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「政治は大切だ」と思いながらも、何をしたらいいかわからなかった。

誰かの苦しみを犠牲に成り立つ、必要以上の何かで溢れたこの世界の現実知り、それでも生きていくと決めた人はどのくらいいるのだろう。自分に出来ることはなんだろうと考えた人は、どのくらい泣いたんだろう。

先月長崎に行ってきて、いろいろなことを実感した。


その時のことと、今の思い、そして気候変動を止めるための第一歩となる署名にご協力いただきたくって、このnoteを書きます。



長崎で見た、衝撃的で感動的な光景

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長崎の高校生が中心となって、県議会に「気候変動緊急事態」についての請願書を提出する。そのために大阪から数日間、長崎へ行ってきました。


出会った高校生や大学生、主婦の方、そこに住む人がいろいろな形で政治に関わっていた。議員さんの矛盾する発言に、怒っていた。子供たちの未来を蔑ろにされて、それなら自分たちでこんな風にやる、と生きていた。


なんだか、生命力に溢れ、生き生きとしている人ばかりだった。


自分たちの暮らしに必要な食べ物やエネルギー、政治や経済を、大きな仕組みに依存しているせいで、無力感を感じる人が多い。それを解決するための道が見えた気がした。


〔写真は川原(こうばる)という、ダム建設が予定されている地域。ここに住む人は50年も前から、ダムを作ることに反対し、普通の日常生活すら送らせてもらえていない。そして、話し合いを求め続けているが、それは拒否され続けている。果たして政治とは、話し合いがあってこそではないのか。蛍を見に、町中から人が集まる場所でもある。〕



政治って、誰が作っているの?

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たくさんの議員さんと話す中で、「この人には任せられないな」なんて思う人もいたけど、そう思えたのは近付いたから。関心を持ち、自分たちが近づけば、こんな身近な存在だったのかと、驚いた。私の声が議員さんに届けることができた時、感動した。


そして中には、現状の体制を変えるべく議員になった方がいて、力強く、誇り高き大人がいるのだと泣きそうになった。初めて、政治が身近なものであり、自分たちで作るものなんだなって思えたと同時に、この面白さをみんなにも知って欲しいとも思った。


びっくりするほどに、自分たちの声が作り上げていくものだったんだ。

なるべく面白く、触れやすく、多くの人に届けるコンテンツを作りたいと、改めて思った。(政治について書くメディアを作りたい!)



〔写真は、今年2月に行ったお話会。大阪は石切にある「ちいさなて」さんにてヴィーガン料理とスイーツを食べながら、主婦さんや子供達に癒されました。またやりたいな。〕


絶望の後に見えた、光って

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目隠しを外して見えた景色には、途方もない絶望と悲しみがあった。自分の中に生まれる怒りにも気付いた。

でも、厳しい現実に打ちのめされそうな時、そんな絶望をとうの昔に乗り越え、仲間や家族と共に戦う人がいた。それに、隣で同じように生きている仲間とも出会った。


今ここにある美しい自然を、いのちを、心から愛し守るために生きる人がいることと、地球の美しさこそが可能性だということ。

結構今の世界は、希望で溢れていることを、より深く知れた。


きっとこれは目隠しを外したものにしか見えない悲しみと、美しさなんだと思う。





もしかすると、もっと怒るべきだったのかもしれない。

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私や、私たち世代は、Z世代だとか色々な呼び方をされるけど、70年台後半の学生たちに比べてみたら、本当に物静かで、怒ることをしないなと思う。


足を引っ張り合うような、蹴落とし合うような、そんな世界に疲れているからか、自分や他人の矛盾から目を背け、怒りを手放しているように見える。でも、やっぱり私は、自分たちの自由を奪われ、大切なものを破壊されるとき、怒るべきだと思う。


怒るのは、悪いことじゃない。苦手な人がきっと多いし、そんな私も実はすごく苦手で、相手に寄り添いすぎてしまう癖があるけど、それは結構、よくないんだろうな。自由って、じわじわと奪われていくから。


今目の前にいる人に寄り添うことや、相手の気持ちを考えることは大切で、すごく重要なコミュニケーションだけど、自分の想いや大切な何かを誰かに侵害されていい理由にはならない。



声を上げなきゃ、伝わらないんだ。

あなたが大切にしているそれは、あなたにしか守れないかもしれないから。




じわじわと奪われちゃった、少し前までの当たり前と自由。

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今ある体制を変えるには時間がかかるだろうけど、それでも気候変動への意識は上がりながら広がり、そしてその根本にある自分たちの生活スタイルのシフトもされつつある。


私が気づけたのは、もっと前から声を上げてくれていた誰かのおかげだ。


見えない手に、じわじわと奪われていく自由。今その手を掴み声を上げなきゃ、もう取り返しがつかなくなる。


まだこうして発信できるのは、ギリギリ、本当にギリギリ、言論の自由が守られているから。こんな自由は、少しずつ奪われていくの。今、世界を、日本を覆っているあれは、誰のなんのためにあるのか。気をつけなきゃね。


私たちが声をあげ意思を示さない限りは、民主主義として成り立たない。心地よい目隠しを外そう。

何が正解か、何が間違っているのか。それってそんなに大切じゃなくない?

ただ一人ひとり、それぞれに別の答えがある。そしてそれは、押し殺す必要がない想いで、侵されそうになったときには怒っていいんだ。


綺麗な海があるうちに

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「綺麗な海か、砂浜にプラごみが散らばっていて淀んだ海。僕は綺麗な海の方が好き。」という言葉を聞いて泣いた。


そりゃそうだ。私だってそうだよ。


気候変動が起こってるとか起こってないとか、研究の結果こうで、とか。そういうのすごく重要だし大切だと思って勉強してるけど、でもそんなの、何百年先にどうひっくり返るか分からないこと。私たちに出来ることって、大切に出来るものって、もう最初から限られいているんだ。


ただ、あるものを大切にすればいい。ただ、好きな何かを選べばなくならないように、考えればいい。



最後に、どうか署名をお願いします。

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私達の力で声が届く範囲には限界があると感じたからこそ、今年3月に発表された「第二次長崎県地球温暖化(気候変動)対策計画」の内容を真摯に受け止め、5月から政治へのアプローチを始めました。

私達の目標は、長崎県において県民・行政・議会が垣根を超えて手を取り合い、ともに持続可能な社会へ歩んでいくことです。その第一歩として今回、長崎県議会に気候変動への取り組みに関する請願を提出することを決意しました。

どうか、今ある幸せを将来の世代へとこれからも繋げていくため、以下の請願内容に、どうかご賛同をよろしくお願いします。




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