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「やりたいこと」 を 「夢」 っていう友人


私は割合と言葉を重々しく使ってしまうタイプだから(「好き」とか「嬉しい」とかは別だけど)「夢」なんていうと、凄くちゃんとしたものでないようないけない気がするというか、無意識のうちに、叶うか叶わんかわからんものでないと今まで「夢」って表現したらいけないような気がしてた。叶うとしても、そこまで時間がかかるもの。


小学生の頃、卒業式前に「夢」について作文しなきゃいけなかったけれど、何か「形になる夢」じゃないと、先生から呼び出しくらって書き直させられたりした友人の話を聞いて、私もあんま覚えてないけどあったなぁと思ったし、実際、そういう過去を踏まえて、次第に「夢は大きなもの」とか「一生涯の職業になり得るもの」と勝手に思い込んでいたんだと思う。

これはある年上の友人Nの話なんだけど、彼女はなんでもとりあえず「夢」という人だった。Nとは今年の1月ごろに本当に久しく再開した。彼女が今年就職で地元を離れるというのでその前に会いたかった。そして、初めて二人で出かけたんだけど、すっかり意気投合して(昔会っていた時、私は小学生くらいだったので)一緒に唐揚げ食べたり、ずっと話し込んだりして楽しかった。


そんな彼女は私とは気はあうけれど行動は真逆で、「考えるよりまず行動」の人だ。本当にまず行動。曰く「失敗多すぎて過去思い出したらヘコむわほんま。」どうでもいいんだけど、私がここ二、三年で仲良くなった人って、私に反して、行動力の権化みたいな人多い。これって多分、私にも元々の素質が含まれていて、そしてそういう変容の時期に差し掛かっているんだと思う。楽しい。

そんな彼女と話していて、その日気がついたことは、彼女が「夢」って言葉を多分に使うことだった。彼女は「やりたいこと」を全部「夢」という言葉に置き換えて話していた。


「ここのタピオカ食べるの夢だったんだ。」「卒業式で大学帽を空に向かって友達と投げる写真撮るのが夢だった。」「こういうイラストかくの夢だったんだよね。」


夢。なんてワクワクする響きなんだろう。


最初聞いたときは「タピオカ食べるのに、夢、だなんて大げさな言い方するなぁ」と少し思っていたんだけれど、その後も話すうちに彼女から「やりたいこと、やりたかったこと、やれたこと」を「夢なの、夢だった、夢叶った」という言葉で伝えられ、次第に「なんて素敵なんだろう」って思った。私は感化されやすい人間なのである。

でも、確かに「夢は大きくなけりゃダメ」っていつの間に植え付けられた概念なんだろうって思った。

そりゃ一個、「大きな夢」があることは素敵だ。素敵だけど、「夢が一個でないとダメ」なんて決まりはないはずで、私はいつの間にそんな思い込みしてたんだろう。実現可能なものは「夢じゃない」って思ってたんだろう。「〜したい」っていう言葉だと、それは無意識の流動になって忘れちゃうことも多い気がする。私は「〜したい」よりも「面倒臭い」がまさってしまう人間だから、余計に「〜したい」は固定意識にならない。いつの間にか「まぁいっか」になっていることが多い。

だけど「夢」って言葉だったら、なんだか達成感に包まれちゃう気がして楽しそうだよね。そして、こうしてせっかく、素敵な友人から素敵な言葉を気づかせてもらえたんだから、私もたくさん「夢」をもちたいし、叶えたい。


とりあえず、今の私の夢は、家の近所に新しくできたラーメンを食べに行くことと、noteで読書感想文の記事をupすること。


夢。やっぱり、素敵な響き。言葉ってやっぱり大事だなぁとしみじみ思う。すっごくワクワクしちゃうよね。










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