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祖父が唸る日には気づけなかったこと

毎年6月23日の慰霊の日辺りになると、祖父は周りの声も聞こえなくなったように怒っていた。何に怒っているのかといえば、「アメリカー」や「ヤマト(日本)」に対してである。

ぶつぶつと方言で罵るので、何を言っているかは僕にはわからなかったし、通訳できる親族も何を言っているかを教えてくれることはなかった。

一応説明すると、本土では休日ではないけども、沖縄では休日になる6月23日は戦争が終わった日として死者に黙祷を捧げることになっている。TVでは沖縄戦特集が組まれ、小中学校では前後数週間にわたって平和学習が行われるのが恒例。

僕の通っていた小学校では、6月の間中、図書館から職員室までの20メートルくらいの廊下に、引き伸ばされたあの戦争の写真が展示されていた。教室に行くまでに必ず通らなくてはいけない場所で、僕は毎年憂鬱だった。そもそも白黒写真が不気味なのに、おぞましい地上戦を写したものとなると朝から気分が台無しになる。

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僕の祖父は、終戦の年にはまだ10代前半で、戦争中は発達障害を抱える妹をおぶって島を逃げ回ったという。これは母から聞いた。

祖父が経験した沖縄戦について、それ以上の詳しい話は誰からも聞いたことがない。おそらく祖母や母、叔父叔母は知っているのだろうけど、誰も自分からは語ろうとはしないのだ。

あまりに悲惨で、重すぎる話であるためなんだろうと察せられる。誰にとっても、口にするのが躊躇われるレベルのことがあったんだろう。

僕も弟もあえて深掘りすることはしなかった。

まあともかく、戦争が終わってよかったね。残酷な話に耐性のない僕らは、そう頭の中でつぶやいて、すぐ楽しい別のことを考えるようにしていた、ように思う。

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月日は流れて、中学では不登校になり、高校に上がってからは平和学習自体がほとんどなかったこともあり、つい先週ぐらいまで、僕はあの戦争をフラットな目で、情報として見れるようになっていた。

それを悪いことだと思っていなかったし(今もそう)、僕らの世代が肉体的感覚としてあの戦争を引きずり切れないからこそ、アメリカ人や本土の人を「同じ人間」として認め、引っ掛かりなく付き合えるんだと思っていたしね。

だけれども、だよ。

なんとなく惹かれて、直木賞を取った真藤 順丈さんの『宝島』を読んでしまった。「第二次世界大戦後の沖縄を舞台に、コザ暴動に至るまでの若者たちの青春を活写した、叙事詩的長編作品」だ。:参考

内容の重さ、燃えるような熱量、立ち上がれなくなるような逆境(しかもほぼ実話だから余計に)がしんどくて一気には読めず、3週間くらいかけて、ゆっくりゆっくり読み進めた。

詳しい感想はこれから述べるけど、とにかく読んでよかったし、たくさんの人に読まれるべき本だと思った。これほど魂を揺さぶられ、呆然とさせられる本はそうない。ミステリー小説としても抜群の出来だった。

ただ、とにかく読んでほしいとは思うけれど、具体的なあの時代の事件の数々を語るのはやっぱり躊躇われる。辛すぎるのだ。親族の気持ちが痛いほどわかった。

読み進めながら、なんだよ!沖縄戦が終わってからもずっと理不尽で、悲惨で、地獄みたいな悲劇ばかり襲ってきてたんじゃねぇか!

と何度も思わされた。とことんテキトーで陽気に見える島中の50代以上の小太りなおじさんやおばさん!あんたらの若い頃、この島はこんなやりきれないとこだったのか。

自分の身近にいる知り合いの女性が痴漢や強姦未遂のような事件に巻き込まれた経験を持つのを初めて知った時のような気持ちだった。

教師となったヒロイン、ヤマコの務める小学校にヘリが墜落。目の前で生徒が火の粉に包まれるシーンなんかはそれ以上リアルに書かないでくれと脳内で悲鳴を上げつつ読んだ。

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戦中10代で、本土復帰の年には40代だった祖父。よく知る女の子や親戚の誰かが殺されたり、米兵に犯されたりするのだって何度もあったのかもしれない。

戦争を語り伝えると言ったって、こういったことを伝えるのは難しいだろう。貧しくて大変だった話、不便だった話、笑い話はたくさん聞かせてくれるけど、胸にしまい墓場まで持っていくつもりの出来事も山のようにあるんじゃないか。

そんなことを想像すると、祖父が毎年慰霊の日にだけ気持ちを爆発させ、ソワソワと落ち着かず、唸っているのも見え方が変わってくる。

祖父は、たしか今年で90歳。

もう唸るどころか体も動かせず入院し続けているけど、僕が高校2年生になるくらいまではピンピンしていた。慰霊の日の恒例行事は、年を遡るほど付き合う大変さは増していっただろう。

祖母はたいていそれに一人で付き合っていた。落ち着くまで「よしよしよし」みたいな、なだめすかす言葉をかけ続けるのがお決まり。困ったような顔をしているし、孫の前ではやれやれみたいな愚痴をこぼすけれど、それでも寄り添うのをやめない。その理由もわかった気がした。

僕がこの怒りの恒例行事を目の当たりにしたのは、過去に二回だけだった。あとは疎ましくて避けていた。

あの時はわからなかったけれど、今ようやくメッセージを受け取れたのではないか。


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『宝島』を書いたのが、東京出身の方だということにはかなり驚いた。作者は、自分の生まれる前の、遠く離れた島の物語を書いたのだ。

一体どれだけ取材し、資料を読み込んだらこれを書けるんだ。ふんだんに使われている沖縄方言(うちなーぐち)のおかげで、心にズンズン入ってくるし。圧巻。

さっき言ったように、僕は毎年の平和学習が憂鬱だったくらいの人間だから、扱っている題材的には離脱する可能性も大いにあった。

しかし、冒険小説・青春小説として覿面に引き込まれる導入。示されたいくつかの謎の魅力が、500ページ以上の間引き離してくれなかった。

もちろん沖縄県民として引きこまれたというのもあるだろうけど、他県民が読んでも刺さるものがあると思う。

何せ、作者自身が『宝島』を書くためにあの日の沖縄に全身全霊で向き合った結果「一人の小説家としての組成まで」変わり、書く題材としてもはや「沖縄から離れられない」と言っているくらいだ。

作者は文庫刊行にあたってのエッセイでこう書き残している。

戦争や圧政のただなかから、どのように未来に価値を認めるかを模索してきたこの島からは、僕たちが生き延びるための廉潔で恵み深い知恵を受け取ることができるはずだ。


最後に、『宝島』を激推しする書店員宇多川さんの一言を挿入して締めます。

本をあまり読まないという若い人に、僕は言いたいことがあります。「とんでもないものに触れたくはないか?」と。(略)『宝島』は、「とんでもないものに触れられる」小説です。
下の記事より


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