2極化している原因はどこにあったのか。

それを紐解き、これからどういう子育てをしていくべきかを書きました。


 人間は誰しもが

《認知バイアス》 過去からの根拠の無い思い込み
《楽観バイアス》 自分に都合のいい勝手で能天気な解釈
《傍観者効果》自分の判断ではなく周りの目や様子に合わせておく

  これらを出来るだけ意識していかないと、簡単に判断を見誤り、間違った方向に進んで行ってしまいます。

なので、この文章は基本的に私独自の約23年間の体感と同時にその時々に行っていた観察と調査からなる考察を元に書いています。中には人から聞いて腑に落ちた事も書いているので、9割は自分で1から感じ考えた事ですが1割ほどは人から聴いて自分の感じていた事と繋がり腑に落ちた事で書いてあります。

 私の人生の中で、3度、《その数年後に起きる日本人の悪い変化の予想》をしてきました。そして残念ながら3つ共、的中してきてしまっています。

◎1つ目は、ポケベルと携帯が与える便利の影に潜んでいた、マイナス面による悪い変化によって、『多分あと数年後辺りからは礼儀が身についている人と身につけられなかった人とが大きく分かれそう。自分勝手な人ももしかしたら増えるかも』と予想。

mixiの一般化で人々のコミュニケーションのあり方が変わると共に、利己主義の人が増え出しました。1つ目で予想していた事が、SNSが普及した事で目に見えて分かり易く表面化。予想してからそれまでの間に、予想していた事が日本全国で侵食されていたという事です。
 
◎2つ目は、1つ目の表面化に伴い、『多分、人との繋がりがSNSで簡単に出来る反面、人と人との関わりや繋がりは浅く・弱いものになって行くだろうなと。あとこのイノベーションの急激な進歩で、私達が当たり前と思っている価値観というか定義というかが、下の世代の中で数年後には良くない方向でガラッと変わってそうだな』と予想。

LINEが普及して2013年ごろに中高生の間でLINEによる友達間でのトラブルが社会問題になりました。その頃には未成年だけでなく、30代前半以下の人との関わりの中でさえも《親友》と《友達》の定義が30代後半以上のものと全く違っていた事を知り、その後リサーチを重ね思い過ごしではなく確定へと変わりました。

リサーチする中で、それとは別で、《自分対して無関心である事》には何とも思わないが《人から嫌われる事》に対しては過剰に怖がるという感覚を持っている人がとても多いという事も一緒に判明しました。
 
◎3つ目は、2つ目の確定に伴って、『人との関わりが浅くなったから、これからは多数派になりつつある利己主義の人間が病んで、色んな場所で、今まで海外などで起きていたレベルのトラブルを頻繁に起きて治安は相当悪くなっていくだろうなぁ』と予想。
 
現在の日本を見れば、3つ目の予想が何年も前から確定している事は容易に分かります。
 
私が育った家は幼児期から最先端機器が日常生活の中に自然と存在していたので、当然インターネットを触り出したのも一般化する以前からでした。掲示板から始まり、ニコニコ動画も開始後すぐから見てましたし、mixiも初期にやっていました。招待制を廃止した時には、もう私はほぼ使っていませんでした。TwitterもInstagramも初期から使っていましたが、Twitterは民度が昔から低いので2度アカウントを作り直しています。vineとtiktokは好きになれず投稿は1回もしていません。リアルで人に会って話す事がとにかく好きで、《人》が好きだった私からすると、承認欲求を満たす為のツールに魅力を感じなかったのだと思います。
多分vineやtiktokを初期からやっていたら、若者のメンタルヘルスの多種多様な重症化に早く気づいていたのかもしれません。

 

私個人が感じ考察してきた日本の変化のそれぞれの原因と経緯

 大学を卒業し保育士になった当時、様々な他業種を経験した後に保育士復帰をした当時、海外生活の中で外から見た日本に痛感し保育現場の今を調べた当時、コロナ禍で保育コンサルをした2年間と様々な時代で様々な視点で保育現場を見てきました。

まずは、それより前に遡ります。保育とは別で、私は19歳の頃から1つ下の世代でのコミュニケーションに変化や違いを、ある時からふと感じ始めました。

元々《人》が大好きで、幼児の頃から人見知りはありませんでしたし、小学1年生の入学式からすでに様々な世代と実際に会って積極的に関わっていく性格でした。

また、生まれた環境も父が常に新しい電子機器を使っており、その影響で兄がバリバリの理系人間になり、世の中がスーパーファミコンの普及で沸いていた頃、我が家ではPC98というパソコンでゲームをしていました。
そんな環境が日常だったので、当然、ネットにもマイナー期から普通に触れていました。その流れでで、掲示板やチャットルーム、GREEやmixiより前のSNSを活用していたので、独自で常にリアルとネット両方からの実際の情報を自分で獲得しつつ、自然と日常の生活の中で考察をしてきました。

 そうする中で、”先見の明がある“とまでは言いませんが、昔からある程度、時代の変化とともにコミュニケーションが変わった事により、その副産物でどこが悪くなっていくのかを、最初にも書きましたが、何となく予測できましたし、その通りになってきています。


便利には必ず失うモノがセットになっている

 エジプトの古代遺跡に『最近の若い者は』という文章がある事は、今となっては有名な話です。これを例に昔からある世代間の不満だという人がいますが、実はこの遺跡の言葉は【若者批判の言葉ではない】という事を話のネタで知っておくといいと思います。
 遺跡の言葉と意味が違っても、時代の変化と共に自分たちの世代と次の世代に違いが出てくる事は文明が進化していれば必然です。

しかし、近代の日本では進化ではなく退化が進んでしまっているのです。


 消失していったのには、それだけの原因・理由と積み重ねがある

 まだ一般的な通信機器が家に設置された電話のみまでの世代と、ポケベル・PHS、その後すぐの携帯電話という個人と個人を直接繋ぐアイテムを未成年が簡単に持てる様になって以降とでは、人のコミュニケーションの形が全く別物になったと言って過言ではありません。

 誕生以降、一気に様々な事が便利になったと同時に、気づかない間に多くのモノを私たちは失い始めました。

家庭に固定の電話しかなかった時代、まず、掛けた際に電話口に誰が出るか分からないことから、誰が出ても失礼のない様に言葉使いに気を付ける事は必須でした。
 小学生の子どもでも
『〇〇といいます。〇〇さんはいますか?』
『〇〇と申します。〇〇さんはいらっしゃいますでしょうか?』
といった言葉を礼儀として使う様に各家庭で教えられ、皆が使っていました。

 電話を朝と夜にかける際には、相手の家庭への配慮が必須でした。
 朝7~9時であれば、どこの家庭も朝食・出勤・登校など様々な準備で忙しいです。もし用件が緊急でなければ9時以降に電話を掛けようと掛ける時間を皆が考え決めていました。

もし緊急の用件の場合は、掛けた時の第一声で『朝のお忙しい時間に申し訳ございません』と伝え失礼のない様にしていました。夜も同じです。21時か22時以降の場合は緊急の要件かどうかで掛けるか掛けないか決め、朝同様、緊急の用件の時は『夜分遅くに申し訳ございません』と伝えてから名乗り用件を伝えました。19時か20時頃の電話でも礼儀として『夜分に失礼します』と伝えていたと思います。

これらの言葉使いと時間帯への配慮が無かった場合、時には相手方の親に注意される事や怒られる事も普通にありました。

相手の家庭に電話を掛けるという行為には、
【相手の家族への言葉遣いなどの礼儀】
【相手と相手の家族の都合を考える】
などがセットになっており、皆が日常の中で自然と、
【相手への礼儀】
【相手への思いやり】
の基礎が身についていました。

人によってはこれらの行為をするという事で、毎回ドキドキしていた人や、ドキドキする事で苦手だった人もいました。しかし、それらの経験を積み重ねる事によって、社会に出て社会に揉まれる事への精神的準備の足しになっていたのも事実です。

何より、これらの事が日常の中で自然と行われていた環境により、必死になって子どもに教える必要はなく、大半の親自身が【礼儀】【相手の立場になって考える能力】を身についており、子どもも自然と身につく状態にありました。

【相手への礼儀】と【相手への思いやり】なんて、大して重要じゃないと思った人もいるかもしれません。

しかし、子どもが社会に出るまでの間、大人になって社会に出た時に、余程の飛び抜けた才能を持って生まれた天才以外は、【相手への礼儀】と【相手への思いやり】を身につけていると、大変な時に助けてくれる存在が自然と周りにいて助けてもらえながら前に進める人生を獲得できる大きなアイテムとなります。

海外で仕事をするとなると、コミュニケーション能力が今の日本より遥かに必要となり【相手への礼儀】と【相手への思いやり】の能力が必要となります。

子どもの未来を想う親であるならば、【相手への礼儀】【相手への思いやり】を日常の中で伝え見せて学ばせる事が、とても重要で大切なのです。

そしてここで忘れてはいけない事、

それは【日本の学校教育は昔の高度成長期から今現在に至るまで”詰め込み教育“でコミュニケーション能力を向上させる”ディベート(議論)“などは教育に含まれていないという事。

  しかし、ポケベルが誕生した事により、これらの行為を苦手としていた人にとっては、本来の用途とは別の回避アイテムという用途が生まれました。
要するに、電話を掛ける際、電話口に必ず友達が出るようにポケベルで事前通達するのです。これが日常になる事で、日常の生活で自然と身につく機会を失い始めます。

 ポケベルの普及から間も無く、PHSや携帯電話(これ以降”携帯”と略称)の一般化が進みます。この時はまだ、インターネットは一部の人が扱う程度で、もう少し先の話です。
PHSが普及し始めてすぐに携帯も一般的に普及し始め、未成年でも携帯を気軽に持ち始められる様になりました。携帯が普及した事により、携帯同士のメールが出来る様にもなり、その後進化し、簡単な携帯用のネットページがみられる様にまでなり、これらの技術革新で一気に携帯で出来る事が増えました。

 これより、コミュニケーションの形は未成年の頃から、携帯・ネットなどのツールを挟み、【個人と個人でのみのやり取り】へと変化します。


 ポケベルから携帯へと移行している間に、ネット世界では掲示板から出会い系が生まれ、その発展系にプロフィールアカウントを個々が持ち、1つのサイトで多分野にわたり趣味の輪を繋げられるコミュニティ機能を持った所謂SNSの走りが生まれます。その時に、ひっそりと現れたのが完全招待制SNS mixiでした。東京では芸能界や夜の西麻布や六本木などでITの人間がどんどん招待をしていましたが、東京以外のネット住民界隈では招待してくれる人に出会うのも一苦労で、mixiに登録出来ている事がちょっとしたステータスになっていました。

mixiがネット界隈で勢力を持ち始め、何年かしたところで、間口を広げる為に招待制を撤廃し、一気に一般人へと広まり、SNSというものが一般化しました。
招待制から始まったmixiは招待制を撤廃する事で知名度は一気に広まりましたが、マイナーからメジャーになると必ずと言っていいほど生まれる弊害があります。

盛り上がるまでを経験していない人が盛り上がってから一気に参入する事で、その人達は我が物顔で自分ルールを作り、必ずやりたい放題好き放題に場を荒らし、それまで保たれていた秩序を崩す人が現れます。
ただし、mixiは先に述べた通り、mixiと関わる以前から日本の世の中で利己主義者が水面下で増えてしまっていたせいで、その数が多数派で存在してしまい、かなり早いスピードで一気に廃れました。

実は、マイナー期のネット界、みんなでその世界を創り上げていく意識があり、多くが利他主義で今と違って悪い業者が入り込む事もほぼなく、基本平和でした。

2ちゃんの一部とファン掲示板の一部のユーザーなどの書き込みは、今と同様で誹謗中傷の書き込みがとても酷かったですが。

 2020年に音声のSNSとして招待制で始まったクラブハウスも招待枠を急激に増やした途端にmixiと全く同じ道を進みmixiの何倍も速いスピードで衰退したのは記憶に新しいですよね。

 mixiが廃れ始める少し前よりTwitterが普及。これにより、匿名で気軽に『~なう』と言って呟く事が流行になる一方で、今までアンダーグラウンドで行われていた匿名での誹謗中傷が誰の目にも止まるようになりました。
Twitterがmixiと違って廃れなかったのは、文字数制限で短文しか打てないという縛りが逆に瞬発力で何でも無責任に書き込めるという簡単さと、情報拡散と収集も容易に出来たからだと感じています。

 この時期にアメブロはSNS以外の有名なツールになりましたが、結局ここでもTwitter同様、誰でも目にする場で誹謗中傷のコメントをする人が場を荒らしていました。

 次に変わって台頭したのがFacebookです。
Facebookが日本で流行り出した初期は、実名と自分の写真で登録しなければならないというルールがあり、そこに魅力を感じた人達が登録し活用する様になりました。
匿名による誹謗中傷の書き込みに対して、嫌気が差した人たちがこの頃はまだ今より多かったのかもしれません。そして何より、世界の人たちと顔と名前が分かった状態で繋がろうと思えば繋がれるツールであった事も大きかったです。

ただ、Facebookはリアル社会を充実させる為にはとても便利なSNSであったと同時に、リアル社会に順応出来ていなかった人間にとっては使えないSNSであったことから、FacebookユーザーとTwitterユーザーの二極化が日本では進みました。

この頃から徐々に普及し始めたスマートフォン(これ以降スマホと略称)が一気にメジャーになり始め、携帯時代からスマホ時代に変わるのに時間は掛かりませんでした。

実名のFacebookと匿名のTwitterという二極化した事、スマホが普及しアプリで今まで以上に手軽に出来ることが増えた事により、匿名であれば相手の事を考えるという思考すら持たず、ストレス発散という卑怯な利己主義者がより一層、急増します。

スマホが普及した事により、メッセージアプリが世に出始め、LINEの前にViberというアプリが普及しそうになったのですが、イマイチ魅力に欠け広く普及する事なく日本ではほぼ使われなくなりました。

そんな中、可愛いスタンプ機能などの機能性プラス見易さなどからLINEが日本で一気に普及します。メールのやり取りの中で相手が読んだかどうかが分からない不安を解消してくれたのが【既読機能】でした。韓国の開発元がLINEを開発したキッカケは東日本大震災の時の来日経験だった事から、生存確認の為の【位置情報送信機能】や【既読機能】が搭載され、日常生活でもとても便利な機能となりました。

しかし、ここでも便利が弊害も生み出してしまいます。
便利ツールの発展により簡素化されたコミュニケーションが日常化。


特に未成年の活用法が会話文での短文でのやり取りが主流になり、コミュニケーションが目の前に現れた短文に対して《瞬発力》での返信だけになる。
この事によって【会話にも文章と同じく流れというものがある】事を意識できなくなり、理解力が著しく退化していきました。

会話や文章というものは、一見、否定的な単語や文章が出て来たとしても、前後の会話の内容出会ったり文章の流れであったりで、良い意味として使われている事が多々あります。

しかし、理解力が著しく退化した事、《瞬発力》でしか会話ができない事から、否定的な単語が出て来た時点で《怒りの感情》が生まれてしまう若い人ばかりになっていきました。この事からの派生で、自分の意見に対して否定的な意見を言われた時点で、本来は意見に対しての反論であるのに【意見の否定=自分自身への否定】というとてもねじ曲がった解釈をする人が大半になり、意見交換や議論が出来ない若者が多数派になっていきました。



ゲーム機の発展もコミュニケーションに対して思わぬ大きな弊害を産みました


テレビゲームと持ち歩ける小型ゲーム機です。デジタル世界のゲームはとても面白く魅力的で中毒性があります。
【人と人とのアナログな遊び】の時と比べるとかなり喧嘩の頻度が減るそうです。ここでいう【喧嘩】は一瞬の暴言の吐き捨てではなく、【言い争いから解決するまでの過程が存在する喧嘩】の事です。
ダイレクトに人対人ではなく、人と人の間に【ゲーム機のテレビや液晶画面の中の世界】というツールが入り込むからです。

小型ゲーム機の普及により、ある時期から、公園で子どもが友達と集まり、座り込んで小型ゲーム機で遊ぶ姿が急増しました。現在では公園ではなく、オンライン上へと移行しましたが。

【人と人とのアナログな遊び】から【ゲームによるデジタル世界を挟んでの遊び】が主流になり、【喧嘩】という経験かなり減った弊害として、幼い時の副交感神経への刺激が激減します。

副交感神経の未発達により、すぐキレる若者が増えた上に、理解力の低下・コミュニケーション能力の低下で、リアル・ネット内会話の中でのトラブルがそれまでより、遥かに簡単に起きる様になりました。

学校教育に、ディベートをカリキュラムに含んでさへいれば、まずここまでの理解力とコミュニケーション能力の低下は起きなかったでしょう。

この頃から、社会的にも世代間で会話が通じないと問題視はするものの、ほとんどの大人の日本人は『最近の若い者は会話すらろくに出来ん』という言葉で片付けてしまっていました。

実情は、便利ツールの進化によってどんどん脳を使わない環境になっている問題がそこに存在しているにも関わらず、大人がそれに気づかず放置した結果でした。



昔から存在していたライトノベル、通称ラノベが若者の間で人気が出て来るのですが、この頃から文章の中での『』を使う話し言葉の割合がどんどん増え始めます。
情景描写を詳細にした所で、理解出来なく読む事が苦痛になる人の割合が増えた影響です。
多いものだと、ほぼ会話文で話が進むものも、その後に発売されました。

そういう背景があるので、この頃には数年前まで流行っていたブログを読む若者は当然、激減しブログユーザーの年齢層が上がります。

若者のコミュニケーション能力低下が進み、人間関係の軽薄化と利己主義化で人間関係には不安感が常に付き纏う様になります。


その不安から、【既読無視】【既読スルー】という言葉が生まれ、既読したらすぐ返信しないと『既読無視をしたから雑に扱われた酷い!』『友達なのに既読無視なんてあり得ない』と【既読をしたらすぐに返信しなくてはいけないという強迫観念】が日常生活の中でずっと付き纏う生活をする様になります。

また、仲間だけでトーク部屋が作れる【グループ機能】という便利な機能も、弊害を生み出しました。本来はメールの一斉送信のLINE版として、そのグループ内にメッセージを送信するとグループの人間全員に通知があり、メッセージを確認する事が出来ます。そして送信者はグループ内の何人がそのメッセージを既読したかも知ることが出来ます。
このグループ機能を使ってグループの中でイジメをしたり、1人にだけグループを作っている事を教えず仲間外れを裏でしていたりなど、陰湿なイジメのツールにもなっています。

生活を豊かにするつもりで開発されたLINEは、便利の裏で人間関係を悪くするツールと化してしまいました。

これを読んでいると、そもそも【友達】という存在の定義がねじ曲がってしまっている事に気づきますよね?

ではその頃からの【友達】とはどんな存在なのでしょうか。


友達の定義に異変

便利ツールの発展により簡素化されたコミュニケーションが日常化。その事により未成年のコミュニケーション能力低下が進み人間関係の軽薄化と利己主義化で【友達】という存在の価値観に変化が生じます。

多少の価値観の誤差はありますが、この前の世代まではそれなりに遊んだことがある人間を【友達】といい、会ったら挨拶する程度の関係は【知り合い】【クラスメイト】などで表現。【友達】の中でも親や普通の友達には言えない本心を話せたり、時にはお互いのダメな部分を叱咤激励出来る友達を【親友】と表現してきていました。

しかし、利己主義者が増えると共に副交感神経の未成熟により、他人との距離を縮める事に恐怖感が伴い敬遠する様になりました。その結果、顔や名前を知っている人を【友達】一緒に遊ぶ仲間を【親友】と表現。でもこの中に、自分の本心をさらけ出せる存在はいません。


そこから派生した新たな感覚として、自分への《無関心》には抵抗がないのですが、《嫌われる》事に極度の抵抗があり、日常の他人との関わりの中で、人に嫌われない様に常に発言・行動に気を付けるという意識を大半の人間が持ち始めます。同調意識の極端化です。

なので、SNSのアカウントを複数持ち、自分と誰も分からないところで愚痴を書き込んで発散したり、顔も本名も知らないネット上だけでやり取りする相手に本心の吐露をするのが常識的な行動となりました。
現実社会での【友達】、ネット内だけの【友達】。一見、友達の輪が広がって良い様に思えますが、【友達】という存在の定義次第では、とても生きにくい世界になってしまった結果に生まれた《複雑な関係性》の構図へと変貌しました。



InstagramとTikTokが多くの精神疾患者を生み出し続けている世界中での問題。

 Instagramが現れた当時は、投稿には写真を必ず必要とする事から、日本では、文字だけのTwitterの手軽さに慣れていた人達には受け入れられませんでした。

 しかし、世界中の有名人がプライベートを投稿する事で人気が出始め、最初の方はアルバム感覚での自分の記録用と人の投稿を見るのが用途でした。
しかし、自分の写真でも知らない人から『いいね』が沢山もらえる事で、承認欲求が一時的に手軽に満たされる中毒性がある事に若者が気づき一気に熱狂します。自分を良く見せ、多くのいいねをもらう為のツールと化します。又は幸せ自慢のツールとして急激にユーザーが増えました。

要するに、インスタグラムの中では、常に人に対しての生活や外見の自慢で満ち溢れます。勿論、本物もあれば、偽装もあります。
ここで弊害が増大します。承認欲求を満たす為、偽装し常に嘘の自分を写真で演じ、生活の中心がインスタ上の偽装になってしまう人。または、嘘か本当か分からない人の華やかな生活・姿を見過ぎる事により、自分に対して不満しか持てず心が病んでしまう人などです。

インスタ映えという言葉の誕生と共に、SNS依存へ多くの人間が陥ってしまいます。それは今もお改善されるどころか悪化の一歩を辿っています。

悪化の速度を高めてしまったのが、海外ではWhat app、日本ではTikTokに実装された動画での顔加工機能でした。技術の進歩による、とてもすごい技術なのですが、利用者が未成熟であった事、自分の外見へのコンプレックスを持っている若者が多い事が重なってしまい、加工依存、加工した人工的な顔への整形願望、自分の顔への嫌悪感を持つなどの精神疾患者が世界的に急増してしまいました。

他人の表情より、いいねや文字での褒め言葉にしか興味が持てなくなり、本来コミュニケーションにおける表情の重要さや情報量の多さなどに気づけず、人の表情や顔文字への関心が欠如してしまっている若者も増えてしまっています。

 研究結果で、SNS利用時間と鬱は比例する事が解明されています。


実際に多くの人間が苦しんでいる弊害


現代、SNS・メッセージアプリが主流になった事により生まれた弊害をザックリ挙げてみます。

【過剰な外からの承認欲求】
【過度の外見コンプレックス】
【自己肯定の激減化】
【容易な匿名による誹謗中傷】
【副交感神経の刺激不足によりすぐキレる・逆に一種の対人恐怖】
【他人への無関心】
【道徳心の欠如】
【安易にイジメ・犯罪行動を起こす】
【程度感覚の欠如】
【責任能力の欠如】
【集中力の欠如】
【利己主義者の急増化】
【外見コンプレックス・対人関係での精神疾患者の急増化】
【スマートフォン依存症】

などです。

ネット・SNS・メッセージアプリの一般化の歴史まとめ


SNSではないが前略プロフィール 2004年
mixi 2004年 一般化は2009年するも一気に衰退する
アメブロ 2004年 2009年がピーク その後衰退 
これ以降【長文を読む】という事が面倒な作業という認識になり能力低下
Twitter 2006年 2008年に『~なう』流行
ニコニコ動画 2007年 YouTubeが流行るにつれ衰退
Facebook 日本での普及は2010年
LINE 2011年後半から普及する
会話文が文章の大半を占めるラノベが増え出し、なろう系という言葉が生まれる 2012年頃より
YouTube 2014年から徐々に日本で一般化 2016年頃からなりたい職業にYouTuberがランクイン
インスタグラム 2016年に日本で流行る
TikTok 2019年から流行り出す 画像加工が静止画から動画まで手軽に可能となる

次ではツールとは別の面での話も必要なので書いていきます。


日本人の多くの大人が堕落してしまった近代の流れ

バブル崩壊後、日本人は迷走する中で、戦後の日本を立て直した政治家たちの次の世代が、日本の未来を真剣に考えるより、混迷の中で自分達の利権と私腹を肥やす事に力を注ぎ、腐敗していきました。自分達の次の世代に問題を押し付け、問題を未解決のまま先延ばしばかりしてきました。

95年の阪神大震災と2ヶ月後のサリン事件が起き、日本はより一層見えぬ恐怖に怯え、疲弊していきます。

しかし政治は一向に良くならず不祥事も絶えません。
自民党への不満。安倍・福田が1年で首相を投げ出すなど不満が限界。

2009年政権交代。民主党が与党に

 しかし、蓋を開けてみれば、それまで散々与党を糾弾していたにも関わらず、自分たちが与党になった途端に、それまでの自民党と何も変わらない、寧ろ、自民党より頭の悪い与党が誕生してしまいました。

2011年東日本大震災。3年間の民主党の目に余る不甲斐なさ、津波と震災と原発事故という国の一大事に対しての政府の判断が愚かすぎた事、当時の菅直人総理大臣が全くの無能だった事を思い知らされた事により、今の30代後半以上の大人たちのほとんどは、【日本は政権が変わろうと政治家は馬鹿ばかりで何も変わらない】と思い知らされ、深い失望と共に心が折れました。

そして、大人だけでなく、世界が嘘で溢れて、嘘と本当の境界線がぼやけた世界に、当時の子どもたちも希望を持てなくなりました。

メディア流行りから読み取る日本人の変化

2007年おバカタレントブームは日本人が疲弊し自分よりも劣る人間を見て安心していた現れ
2009年に流行りに終わりがくる。劣る人を見ていても何とも思えなくなる。
逆にブログのコメントで誹謗中傷する事で鬱憤を晴らす人が増え出す。
2006年頃からアニメに平和と癒しを求め日常系というジャンルが生まれる。
2011年からアニメ制作数が一気に増える
2012年から異世界ものが流行り出す 夢も希望も現実にないから現実逃避のアニメの中にも現実逃避を求め出す。
2013年進撃の巨人が流行る。異世界であるが現在の社会の縮図を表している。【老害が狭い世界の中で若者の外への希望の邪魔をする】【外に出ても生きていけない弱い日本人】【中にいようが外に行こうが夢も希望もない】【中で教わってきたことが外に出たら役立たない】
これが10年後の現在でも変わらない。

2020年の見えない脅威への対応と日本メディアの腐敗と印象操作で思考を停止させる大人が大半を占める

イノベーションのスピードに、全くついていけない国の中枢の老害たち。
そのせいで子どもたちは、時代遅れの教育しか受けられない社会で成長し、今の30代前半以下の大人は、文字が短文でしか理解できない人の割合が多くを占める。接続詞が2・3個続くともう話を理解できない、倒置法が出てきた時点で理解不可能。

だから、活字の本の購買層は高年齢化し、若者は動画にしか興味を示さなくなった。動画が悪と言っているのではありません。しかし、いつでも簡単に観られるという思考で観るので、大体のショート動画は記憶に残り難い。その繰り返しにより、物事を考える思考能力が単純化し、深く考察する事が出来ない人がかなり増えています。

人とのコミュニケーションが短調な短文ばかりになった影響で顔文字の選択すら正しく出来なくなる。コニュニケーションの中で重要な表情による関心・重要性の欠如。これに関しては2020年以降のマスクの影響で、益々ひどくなる事が予想できます。

 もし日本政府の頭脳が優れており、2000年代にコミュニケーション能力の向上やネットリテラシーを、教育現場で教える事を教育に組み込む危機感を持てる有能な人材がいたならば、その後も時代にあった対策を進めていくはずなので、もしかしたら現状より少しは抑制できていたのかもしれません。

現実はそうではありません。無能な老害ばかりの日本政府には、技術革新による時代の変化についていける柔軟な思考の人間はおらず、未来への危機の先読みが出来る人材はこの頃から今現在に至るまでいません。

 有能な人間が未来の日本の為にとデジタル庁の基盤作りに集まってくれていたにも関わらず、地位と利権の事しか頭にない無能な人達により、多くの有能な人材が失望し、プロジェクトから離脱していってしまいました。
これが日本の現状です。後進国まっしぐらです。一般人にでも容易に理解出来るレベルで日本政府は腐敗しています。

 今までは出稼ぎで日本に来ていた外国人が沢山いました。しかし、今後は日本人が海外に出稼ぎする様になって行くでしょう。
なので海外でも生きていける様に親が子どもを家庭で育てていかなければいけません。



子どもが今の日本と大人になってから明るい未来へと進める人間になれるかどうか、SNS・メッセージアプリと上手く付き合える人間に育つかどうかは、親の家庭教育次第と言って過言ではありません。

●親が子どもに日常的にどう関わっているか、親自身が普段から人とどう接しているか、親が子育てに関してどういう姿勢でいるのか、子育てが大変・しんどいという感情をどういう視点で言っているか次第で子どもの未来が変わると言っても過言ではないという事。

●子どもが社会に出るまでの間、大人になって社会に出た時に、余程の飛び抜けた才能を持って生まれた天才でない限りは、【相手への礼儀】と【相手への思いやり】を身につけていると、大変な時に助けてくれる存在が自然と周りにいて助けてもらえながら前に進める人生を獲得できる大きなアイテムとなります。

子どもの未来を想う親であるならば、【相手への礼儀】【相手への思いやり】を日常の中で伝え見せて学ばせる事が、とても重要で大切なのです。



2011年を10代20代で過ごしていた人が、今の子どもの親であるという事

皆さんは、SNSやLINEでどの様な人間関係の中過ごしていましたか?

実は、意外と安心して貰って良い人は、中学・高校・大学などで、真剣にその時代を部活に打ち込んで来たという人です。


わいわい楽しくつるむだけの部活は除外です。体育会系・文系関係なく大会やコンテストなどに向けて上級生・下級生と一緒に真剣に取り組んできた経験が連続で2年か3年以上ある人です。

今まで【仕事が出来る人・コミュニケーション能力が高い人・議論がまともにできる人】に聞いてきた生い立ちの多くの共通点でした。

こういう人は、
【何に対しても自分で調べる・時には人に助言を貰う】
【トライアンドエラーが出来る】
【人の失敗に対しても寛大でいられる・見守れる】
【出来なかった時の自分の事を忘れず、相手の立場になって考える】


などが部活で上級生下級生と切磋琢磨していく過程で身につけて来ているからです。

これは子育てに、とても重要な能力で、親が身につけていれば、まず子育てにそこまで不安を持たなくても大丈夫です。

 勿論、部活に入っていなかった人でも、これらが身についている人は実際にも何人もいました。ただ、今の時代は少数派です。親が真剣に正しい距離感で家庭保育をし続けてきたご家庭のお子さんです。

もっと言えばこれは完全に憶測ですが、部活をそれだけストイックに頑張れる人は、親がそういう家庭保育を幼少期にしてきている家庭だと考えています。何故なら、それがされていないと、ストイックな部活を楽しめず、続かないと思うので。

結局のところ、子どもの芯・軸・土台をちゃんと子どもと向き合い、時代と周りの怠けた大人に流されない親が真摯に子どもの家庭保育をしていたなら、これらの能力が子どもに備わっているという事です。

今まで色んな保護者を見てきましたが、貧富は関係ありません。親と周りの大人次第です。産む責任・産まない責任どちらかを選んだのも親ですから。

何故、長々と時代の流れと弊害を書いてきたのか。
先に述べた安心して良い人の条件を満たさない人の方が、今の時代必然的に多いからです。

ただし!誤解は絶対しないで下さい!!!

該当しない人がダメだと言っていないのは、これまでの文章をしっかり読んで理解できていればわかるはずです。

【日本で生まれ育った大半の今の30代以下の人は残念な日本の政治家のせいで役人のせいで、時代の流れに合わない教育ばかりを進め、また、親たちは周りに流され、流行りに流されて、子どもの見守り・育て方が本筋よりズレてしまった結果、それらの能力が自然と身につかない環境で育つ事になり、精神的に病みやすい人間になりやすい教育しか受けられなかっただけ】

なのです。

だから、今子どもの為に大人である親が、1番勉強しないと子どもを守れないという事です。

ただし、人のせいにし子どもの為の努力を親がしないのであれば、これらの原因を作った全ての大人たちと同等で、子どもも成長していく中で、自分と同じかそれ以上の大変さを経験することになります。

綺麗事、耳障りの良い慰め言葉を言って、子どもの未来も世の中も変わってくれるならいくらでも大きな声で言います。

でも、それって、今までの無能な政治家が国民に言ってきた事と同じですよ?

その結果、

日本の政治は良くなりましたか?
日本の経済は良くなっていますか?
民度が良い日本国民で満ち溢れ治安がいい社会ですか?
大多数の人が、見知らぬ人・海外から来た人・貧困で困っている人に積極的に接して優しくしていますか?
メンタルに支障が病んでいる人・自殺者の数は減っていますか?

被害者意識では何も改善されません。

改善する努力をした人だけが、改善できる可能性を持てることをいい加減日本人の大人たちに気付いて欲しい。気づかないと終わりです。



今1番勉強し努力し、自分を改善しなくてはいけないのは全世代の大人

結局ところ、肉体的な能力ではなく精神面での能力を伝え教えるには、教える人が能力を身につけ常日頃から出来ていない限り、子どもに教え伝えることなど不可能です。
そして、子どもは親を1番信頼しているので、親の事は細かい所まで、全部見ています。

私は、親が子どもと一緒に、【相手への礼儀】と【相手への思いやり】を学び身に付けていけば、一先ず大丈夫だと思っています。

出来る様になるまで親が頑張ること

【何に対しても自分で調べる・時には人に助言を貰う】

【トライアンドエラーが出来る】

【人の失敗に対しても寛大でいられる・見守れる】

【出来なかった時の自分の事を忘れず、相手の立場になって考える】

これに加えて礼儀の面で

【おはよう・こんにちは・こんばんは・さようなら・いただきます・ご馳走さま】

【ありがとう・ごめんなさい】

をいつでも直ぐに、形式ではなく気持ちを込めて素直に言える様になる。

 これらが全部身に付いていれば、子どもがそれらを見て学び吸収し、思いやりを忘れず壁に当たっても乗り越えられる能力の基礎が身につきます。
そして、親は子どもにとってどうしてあげれば良いかなども自然と考え気付く事もできるでしょう。
 
子どもの事を本当に愛し、真剣に考えているのであれば、まずは親自身が今から勉強し変わりましょう。
良くも悪くも、子どもは親の鏡です。


〜あとがき〜


これが私が人が好きで好きで大好きで、安易に否定せず、根本的な原因を自分で多くの世代と積極的に関わる中で、自然と見つけていき、高校時代や7年前に海外で過ごし、現地の多国籍の人ともすぐ仲良くなり、過去の保育士経験とコンサルをする中で新たに見えてきた事など、全てを考慮し、今の親に伝えられる1番最初に伝えたい事はこの記事になります。

この記事を書く過程が、とても辛かったです。書けば書くほど、バブル崩壊以降の今までの日本人の大人が、今の子どもの明るい未来の可能性を狭めていった積み重ねの歴史に、自分が直接加担した訳ではないのですが、子どもたちに申し訳なさを感じずにはいられなかったからです。

ネットやテレビなどのメディアがで”今の若者が本当にヤバい!“などと言っている大人たちに対しては、どんな視点でどんな気分で言っているのだろうという疑問と共に、正直嫌な気持ちでいます。

とても個人的な価値観になりますが、匿名で誹謗中傷をする人や実際に罪のない人を殺害や心身などに傷つける人以外は、バブル崩壊以降の日本の無能な政治家と大人から被害を被った、ある一面に関しては、完全に被害者だと思っています。勿論、全てがそうと言うつもりはありませんが。

長文を読まない・読めない・理解出来ない人がとても多い日本人、という事は理解しています。でも、結局のところ、これらを自分の子どもの為に読もうと頑張れる人じゃないと、いくら言っても、どんなに優しく耳障りの良い言い方にしても伝わらないと思ったので、理解できる人・伝わる人に集中して伝えられたらそれで良いと考え、この記事を書きました。

一旦投稿をやめるという事で、投稿記事も少し厳選して減らしました。
削除した訳ではないので、もし必要になれば、またその時に再掲載します


 

~余談~


ソクラテスは言いました。

『理想的な国家は理想的な人でしか成り立たない (システムがどれだけ理想的でもメンバーがそれに見合っていなければ機能しない)』

『国民のレベル以上の政治家を私たちは持つ事が出来ない』

政治家がバカである今の日本からの被害を出来る限り回避するには、日本以外でお金を稼げる人間になれる様に、人間性と柔軟性を持った”人として頭の良い人間“になるしかないという事です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?