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お母さんが嬉しいとぼくも嬉しい。お母さんが笑っているとぼくも楽しい~愛犬ピーすけがくれたもの。それは無償の愛だった~

去年の今頃、
私の人生はバダバタと
忙しく変わっていきました。

その春は
息子の中学入学、
愛犬ピーすけの治療費と
大きな出費が続き、
気が付けば頭の中は
お金の不安でいっぱいでした。

そんな不安を手放したいと
あるワークを受けました。

その2日後のこと。
突然、仕事の依頼が
舞い込んできました。

それは、
今の職場での
期限付きの仕事
つまり兼務の仕事でした。
忙しくなることへの
不安はありましたが、
せっかくのチャンスと
その仕事を
引き受けることにしました。

ところが
その仕事を
引き受けた直後に
主人が体調を
崩してしまいました。

ただ、
いずれこうなる…と
心のどこかで
分かっていました。

以前にも、
同じようなことが、
あったからです。

もうこれ以上
戦い続けるのは
やめにしよう…

ようやく主人は、
この病と、
そして自分自身と
向き合っていく
覚悟を決めました。

主人の病院に付き添い
一緒に診察を、
受けました。

消えてしまいたい…
そう思う時があります…

主人の言葉に
涙が出ました。
隣にいる自分が
途方もなく無力な存在に
思えました。

先生からは何度も
休職を進められましたが
結局最後まで
主人は、
休職という決断が
出来ませんでした。

悪いことは続くもので、
今度は
ピーすけの体に
異変が現れはじめました。

この時ピーすけは15歳。
かなりの老犬でした。
年々体力の衰えは
感じてはいましたが
この頃はまだ
食欲もあり元気でした。

半年ほど前に血液検査で、
腎臓の病気が見つかり
これからこの病気と
戦っていくことになる
ということだけは
覚悟していました。

私たちが、
ピーすけと出会ったのは、
15年前、
娘を死産で亡くした
直後のことでした。

悲しみに暮れる
私たちにとって
ピーすけは
生きる希望でした。 

その後息子が産まれ、
今日まで13年間
私たちはずっと
4人で1つの家族でした。

ピーすけは
私たちの日常を
明るく喜びに満ちたものに
してくれました。

そして、
辛い時、悲しい時、
私たちの心を
優しく癒してくれました。

ピーすけのおかげで今がある。

そう思えるほど
ピーすけは
私たちにとって
かけがえのない
大切な大切な家族でした。

犬の寿命は
私たち人間より
はるかに短くて
いずれ別れがくることは
覚悟していました。

それでも
「もしかした、ピーすけ、
ギネスブックに載るぐらい
もの凄~く
長生きするかもしれないよね!」
そんな風に
奇跡を信じたい気持ちも
どこかにありました。

私が仕事を始めた頃から
おねしょや排泄中の失敗が増え
排便も思うように
出来なくなりました。
散歩にもあまり
行きたがらなくなりました。

便秘、異状な喉の乾き、
ふらつき…
これまで無かったことが
次々に起きました。

これまで以上に
そばにいてあげる必要が
ありました。

それなのに…。

何度も
仕事を辞めよう
と思いました。

でも、
どうしても、
言い出すことが
できませんでした。

契約は3月まで。

それが終わったら
ずっと一緒にいられる…。
だからそれまで
お願い、頑張って…
毎日祈るような気持ちで
仕事に向かいました。

私が一番信頼している
職場の上司にだけ、
全てを打ち明けました。

「私が仕事を始めて
忙しくなった途端に
家の中が、
こんなことになって
しまいました…」
そう話すと、
「そう言うものですよね…。
でも、本当に
無理をしないでください。
いつでも休みを取って
構わないですから」

人間関係に恵まれたことが
何よりの救いでした。

仕事が始まって半月程は
夏期休暇のお陰もあって
ピーすけを
それほど長く一人に
しておかずに済みました。

この間に
介護生活のための
準備を整えました。
また、本格的に
仕事が始まった時に備え
一日の家事や介護の流れの
シミュレーショもしました。

皮肉にも
この新しい仕事のお陰で
かさむ治療費や
介護用品等の支払いに
頭を悩ませずに
済みました。


そして、
いよいよ
本格的に仕事が
スタートしました。

夜の介護のため
私は1階のリビングで
寝ることにしました。

夜中の排泄の補助、
水分補給、
朝の散歩、食事
仕事に行くギリギリまで
ピーすけに出来る限りのことをし
仕事が終わったら
直ぐに帰宅するようにしました。

2、3週間は
比較的穏やかに
過ぎていきました。

しかし、その後、
徐々に
症状が悪化していきました。

朝、仕事に行くことが
ためらわれることも
ありました。

昼休み時間に
様子を見に戻ると
床のあちこちに嘔吐物が散乱。
体中に付着した嘔吐物が
渇き切って
見るに哀れな状態で
眠っていたこともありました。

「ごめんね…」

泣きながら床を掃除し、
寝床を新しくし、
体を丁寧に洗い
水分をとらせ、
それでもまた
仕事に戻る自分を
恐ろしく白状で、
冷淡な人間に思えました。

しだいに
足下がおぼつかなくなり
自力で歩くことが
難しくなっていきました。

それでも、
夜中に喉が渇いたり
トイレに行きたくなると
起き上がろうとしました。

モゾモゾと動き出したら
抱き上げて、
水をのませたり
トイレに連れて行き
おむつを交換したり
汚れ物の始末をしたりして、
また寝かせました。

夜中に何度も
そんなことをしているうちに
朝になり
ほとんど寝ずに
仕事に行くこともありました。

主人は、薬を服用しており
睡眠が大切な時期でした。
息子は、
中学生になり
新しい生活が始まったばかり。
勉強、部活動も忙しく
息子もまた
しっかり睡眠をとり
体を休めなければ
なりませんでした。

夜の介護を
誰かに代わってもらう
ということが
どうしても
出来ませんでした。

私がやらなくて
誰がこの子の面倒をみる
私は半ば意地になって、
全てをひとりで背負い込んで
いました。

合間に
主人の通院にも
付き添い、
もういっぱいいっぱいでした。

こんな状況の中
一つだけ
嬉しいことがありました。
ピーすけが
16歳の誕生日を
迎えることが出来たのです。

この頃は
食べられそうなものなら
何でもいい、
そう思って、
普段なら食べさせない
ようなものを
たくさん食べさせていました。

この日もたしか
茹でた鶏肉か、牛肉かを
少しだけ食べてくれたと
記憶しています。


誕生日の1週間後
ついに、
食べ物も水も
全く口にしなくなりました。

その日は
週の半ばの水曜日。
ちょうど祝日でした。
病院に電話をすると、
すぐに診てもらえることに
なりました。

診察の結果
もう長くはない
と言われました。

入院をして点滴をすれば
少しは長く
生きられるかもしれない
とも言われました。
けれど、
病院が大嫌いな
ピーすけにとって、
家族と離れ、
入院することは
大きなストレスになる
でしょうとも…。

先生は言いました。
「私がピーすけちゃんだったら…
最後は大好きな家族と過ごしたい…
そう思うと思います…」

優しい先生でした。
ピーすけを16年間
愛してくれた先生。
先生の気持ちと
私たち家族の気持ちは
同じでした。

一緒にお家に帰ろう…

木曜日と金曜日
それが過ぎたら休みになる。
せめて、私たちのいる時に…
祈るような気持ちで
週末の休みを待ちました。

木曜日は穏やかに
過ぎていきました。

木曜日の夜中
ピーすけが
突然奇声を上げました。
それから、ずっと
苦しそうに泣き続け…
つきっきりで見守るうちに、
朝を迎えました。
 
今日はこのまま
置いていけない…。

金曜日、
私は仕事を休みました。 

午後になり、
もうこのまま
逝ってしまうのでは…
そう思われるほど、
息が細くなりました。

急いで主人に連絡しました。
息子も帰宅し、
家族みんなで
つきっきりで見守りました。

この状態のまま
夜を迎えました。

夜中にまた
奇声を上げ、
苦しみ始めました。

翌日の土曜日は、
息子の初めての運動会でした。

コロナのため
午前中のみの開催でしたが、
主人と二人で
応援に行く予定でした。

息子は、
クラスのリーダーに
推薦されたらしく
「皆より長い鉢巻きを
しているから
いつも、
犬の散歩って言って
遊ばれるんだよ」
と嬉しそうに
話してくれました。

初めての運動会。
クラスのリーダー。
息子の活躍を見たい。
応援したい。
そう思いました。

でも、ピーすけを、
置いていくことは出来ない。
私たちはギリギリまで
悩みました。

「行ってきて…。
おれ、ピーすけみてるから」
主人が、そう言いました。

私は、主人にピーすけを託して、
運動会へ向かいました。

息子の出番が終わったら
すぐに帰ろう。
そう思っていました。

グランドで
息子と同じ部の
お母さんたちに会いました。
そこで一緒に
観戦することにしました。

上に兄弟がいる
お母さんたちは
「本当は、
もっと見応えがあるのよ」
と規模縮小の運動会を
物足りなそうに
見ていましたが
私は、初めて見る
中学校の運動会に
ただただ
感動していました。

小学校の運動会と違い、
生徒一人一人の体つきが逞しく
体力もスピードも
圧倒的に違いました。

その迫力に、
私はすっかり
目を奪われていました。

私の目の前を
息子が
長い鉢巻きを
なびかせながら
力いっぱい走り過ぎて  
いきました。
その逞しい姿に
胸がいっぱいになりました。

気が付けば
お母さんたちと
声を上げ、笑い
夢中になって
応援していました。

あんなに笑ったのは
久しぶりでした。

あの時の私は、
今、この瞬間、瞬間の中にいて、
ピーすけのことは
頭にありませんでした。

気が付けば、
最後まで観戦していました。

ふいに
ピーすけのことを思い出し
慌てて主人のラインを
チェックしました。
容態に変わりないことを確認し、
急いで帰宅しました。

「楽しかった…」

まださっきの余韻に
浸っていました。

家の中では
朝と変わらない様子の
ピーすけがいました。

「行ってきて良かった…
久しぶりにたくさん笑った…」

私は少し興奮気味に
運動会の出来事を話しました。

主人は少しだけ笑いました。
そして、言いました。
「ピーすけ、
だいぶ、弱ってきてる…」

あとはピーすけとの時間。
私は気持ちを切り替えました。

とその時、突然
ピーすけが
吐き気をもよおしました。

あっ、

主人が急いで抱き上げ、
私はピーすけと
向かい合うようにして
口元にシートを添えました。

吐く…

そうと思った瞬間に
ピーすけは、
私の顔を見て
目をかっと見開き、
口を大きく開き、
その状態のまま固まって
動かなくなりました。

あっ、ピーすけ!

まるで時が止まったようでした。

ピーすけ

ピーすけ

ピーすけ

何度呼んでも
2度とピーすけは
動きませんでした。

涙があとからあとから
こぼれました。

私は、
小さな子どものように
わんわん泣き続けました。

ピーすけ…
お母さんのこと、
待っててくれたんだね…

遅くなって
ごめんね…

ピーすけが
息を引き取ったのは
私が帰宅して
わずか5分後のことでした。


ついさっきまで
グランドで
笑っていた自分を
後ろめたく思う一方で

ピーすけは、
私に笑って欲しかったんだ…

そんな風にも思いました。

その晩、
居間に布団を並べ
久しぶりに
家族みんなで寝ました。
もちろん
ピーすけも一緒に。
 
ピーすけの体は 
まだ温かくて柔らかくて
まるで本当に眠っているかの
ようでした。

ゆっくり
最後の時間を過ごすことができ、
私たちの気持ちは
少しだけ落ち着きました。

翌日、
ピーすけは
小さな小さな骨になりました。


私はこの数週間
ずっと思っていました。

もしピーすけが
誰もいない部屋で
ひとり寂しく
逝くことになったら
どうしよう…
そんなの絶対に嫌だ…と。

でも、
それは、
自分が後悔したくないから…
それは、
私のエゴだったんだ…

と気付きました。

ピーすけが
もし一人で逝ったとして
そのことを悲しんだり
ましてや
私たちを恨んだり
しただろうか…

きっと、ピーすけは
そんな時でさえも、
ただただ
大好きな私たちのことを
思いながら
逝ったに違いない

ピーすけは
いつだって私たちを愛してくれ、
私たちが幸せでいることを
何よりも望んでいた…

私が落ち込んでいる時、
泣いている時、
そばに来て
そっと寄り添い、
ペロペロと
涙をふいてくれたピーすけ。

お母さんが嬉しいと
ぼくも嬉しい
お母さんが笑っていると
ぼくも楽しい

そう言って
くりくりした愛くるしい目で
私を見つめていたピーすけ。

ピーすけの愛は
何の見返りも求めない
無償の愛だった…

私は
ピーすけを失って、
改めて
その愛の大きさに
気付きました。


ピーすけのいない家。
ピーすけのいない暮らし。
ピーすけの存在や
ピーすけのぬくもりを
感じられない日々に
私たちは、
それぞれ苦しみました。

けれど、一方で
こうして私たちが
悲しんでいることは
ピーすけを
悲しませることに
なるのではないかとも
話しました。

できるだけ
元気でいよう…
笑っていよう…

私たちは、
支え合い、
励まし合いながら、
互いの悲しみを
癒やしていきました。



お母さん

時々、
ピーすけが
呼んでいるような…
そんな気がする時が
あります。

そんな時、

ピーすけ、ありがとう
お母さんね、
今、とても幸せだよ

そう言って笑うと
何だか
ピーすけも喜んでいる
そんな気がして、
とても嬉しくなるのです。



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